第八話

 勢いよく開けられるカーテン。

 刺し込む太陽の光に安眠を妨げられ、少し不機嫌そうに顔を顰めながらも欠伸を漏らしながら起きる。

 痒みを訴える目蓋を擦り、寝惚け眼が捉えるは見慣れた茶筒型の機械。

 半覚醒状態のまま、ベッドから降りようとして前のめりに転倒した彼は顔を床にぶつけ、誘われるままに就寝。

 酷い体勢で再び眠りの世界に旅立ってしまった主を持ち上げ、ベッドに置いた一号は三個の目覚ましを彼の耳元に置き、一分後に鳴るようセットする。

 時が流れ、三個の目覚ましが同時に暴音を鳴り響かせれば飛び起きた仁がベッドから転げ落ちて後頭部を強打。

 悶える彼を抱えながら階段を下りた一号は痛みで動けない主の着替えを行い、出来上がっている朝食の前へ座らせる。

『おはようございます、マスター。良い朝ですね』

「……この場面で言う台詞か? 一号」

『他にどのような場面で発言するのが好ましかったのですか?』

「いや、うんまあ、別にいいんだけど。で、朝食はトーストだけなのか?」

『申し訳ありません、マスター。昨夜、マスターのご指示通り紗菜様を見張っておりましたら案の定と申しますか、マスターの寝込みを襲い、夜這いを掛けようとしておりましたので捕縛したのですが――』

「抵抗されたか?」

『危うく、私たちの貞操が失われるところでしたが、我々アストロゲンクンシリーズの絆の力で何とか危機を脱出しました。今現在は紗菜様のお部屋にて封印を施している状態です。尤も、あの程度の封印では長くは保ちませんが』

「気にするな。一時的にも封印できただけで万々歳だ。開発者として俺はお前たちを誇りに思うぞ」

『ありがとうございます、マスター』

 畏まった態度で頭を下げる一号の頭部を撫で、用意された何も掛かっていない素のトーストを齧りながらテーブルの脇に置かれていた新聞を読む。

 世界の情報が綴られている新聞紙。テレビやネットを始めとした様々な情報伝達手段が有るため、情報を仕入れるだけならば新聞にこだわる必要はないものの、こういう朝の一時などの退屈凌ぎとしては有益。

 一号が淹れたコーヒーを飲み、ブラックの苦さに若干吐き出しそうになりつつ男の意地で我慢。

 ただし二口目からはこっそりと砂糖及びミルクを入れ、しっかりとかき混ぜてコーヒーを飲みやすくしてから口の中へ流し込む。

『マスター、ブラックは苦手でしたか?』

「今日の朝はブラックな気分じゃなかった。それだけだ」

『相変わらず、身も心も気まぐれなのですね。褒めるべきか、貶すべきか、バカにするべきか悩みます』

「後ろ二つは同じことだと思うが。んー、あの国じゃ大統領が色々やっているんだな。こっちの生活にはあまり関わっていないから割とどうでもいいけど」

『ですがマスター。直接関わりがないと申しましても間接的な問題になるのでは?』

「俺はまだ高校生なんでな。あまり深く気にしても仕方ない。問題になったらなったで大人たちが何とかしてくれることを期待しよう。というか、子供の後のことを押し付けて自分たちはさっさと現役を引退する大人たちが多い気がしてならない」

『一世代だけで解決できる問題でしたらそもそも問題になりません。全てを絞り尽くしても解決まで届かないのでしたら次の世代に託すしかないのでは?』

「本当に全てを絞り尽くしたのならまあ良しとするが、次の世代を守るために自分の命を燃やし尽くすくらいの芸当は行って欲しいんだぜ」

 コーヒーを飲み終え、トイレで出す物を出した彼は一旦自室へ戻り、本日の授業の準備を済ませると鞄を持って靴を履く。

『マスター、ハンカチとポケットティッシュです。どうぞ』

「さんきゅ。いつも悪いな」

『いいえ。どちらも必要になる時は多いものです。念のため、予備のポケットティッシュも持っていくべきでしょうか』

「それは流石に必要ないだろう。それに必要になったらお前たちに持って来させるから無理に予備を準備しておく理由はない」

『マスター。私たちも暇なわけではありません。マスターの部屋のベッドの下に隠されている古本の中に埋もれているように見せかけられている大人向けの本などの掃除も行わなければなりませんので』

「ペットは飼い主に似るっていうけど、お前も結構良い性格になったよな。何が望みだ? 金か? 女か? それとも鼠か?」

『全て要りませんが、最後の一つは何故選ばれたのかが気になります』

「ほら、俺って青い狸型のロボットが目標だろ? だから今の内に鼠を克服しておけばいつの日か肩を並べられる時が来た時に鼠が苦手じゃない分、俺の方が上だと胸を張って言えるかもしれないじゃん」

『まず肩を並べられる日が訪れることがありませんのでご安心を。あと、私に鼠をプレゼントしたところでマスターの鼠を克服に繋がるとは思えませんが』

「プレゼントするってことは鼠を捕獲する必要があるってことだ。つまり鼠と死闘を繰り広げ、殺さないように勝利する必要があるということ!』

『なんだか物凄く情けない気持ちになりますので、むやみに鼠と死闘を繰り広げないでください』

「とか話し込んでいる間にやることがあるのを思い出したので台所に直行します」

『は?』

 靴を脱ぎ捨てた仁は呆けた声を漏らした一号を引っ張って有言実行。

 台所で何かを始め、作業が終わると時計を見てまだ時間的に余裕があることを確認してから玄関前に戻る。

「では今度こそ行って来る」

『せっかく早起きしたのに、結局はいつも通りの時間ですね』

「早起きは三文の得というが、まあ実際はこんなものだろう。そもそもあまりに早く学校に行ってもやることないし。というわけで行ってきまーす」

『行ってらっしゃいませ、マスター』

 一号の視線を背に受けながら無意味に扉を蹴破り、外に飛び出す。

 本日は雲一つない晴天。天気などいつ変わるかわからないので晴天が何処まで継続されるかは不明だが、それでも清々しい気分になった彼はカバンを片手に空気を大きく吸い込みながら天へと両手を伸ばす。

「今日も元気だ、空気が美味しい! そしてこれから始まる地獄の学校生活! 今日は休みたい気分だ! 適当に仮病でも使って保健室――は危険過ぎるからどうにか説得を駆使して早退しようか! なんて独り言を言ってみても虚しいだけだったりする」

「だったら独り言などやめたらどうだ、バカ弟子」

「幻聴が聞こえてきた。もうダメだ。おしまいだぁ」

「師の声を幻聴と言い切るのは太々しい態度と受け取るべきか。まあお前らしいと言えばそれで終わりかもしれないが」

 首筋に吹き付けられる煙草の煙。

 不快感を隠そうともせず振り返った仁の瞳に映るは両目を充血させ、かつ二つの眼の下にくまを作っている師の姿。

「寝不足――じゃないな。今まで起きていたのか」

「正解だ。流石は我が愛しき弟子。師のことをよく理解している」

「あんまり理解したくないけどな。で、どうして朝まで起きていたんだ? 何か面白い研究材料でも手に入ったのか?」

「それもあるが、古本屋のバカジジイが魔導書を使ってよからぬ存在を現出させてしまったようで、その後始末を行っていた」

「うん? そんな話、俺の方には回ってきていないぞ?」

「連絡ミスか、敢えて連絡しなかったのかは知らんが、現出したモノ自体は外で暴れる前に送還することに成功したんだが――巻き込まれた少女が胎内に幼生体を寄生させられたらしく、生まれてくる前に手術で取り出すことになった」

「それで今まで起きていたと? しかしお前が苦戦するなんて、中々厄介な幼生体だったんだな」

「師匠をお前呼ばわりするな。まあ手術自体はそれほど苦労しなかったんだが、取り出した直後に他の素材の方に跳んで行ってしまい、少々厄介なことになった」

 吐き捨てた煙草を靴底で踏み躙り、新たな煙草を咥えて着火。

 ライターの火に引火した煙草の煙を体内に取り込み、あからさまに嫌がっている最愛の弟子の顔に向けて副流煙を叩きつける。

「嫌がらせか? アホ師匠」

「バカ弟子にはちょうどいい。というか起きたのなら手伝え。今、私の家の地下ではそれなりに大変な事態に陥っている。学校に行く前に対処しておきたい」

「なんで俺がそんなことをしなくちゃならない。師が弟子の尻拭いをすることはあっても、弟子が師の尻拭いをしなくちゃならない理由はない」

「若くて美人な白衣の先生の頼み事だぞ? 聞いてくれたなら後で個人レッスンを行ってやってもいいんだが」

「若作りしている残念な美人かつ薬品の臭いが染みついている白衣のダメ先生の個人レッスンなんて受けたいとは思わない。これはお前を知っている者たちの総意だということを知るがいい」

「生意気を言う。これだから高校生は」

 さして気分を害した様子もなく、煙草の煙を取り込む保険医の家から轟く絶望に満ちた女性の悲鳴。

 近所迷惑甚だしい、朝に響く雄叫びを他人事のように気にした素振りを見せない保険医に対し、仁は冷たい眼差しを向ける。

「……おい、クソ師匠」

「なんだ、ゴミ弟子」

「さっき言っていた手術した少女とやらはどうした」

「無論、化け物と共に地下室に閉じ込めた。元をただせばあの娘が私の家に奇怪な生物を運んできたのが原因なんだ。ならば自分で蒔いた種くらい、自分で枯らせるのが筋というものだろう」

「話を聞く限り、その娘とやらは完全な被害者のはずだが」

「そうだったか? まあ私にとってはどうでもいいことだ。なにせ私は今、猛烈に眠いのだから。学校に行くまで保ちそうにないくらいに」

 三本目の煙草に火を点け、煙を吸い込みながら欠伸を漏らす彼女が目指すのは自身の家ではなく隣にある弟子の家。

 響き渡る悲鳴など何処吹く風な態度に仁は頭を掻きながら大きなため息を吐く。

「師匠の暴走を止められなかったのは俺の責任、ってことになるのかねー。知らない少女一人がどうなろうと知ったことじゃないが、師匠のせいで儚い命が寂滅するのを知らんぷりするのは後味が悪いか」

「やる気になってくれたか、バカ弟子。遅刻は許さんが、まああの程度のザコならそれほど手間取らずに片付けられるだろう。私は一刻も早くこの睡眠不足を解消するために、弟子の体臭に包まれながら睡眠を取ることにしよう」

「勝手に俺のベッドを使おうとするな」

 答えず、後ろ手を振りながら仁の家に入って行く保険医の背に中指を突き立てつつ、彼は彼女と遭遇してから何度目になるかわからないため息を吐き出しながら保険医の家の中へ足を踏み入れる。

 何処となく普段よりも薄暗さを覚える廊下を真っ直ぐに歩き、地下へ続く階段を下りて爆弾でも壊せそうにない頑強そうな分厚い鋼鉄製の扉の前に立つ。

「ノックしてもしもーし。で、いいんだっけ。この場合」

 手の甲で軽く扉を叩き、反応がないのを見て鋼鉄製の扉を開ける。

 見た目通りの重厚な扉は重苦しい音を立てながらゆっくりと内部と外界を繋ぎ、全長3mを超えているであろう巨大なサソリのような生物の毒針を掴み取る。

「まーた、変なのを創ったなー、あのアホ師匠は。創るのは勝手だけど、せめて制御できるようなのを創って欲しいぜ。その内、本当にバイオなハザードを引き起こすかもしれないしー」

 力任せに捻じ切った毒針を大サソリの頭に突き刺し、甲高い悲鳴を上げるその頭部を蹴り砕く。

 念入りに踏み躙られる大サソリの頭部。急所を砕かれたことで死は免れないが、改造された影響か、残された体の付いている大きなハサミが彼の体を捕獲する。

「おお?」

 あくまでも捕獲用であり、それ自体に殺傷力は対してないけれど、燃え尽きる前に激しく燃える蝋燭が如く信じられない怪力で彼の体を両断せんとする。

 最期の足掻き、道連れを作るための決死の攻撃に感嘆の吐息を漏らしながら仁はハサミを拳で打ち砕き、胴体を踏み潰す。

 今度こそ完全に絶命した大サソリの体液を汚物を見るような瞳で見下ろし、靴に付着してしまった液体をティッシュで拭き取り、乱暴に投げ捨てる。

「この靴、結構な値段だったんだぞ。弁償しろとは言わないが、せめて責任を取るくらいの姿勢は見せて欲しい――」

 気配を感じて振り返れば、部屋の中に潜んでいる無数の異形の生命体が彼のことを取り囲もうと移動している。

 一体でも外に出ればまず騒ぎは避けられないほど強烈な外見の生物たち。

 所詮は他人事ならぬ師匠事なので大騒ぎになったとしても責任を取るつもりはないと自身に言い聞かせながら彼は出入り口である鋼鉄製の扉を閉める。

「ハッ。また無駄に色々作ったもんだ。同じ科学者として失敗することをとやかく言うつもりはないが、処分を弟子に押し付けず、自分でやって欲しいとは思うな」

 指を鳴らしながら自ら進んで異形の生物たちの中心に足を運ぶ。

 堂々とした立ち居振る舞い。野性に生きる者たちならば放たれる殺気に警戒を露わにするのだが、自然皆無の冷たい部屋の中に閉じ込められていた彼等に警戒心というものを育む機会はなく、近づいてくる彼に牙を剥いて襲い掛かった。

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