指切った、ありがとう。
ナイフは最後まで振り下ろされず、肉へと刺さる鈍い音の代わりに、金属同士がぶつかる甲高い音がビルの壁に反響し、やがて消えていく。
横たわる少女を助ける意図は微塵も無く、ただどちらが小指コレクターかわからない状態での殺人を見過ごせなかった。小指コレクターを殺すのは、この私なのだから。
胸の高鳴りと興奮を顔には出さずに、
ぶつかり合っていたナイフが離れ、相馬武人は身を捩り、軽々とナイフを躱してみせる。ナイフは勢いをなくし、乾いた音を立てて地面へと落ちた。
私の知っている相馬武人は、華奢でひ弱、気が弱く後輩に軽んじられるような、頼りがいのない先輩だった。真面目ではあるがぱっとしない、というのが正直な感想だった。
しかし今は、その身に纏う殺気が周囲に威圧感を与える、非凡な少年へと変化を遂げていた。先ほど―――秋山君が言っていた「代わる」ことと、何か関りがあるのかもしれない。
「―――やぁ、立花さん。こんな時間にどうしたの。一人じゃ危ないんじゃないかな?」
「……ご心配なく。それよりも、ねぇ答えて」
あくまで日常的な会話をしようとする相馬武人の目は、常に横たわる神崎創に向けられている。それなのに、まったく隙がない。隙が出来ればまた、すぐにでも殺しに来るだろう。
「―――今は、どちらが小指コレクターなの?」
問いかけに対する答えとして、相馬武人はナイフで切りかかってきた。
正面から来る顔への突きを首を傾ける最小限の動きで躱し、同時にこちらもナイフを顔へと突きあげる。
相手のスピードを考えれば避けられるはずもない攻撃を空中で身体全体を回転させることで躱して見せ、着地と同時に回転の勢いをつけたまま蹴りを繰り出してきた。
上体を反らして顔すれすれで蹴りを躱し、反らしながら蹴りを入れそのまま一度距離をとり、着地と同時に拾ったナイフを足へと投擲する。投擲されたナイフは易々と払われ、投擲と同時に走り出し繰り出す私の一撃もまた、予想していたように受け払い、足を掃ってくる。軽く跳躍してのすれ違いざま背後にナイフを投擲し、ナイフが脇腹へと刺さる。
それでも相馬武人は止まらず、脇腹に刺さったナイフを抜き取りこちらへと返してきた。ナイフは私の腕を僅かに切り裂き、暗がりへと消えていった。
瞬きすら許されない死の乱舞が静寂を切り裂き、心を砕いていく。常人には認識さえされない速度で繰り広げられる殺人鬼の児戯は、永遠に見ていたいと感じるほどの激しさと美しさを狂気と共に撒き散らしていく。
死と生が曖昧になり、溶けて、満たされて、甘い感覚が胸いっぱいに広がっていく。
「……邪魔を、しないでもらえるとありがたいな。ぼくははじめちゃんを殺したいだけなんだ」
「なら、私の質問に答えて。今、どちらが小指コレクターなの?」
「どちらも。確かに、交代で殺してはいたけどね。まぁ噂されているのは、はじめちゃんの方だったけど」
脇腹の傷から血がどんどん流れ、膝をつく相馬武人のシャツを赤く染めていく。無理にナイフを引き抜いたからだろう。
それでも相馬武人は、変わらず神崎創だけを見つめている。その目線に乗せているものが何なのか、私にはわからなかった。わかりたく、なかった。
「さぁ、答えたのだから、はじめちゃん殺させてくれると嬉しいな。もう致命傷は与えているから、このままでも死んでしまうけど、できれば、ぼくの手で直接殺したいからね」
「いやよ。どちらも小指コレクターなら、どちらも私の殺害対象よ」
「話が違うし、困ったなぁ。じゃあ立花さんを殺すしかない。そうだ、ぼく今日誕生日なんだけど、プレゼント代わりに殺されてくれないかな。はじめちゃんもね、さっきプレゼントをくれたんだ。この二、三週間頑張ってくれたんだって。ほら、これ」
嬉しそうに言って、ポケットから袋を取り出す。
中には小指が6つ、入っていた。それはきっと、これまで殺された女の小指だろう。まぁ、それはどうでもいい。
「お断りします。殺す趣味はあるけど、殺される趣味はないの」
「いい趣味だね。ぼくも同じだよ。ここでみすみす殺されるわけにはいかない。はじめちゃんを殺して、ぼくも死ぬんだから」
「……そこが、よくわからない」
心からの疑問に、相馬武人は首を傾げる。
それは私の質問の意図がわからないという意味でもあったし、背後から飛んできたナイフを躱すために必要な動作でもあった。
先ほどの戦闘の影響か、または脇腹の傷のせいか、相馬武人の反応は一瞬遅れ、耳が半ばまで切り落とされた。そこからまた、血がボタボタと落ちていく。
予定通り飛んできた、ワイヤーと血の付いたナイフを掴み、質問をする。
「よく、わからない。どうして一緒に死ぬ必要があるの?それは、あなたたにの交わした『約束』と、関係があるの?」
「それは、立花さんには関係のないことだよ。ぼくとはじめちゃんの問題だからね。でも、そうだなぁ……」
何かに悩むように唸って、そして相馬武人は断言した。
「うん、そうだなぁ。立花さんも愛を知れば分かるよ」
「愛を、知る」
それに、なんの意味があるのか。
不確かな存在を知って、何を得るというのか。
相馬武人は嬉々として続ける。
「
自分の胸に手を当て、恥ずかしそうに、だけどとても誇らしそうに語る。その顔に、偽りはなかった。
たとえ他人の感情から得たとしても、その感情がずっと続くものならば、それはもう本物と変わらないのではないだろうか。
本物以上の、力を持つのではないか。
(それをここで言うのは、馬鹿らしいし、私らしくない)
ナイフを油断なく構えながら、自分の考えをを否定する。そうしなければ、思考に飲まれそうだった。
ちらりと浮かんだ秋山くんの顔を、脳内で切り刻む。それにだって意味はない、はずだ。
「ねぇ立花さん。ぼくはもうじき死ぬんだよ。神崎の男は短命で、成人することなく命を落とす。事故とか、病気とか、寿命とか。世界の全てがぼくを殺す、敵だった」
膝をついた状態からゆらりと立ち上がり、言葉を吐き出す。脇腹流れ出る血が、耳から零れ落ちる血が、相馬武人を赤く彩り綺麗に仕上げる。
死化粧のようなそれは、かつて女の子であった相馬武人を物語るように妖艶な美しさを持っていた。
「でもそれは変わった。はじめちゃんも、相馬の人たちも、ぼくの味方になってくれた。そして代わりに、はじめちゃんは神崎創となり、狂ってしまった。狂わせて、しまったんだ。ぼくにできたのは、それを少しでも軽減させること、だけだった」
一歩、こちらへと踏み出す。私は動かず、その挙動を見つめる。ナイフが今にも手から滑り落ちそうだし、その歩みは頼りない。小石にすら躓いて転んでしまいそうな、ふらふらとした足取りだ。それでも、
「最初ははじめちゃんのこと、死んでしまえって、思っていたのにね。可笑しな話だよ。でも、今は」
また一歩、こちらへと近づいていく。いや違う。相馬武人はなおも、私の真後ろにいる神崎創の元へ向かっている。私のことなど眼中にない。
初めから、ずっと、ずっと、彼女のことだけを想っている。彼女のことだけを考えて、ナイフを振るっていた。
先程の激しい、甘美な殺し合いでさえも、相馬武人にとっては通過儀礼でしかなかったのか。自分たちの思い描く、最高の終わり方を迎えるための。
「……いや、今も、思うことは変わらないんだ。ずっとずっと、死んで欲しかったんだよ。
もう、時間がない。
降り続く雨はまだ止まないけれど、相馬武人の時間は、もうすぐ終わる。
そしてその前に、互いが互いに殺されることを願っている。
「最後の約束も、守っ、た。思い残すこと、ないはず、で。でも、ね」
私の脇を、何事もなく相馬武人は通り過ぎていく。
もう、殺したいと思えなかった。思っていてもきっと、身体が動かない。動いてくれない。
だって、
「
小指コレクターであった相馬武人と神崎創であって。
「―――ぼくは、はじめちゃんに、生きてて、欲しかったなぁ……」
―――ただの、互いに焦がれるただの人間なんて、殺したく、ない。
振り向きもしない私の後ろで、ベチャリと、何かの倒れる音がした。雨の降る音だけが、私の心を洗い流すように続いている。
少しして、やっと振り返った私が見たのは、互いの胸にナイフを突き立て合う、相馬武人と神崎創の姿だった。
互いの手を握りあいながら息絶えた2人の姿は、私の目に焼き付いたて離れなくなった。
どうして、今まで殺してきた奴らと、この2人はこんなにも違うのだろう。
少し考えてから、相馬武人の語っていた感情に思い至った。この2人の間には、常人には理解しがたいものがあったのだと。
それがどういうものなのか、私にも、理解はしがたい。それを認めてしまえば、私は殺人鬼ではいられなくなる気がした。
「立花さん」
声の聞こえた方へ、目を向ける。
傘を片手に立つ秋山くんは、普段と変わらない様子で私を見ていた。後ろで眠る2人には目もくれない。
「帰ろう、立花さん。こんなに遅くまで起きてたら、寝坊しちゃうよ」
そう、常識的な、場違いなことを言って、こちらへ傘を差し出した。ただ先程と違って、傘一つしかない。私の傘は相馬武人と神崎創の間に飛び込んだ際に、折れて使い物にならなくなっていた。
遠慮なく入ると、傘を跳ねる雨の音が心地よかった。その横にいる秋山くんの温もりに、なんとなく安心して、殺したくなった。
「……明日は休みよ、秋山くん。だから今日は、まだ起きてるわ。余韻に、浸っていたいもの」
「あぁ、そうか。創立記念日だったっけ。うっかりしてたよ。まぁそうじゃなくても、早めに帰って損はないでしょ?いつバレても、おかしくないんだからさ」
「それも、そうね。……まぁ、まだ大丈夫よ」
話しながら、笑いながら私たちは帰っていく。自分たちの家へと。日常の中へと。
相馬武人と神崎創の死体は、翌日発見された。
死体の手には、サクラソウが握られていたそうだ。死体は、『事故死』として処理された。
※※※
「君が死ねばいい、そうすればあの子は助かるよ」
嘘は吐いていない。ただ、実行するとは思っていなかっただけで。
最終的に、この子達は心中を選んだ。互いに互いを殺しあい、想いあって、死んだ。
「……それだけ想いあっていたなら、別の道を探せばよかったのにねぇ。そうしたら応援、しないでもなかったのに」
雨が降る中、二人の死体を見つめながら、少女のような華奢な体つきをした青年が呟いた。その顔は笑っているようにも、悲しんでいるように見えた。
「ま、神様に見捨てられたこの世界で救いを求めるなんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがあるけどね。おめでとう。これで君達は、あちらに帰ることができる」
2人に死体の上に自らが羽織っていた上着を被せ、サクラソウをそっと握らせると、青年はそこから立ち去った。
後にはもう、雨と死体と、腐った小指しか残っていなかった。
※※※
そうちゃんと、約束をした。
わたしは将来、そうちゃんに殺される。そうちゃんが死んでしまうその前に、殺してくれる。
わたしはもう、白く無垢な子供じゃない。黒く、黒く、真っ黒に汚れてしまった汚れたモノだ。
少し前まで、わたしはただ、そうちゃんと遊ぶだけの、ただの子供だったのに。今は、もう。
―――立派な、殺人鬼だ。
壊れかけの精神を、そうちゃんとの約束だけが繋いでくれる。わたしの中で渦巻く殺人衝動が、それだけで少しは抑えられてくれる。
約束まで、あと少し。
そうちゃんの誕生日まで、あと少し。
「誕生日プレゼント」として、わたしは小指を集めることにした。神崎に関わりのある6人の小指。最後の一つを、わたしで締めるために。
そんな時だった、深雪ちゃんを見つけたのは。
黒くて艶のある、腰まで届く長い、烏の濡れ羽色の髪。白くて陶器みたいな肌。程よく育った体。薄赤に染まった頬。整った顔立ちをした、美しい少女。何よりも目を引いたのは、どこまでも暗くて深い、冷たい黒色をした瞳。
お館様の語っていた子だと、すぐにわかった。
もし、出会うことがあったなら、気にかけてあげてほしい。
そう頼まれたのは、わたしだけだった。それも、つい昨日のことだ。
そうちゃんはお館様のことが嫌いなので、滅多なことではお館様に近付かない。わたしは、別に嫌うこともないので、普通に通っていたけれど。
「気にかけるって、具体的には?」
「あの子はね、君達と同じ高校に通っているんだよ。不登校になっていたけどね、空が脅してまた通わせ出したんだ。それも自主的に」
「へぇー、空君が。珍しいですねー。あの子、こっちにほとんど無関心なのに」
ずっと無表情な、一つ下の親戚の顔を浮かべる。女の子に興味を持つぐらいには、年相応の感性を持ち合わせていたらしい。
―――まぁ、それが本当にまともな感性からくるものかはともかく。
「みればすぐ、わかるよ。目立つからね、あの子は。だからそう、君達が死ぬまでの間に、なんらかの接触を行なってほしいんだよねぇ。ほら、君達美術部だったよね。モデルにしたいとかいって、関わりなよ」
「ふーん、お館様と空君がそこまで気にかけるってことは、何かあるんですよね、その子」
死にかけの人間に任せるような事ではない。そもそもその子にはすでに空君が付いている。それでも関われということは、何かあるのだろう。
「あの子はね、殺人鬼だよ。君と同じような殺人衝動を抱えた、普通の女の子さ。それにあいつの妹でもある」
「……へぇ、そーなんですか」
あの人。殺人鬼の中でも群を抜いて異常だった人。
ただ1人のために、その命を散らせた強い人。
その妹だというのなら、見てみたい。
「いーですよー。まぁ、あと一ヶ月ちょっとですし、限りがありますけど。―――じゃ、さよーならお館様。お世話しました」
「はい、お世話されました。じゃあ、またね」
そう言って、言われて、わたしはお館様の家を出た。
※※※
そうして出会って、すぐにわかった。あの子が、立花深雪だと。その隣で、空君がニコニコと笑っていた。初めて空君が普通に笑うところを見て、ちょっと感動しながら、2人を観察し続ける。
空君は、ずっと笑っている。深雪ちゃんは、ずっと無表情だ。
対照的な2人。なのに、互いにとても楽しそうだ。
その姿はまるで、遠い昔のわたしたちを見ているようだった。
もう取り戻せない過去が、わたしの中に浮上してくる。どこかで決定的に狂ってしまった歯車が、ギィギィと音を立てていく。
わたしは、わたしと同じ何かを諦めているような彼女に、何かを残したかった。何処かを、示してあげたかった。助けて、あげたかった。
わたし達はもう、終わってしまうけれど。あなたは、まだ。
「―――そうちゃん、わたし、あの子を
わたしの言葉に、そうちゃんは驚いていた。でもすぐに笑顔で、「わかったよ」と答えてくれた。「約束だ」と。
「約束」。
その言葉だけで、もう、大丈夫だと思える。
「今は僕たちの言葉は届かないかもしれないけど、けどいつか、届く日が来たのなら」
―――ぼくたちみたいに、殺しあわずに済むかもしれない。
※※※
「そ、―――ちゃ……ん」
声を出すことすらままならない。世界が異物である"神崎創"を消し去ろうとしている。それは、現在の神崎創であるわたしも、例外ではないらしい。
自身の血溜まりは温かく、身体は比例して冷たい。もう、時間はあまり残されていない。
血塗れの手をそうちゃんへ向けて、とは言っても地面へとへばりつけたまま、ゆっくりと伸ばした。
そうちゃんが、こちらに向かって歩いてくる。脇腹から大量の血が流れて、シャツを赤く染めている。耳も、半ばまでが切り落とされて、見るに耐えない姿だ。
でも、そうちゃんは笑っていた。笑いながら、何か喋っている。死にかけのわたしには、遠すぎて何も聞こえない。でも、最後の言葉だけは、聞こえた。
「―――ぼくは、はじめちゃんに、生きてて、欲しかったなぁ……」
そう言って、目の前の地面に倒れ込み、それでもなお、わたしとの―――。ぼくとの、約束を守ろうとしてくれた。
伸ばされた手を、血で汚れた手で握って。わずかに残った力で、もう片方の手に握るナイフを、はじめちゃんの方へと向けた。
「ずるいよ……はじめちゃん。そんなの、ずるい。その言葉は、ずるいよぉ」
えへへっ、と笑ったはじめちゃんの瞳には、綺麗な光が宿っていた。紫色の花も、その顔には咲いていない。その笑顔は泣きたくなるぐらい綺麗だった。
「……ありがとう。はじめちゃん」
「うん。ありがとう。そうちゃん」
大好きだよ
声の余韻が終わる前に、2人の胸には同時にナイフが刺された。徐々に光を失っていく瞳が、わたしの歪んだ視界に映る。
最後の言葉は、きっと深雪ちゃんには聞こえていない。
貴女はこれから、はじめちゃんに言われたことを忘れちゃいけない。わたしたちの、だいじな、おねがい。やくそく。
「ゆび、き、った」
小さく声が響いて、誰かに届く前に、消えた。
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