大切な思い出は紅色に濡れている。

「ねぇ、はじめちゃん」

「なぁにー?」


 女性の小指を切り始めたはじめちゃんの手は、血と泥でぐちゃぐちゃに汚れていた。鼻歌交じりに作業をするはじめちゃんを横目で見ながら、ぼくは質問をする。


「どうして殺す時の質問が、相馬武人を好きになれるか、なの?この人たちがぼくのことを好きだと言うわけないじゃないか」


 今まで殺した、この女性も含めた五人全員に、はじめちゃんは同じ質問をする。

 女性たちは全員神崎の分家、若しくは神崎家の中でも地位が高い人間。

 の、子供だ。

 神崎家では、女性の地位の方が高い。男は種を存続させるための道具に過ぎない。


「え、そんなのきまってるじゃん!」


 小指の切断作業を中断して、はじめちゃんがこちらを振り返る。

 その顔には、飛び散った血が花のようにこびりついていた。


だよ。わたしがこいつらを生かしておく必要性を感じないからだよ」


 顔に咲く血の花を笑顔で歪めて、再び小指の切断作業に戻る。

 人を殺し、小指を奪い取るはじめちゃんは、あの頃と何も変わらない。

 ぼくのために、その手を平気で血に染める。その手のままで、ぼくと一緒に遊んでくれる。

 幼い頃から変わらないはじめちゃんの笑顔が、いつもぼくを元気付けてくれる。同時に悩みのタネにもなるのだけど、それはもう別にいい。その笑顔は多分死体の山とか、血の海の中にあっても咲いてくれる、ぼくだけの花だ。これまでも。これからも。永遠に。


「そうちゃん」


 はじめちゃんが、ぼくを呼ぶ。

 いつのまにか、小指の切断作業は終わっていた。女性の顔中に刺さった針から流れ出る血が、辺りを赤く染めていた。ぷひっと音を立てて吹き出る血が、彼岸花のようで綺麗だった。


「約束の時だよ」


 血に濡れたナイフが、闇の中で月の光を反射して、紅く輝く。

 出会った頃を思い出すその紅色は、ぼくにとって何よりも大切な、あの日々を思い出させる。


 ぼくが神崎創で、はじめちゃんが相馬武人だった、あの日々を。


 ※※※


「立花さん」


 声の聞こえた方へ、目を向ける。

 秋山くんが、ニコニコとこの場に不相応な顔をしながらこちらへと歩いて来ていた。

 雨でだいぶ血は流れてしまったが、普通なら眼を背け踵を返す凄惨な女の死体を前にして、殺人鬼しょうじょ食人鬼しょうねんが向かい合う。

 

(あぁ、殺したい。)

 

 血と雨で濡れた私に、秋山くんが傘を差し出してくれた。遠慮なく入ると、傘を跳ねる雨の音が心地よかった。


「また、綺麗に解体したね。あぁ、これを綺麗って思うのは、人としておかしいんだろうね」

「そんなこと、思ってもないくせに」

「もちろん。ところでこれ、食べていいの?」


 二人の前には、女の死体で作られた「作品」が置かれていた。

 乳房が辛うじてぶら下がっている。切りきれなかったのか、あるいはわざとか。

 女性は服を着たまま、自らの首を乳房とともに抱きかかえていた。その顔は、死を恐れ、凄まじい形相をしていた。


「もう少し見たいから、待って。あと、勘違いしているようだけど……。これ、私じゃないわ」


 ナイフに付いた血を雨で洗い流しながら答える。

 しばらくして、返事のない秋山くんの方を見ると、驚いた顔をしてこちらを見ていた。

 数秒の沈黙。死んだように固まったまま動かない。このまま殺そうかと検討し始めた途端、答えを返してきた。

 残念。


「……納得、かな。じゃあ前の死体、あれも?」

「そうよ。ただ、殺したのは私。今回もそう。少し離れた好きにやられた。まぁ、凄くいい『作品』だとは思うけど」


 今回は5分ほどしか離れていなかったからか、あまり綺麗に解体・制作されていなかった。それでも、この解体された死体を「作品」と呼ぶには十分すぎる出来だった。まぁ美術作品に対する理解なんてあまりないし、感動するのは私や秋山くんのような異常者ぐらいだろうけど。


「納得、って言ってたわね。どういう意味?」

「だって立花さん、殺す以外の包丁さばきが不器用というか、こうゆう、手先の器用さが求められそうな作業は苦手なんじゃないかと思い始めていたんだ」


 本当に殺してやろうか。


「誰がこの『作品』を作ったんだろうね、気になるなぁ……。そうだ、小指コレクターを見つけたら次に作者を探してみる?」

「見つけ出したら殺しそうだから嫌よ。……ところで秋山くん。私に何か言ってないこと、ない?」

「……んー、あるような、ないような。いっぱいありすぎて、どれのことを言っているのかわからないよ」


 爽やかに笑い誤魔化そうとするその眼前に、ナイフを突きつける。


「誤魔化さないで、刺すわよ。……あなた、神崎創が小指コレクターだって、知ってたわね」


 秋山くんは笑顔のまましゃがみ、死体を食べやすいように分解し始めた。掴んでは引き千切り、傍へと置いていく。


「知らなかったよ、もちろん。この前情報をもらってはじめて知ったんだ。立花さんこそ、いつ気付いたのかな?」

「今日よ、美術室。相馬武人がくるのが遅れて、二人きりになったとき」

「そっか、じゃあ知ってるんだね。『約束』の話」

「……幼馴染二人が駆け落ちを約束する話かしら」

「駆け落ち!?」


 噴き出した勢いで思わず眼球を握りつぶしてしまった秋山君は、涙と笑顔と血で顔を歪ませながらその潰れた眼球を飴代わりに口の中で転がした。


「……ふっ、くっ……。ふふふっ。か、駆け落ちかぁ。そうか、神崎先輩はそう表現したんだね。いやぁ、ユニークで面白いと思うよ。さすがだね」

「秋山くん、一人で面白がってないで教えて。神崎創は、相馬武人と何を『約束』したの?」

「駆け落ちだよ。ただ、世間一般で言うようなロマンチックな逃走はしないだけだ。別の言い方をするなら……」


 眼球を飲み干し、今度は引き千切った足へと手を伸ばす。


「相対死に、ってところかな」


 ※※※


 人の人格は、生まれ育った環境や周囲の人間に影響されながら、三歳ごろには根底の部分が形成されるそうだ。

 なら、生まれ育った環境が最悪で、周囲の人間に常に罵倒や虐待を受けた人間が、普通の人間に育つわけはない。と、神崎創ぼくは考えている。

 救いの手が差し伸べられたとしても気付かないほど、深い深い闇の中、独りで泣いているのではないだろうか。


「武人、こちらへ来なさい。話がある」


 父に呼ばれた私が和室に通じる襖を開けると、その父の隣には小さな少女が引っ付くように座っていた。俯いていて顔が見えないその子は、ぼくが入ってくるのを感じてその身をさらに小さくした。


「この子は神崎創。お前と子だ。神崎家の意向で代わるまでの間、うちで預かることになった。仲良くしなさい」


 神崎家は相馬の本家で、女性至上主義の家だ。だが、当主となるべき子供が男として生まれたため、存続の危機にあると聞いていたのに、今回女である自分と代わる子供が女とは、一体どういうことなのだろうか。


「……かんざき、はじめです。よろしく、おねがいします」


 顔を上げ挨拶をする少女は、幼い顔立ちの、可愛らしい子だった。病人のように白い顔には紫色のあざが花のように咲き誇り、光を失いそうな暗い色の瞳をこちらに向けていた。その顔に感情はなく、所々に浮かぶ生々しい傷が、少女の心の傷を身体の表面に映し出しているようだった。

 

「……お外、遊びに行こう。そんなに白くちゃ、病気になっちゃうよ、はじめちゃん!!!」


 少女の手を取り、家の外へと引っ張り出す。転んでしまいそうになりながらも、少女は掴まれた手をぎゅっと握り、必死に走ってついてくる。無邪気な子供の笑い声と、使用人の嗜む声が家の中に響き渡り、静まり返っていた家の中を賑やかにしていく。騒ぎを聞いてやってきた兄ちゃんと共にまた、家の中を走り回る。

 これが神崎創そうちゃん相馬武人はじめちゃんの、出会い。

 たったそれだけの、大切な思い出。


 ※※※


「……相対死に?」

「---心中、とも言うね。相馬武人が神崎創を殺すこと。それが二人が『代わった』後に交わした約束らしいよ」


 聞いたことのある言葉ではあるけれど、どうして今その言葉が出てくるのだろうか。ますます意味が分からない。秋山くんが食事をする中で、疑問に思ったことを質問していく。まず、


 『なにを、代わったのか。』


「今の神崎先輩は、昔は相馬武人で。相馬先輩は、神崎創だったんだよ。神崎先輩は男として、相馬先輩は女としてそれぞれの家で育てられていたんだ。代わるっていうのは単純に、身分を入れ替えるってことなんだよ」


 足を食べ終わり、腕へと手を伸ばす。ブチブチと音を立てて、腕が捻じ切れた。

 

『どうして、そんな面倒なことをしたのか。』


「神崎家は女性至上主義の家で、男性の方が地位が低いんだ。男を、種を存続させるための道具としか見ていない。男尊女卑ならぬ、女尊男卑の家なんだよ。そんな家に生まれた相馬先輩がどんな扱いを受けたか、想像はできるよね。だから男ではなく女として出生届を出して、体裁を保った」


 腕を食べ終わり、内臓へと手を伸ばす。温かな血が、濡れた路上へ滴り落ちる。

 

『神崎先輩は、相馬家は、どうだったのか。』


「相馬家は最初、神崎先輩のお兄さんが継ぐことになっていたんだけど、。だからこちらも、生まれた神崎先輩を男として出生届を出した」


 内臓を食べ終わり、胴体へと手を伸ばす。皮が、ベリベリと音を立てて剥がれていく。剥がした皮をプラスチックの容器へと詰めていく。


 『どうして神崎先輩の兄は、家を継げなかったのか。』


「さぁ、そこまでは教えてくれなかったなぁ。でも神崎先輩は、そこで男の子としてではあるけど、愛されて育てられた。相馬先輩は憎まれ蔑まれて育てられた。これが二人の差。一方は愛され、一方は蔑まれて育った。そして二人を交換するにあたって、神崎の、さらに上の人間が出てきた」


 皮を詰め終わった容器を脇へ置き、食い散らかした骨や爪を別の容器へ詰めていく。秋山君の顔もその周囲も、夥しい量の血で汚れていたけれど、問題はなかった。雨がすべてを洗い流していく。

 そこに人がいた痕跡を、消していく。


『……それは誰?』


「それも、わからない。

 ―――その上の人間は、二人と十分ほど話をした。それだけで二人は全てを―――入れ替えられた」


 ※※※


「はじめちゃんの名前は、そうちゃんって読めるんだね!ぼくの名字もね『そうま』って書くんだよ。お揃いだね!!」

「おそろい……」


 暗い蔵の中、二人きりで話をする。兄ちゃんは妙にはじめちゃんを気に入っていて気に喰わないから、入れてあげない。「代わって」しまったら、兄ちゃんは毎日はじめちゃんと遊べるのだからこれくらいは許してくれるはずだ。

 そんなことを考えているうちに兄ちゃんが蔵の中に探しに来て見つかり、はしゃぎながら逃げ回る。

 はじめちゃんが相馬の家に来て一ヶ月。

 やっと、喋ってくれるようになった

 笑ってくれるようになった。

 その変化がなにより、嬉しかった。

 まぁ一番驚いたのは、はじめちゃんが男の子だったことだけど。

 そうして忘れかけた頃、神崎の家から連絡が入った。

 準備が、整ったと。


「ーーー私とお前は、これで親子では無くなる。あちらでも元気で過ごしなさい」


 ぼくを抱き寄せた父は震えていて、いつもの威厳なんて感じなかった。今ここにいるのは相馬の主ではなく、一人の父親なのだと、幼い心で理解しようとしたけれど、それよりもなんだかムズムズとしてくすぐったかった。


「……創、お前はこれが終われば私の息子になる。もう、無理に女の子の格好しなくてもいい。好きな格好をしていいんだ」

「ほんとう?」

「そうだよ、はじめちゃん。好きな格好をしていいんだよ!なんでも好きなことを、やってもいいんだよ!!」


 はじめちゃんの白くて柔らかい、小さな手をギュッと握りしめて、力強く宣言する。

 そうだ。はじめちゃんはもう、訳の分からない暴力に怯えて過ごす必要はない。

 父も、そして気に食わないけど兄ちゃんも、はじめちゃんを大事にしてくれる。神崎の家だって、望めば何度でもはじめちゃんと会わせてくれると約束した。

 だから、もう、はじめちゃんは、ひとりで苦しむことはないのだ。側には誰かが、居てくれる。

 父さんが神崎の人に呼ばれ、出て行ったちょうどその時。はじめちゃんが笑顔で、純粋な願いを告げた。


「ーーーじゃあ、わたし、おばあさまたちを、殺したいなぁ」


 その儚げな笑顔が、はじめちゃんの心に巣食う狂気を美しく飾り立てていた。6年に渡る精神的・肉体的虐待は、確実にはじめちゃんを狂わせていたのだと、思い知ってしまった。


「こんにちは」


 そこへ、がきてしまったのだから、救いようがない。


 ※※※


「……さて、と。僕の用事は終わったよ。立花さん、これからどうするの?二人の事情?を知った立花さんは、それを理由に、殺人を躊躇するのかな」


 肉、爪、骨、髪、内臓、脳味噌。

 全てを小分けにして容器に詰め終わった秋山くんは、満足そうに問いかける。

 どんな答えが返って来るか分かっているくせに、笑顔で私の言葉を待っている。

 神崎創と相馬武人がどんな関係だろうと。

 昔、どんな扱いを受けていようと。

 どんな約束をしていようと。

 殺人鬼わたしにそれは、関係ない。


「ーーー小指コレクターを、殺しに行くわ。二人の間に昔どんなことが起こっていようが、関係ない。どんな約束をしていようとも、小指コレクターは、私が殺すのよ」


 雨はまだ、降り続けている。

 時刻は午前2時06分。

 この時間帯を確か、丑三つ時というのではなかっただろうか。

 小指コレクターの犯行は、いつもこの時間帯に行われる。今日も誰かの小指を、殺して奪っているのかもしれない。

 なら今が、『小指コレクター』神崎創を狙い、殺す、最良の時だ。

 答えを聞いた秋山くんは、安心したように


「うん 、わかってるよ。じゃあ、殺しに行こうか。でもさぁ、立花さん。あっちだって、そんな簡単には殺されてはくれないよ、きっと」

「そうでしょうね。でもあなたは、どちらが死んでも満足でしょう?食料が増えるんだもの」

「やだなぁ。僕だって、立花さんが死んだら悲しいよ?まぁ死んだら生じゃなくて、ちゃんと調理して美味しく食べるから、安心してよ」

「全く安心できない」


 秋山くんと談笑しながら、血だまりを踏みつけ闇の中を進み、どこかにいるであろう神崎創と相馬武人のことを考える。

 本物の小指コレクターは、どちらだろう。


 ※※※


「こんにちは。どちらが、神崎創くんかな?」


 綺麗な人だと、思った。

 思って、あれ?と考える。

 この人はお兄さんだろうか、お姉さんだろうか。


「わたし、です。、だれですか?」


 はじめちゃんがおにいさん、と言ったので、男の人なんだなぁと納得する。でも、男の人にしたって華奢すぎはしないだろうか。


「うん、たしかに君が神崎創くんみたいだ。で、隣の君が、相馬武人ちゃんかな?」

「うん。そうだよ」

「じゃあ、丁度いいし、ここでやってしまおう。二人とも、こちらはおいで」


 知らない人には、ついていってはいけない。

 そう何度も教わっていたはずなのに、フラフラっとお兄さんの方へと進んでしまう。

 頭がボーッとする。靄がかかって、考えることを放棄しようとしている。

 なんとかしようとして、なにもできないまま、あっという間にお兄さんの側へと来てしまった。

 お兄さんはボクとはじめちゃんの手を握って、ニコニコと笑った。


「さぁ、代えてしまおうか。君たちの、一番強い想いものを教えて頂戴。それが、君たちを君たちたらしめる、大事なものなんだから」


 言葉が身体へ染み込み浸透していく。それはまるで水のように自然に。だけど同時に、すごく不快に感じる汚物だった。

 繋がれた手からはじめちゃんを大切に想う暖かな気持ちが全部全部、流れていったように感じて、心が空っぽになって寂しく感じた。

 そして代わりに冷たいもの、が一気にボク、と、流れ、


(殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺したい殺した殺した殺した殺した殺し殺し殺し殺し殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺し殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺て殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺殺破殺殺殺殺殺殺)


「あ゛ぁぁぁあ゛あ゛あぁぁあ゛ぁぁぁぁあ゛!!!」


 憎悪よりも激しく、殺人衝動が頭の中を這いずり回る。身体の全てを食らって侵して、破壊していく。熱くて熱くて苦しいのに、芯の部分がすごく冷たい。熱くて痛くて苦しくて堪らない。

 今すぐに、殺してしまいたい。

 神崎家あいつらを、皆殺しにしてやりたい。

 今まで味わってきた痛みを、全て全て全て、吐き出してしまいたい。、復讐してやりたい。殺したい、殺したい、殺したい。殺したい。殺したい。

 こんなものを抱えて、はじめちゃんはずっと、と遊んでくれてたのか。笑って、過ごしてくれてたのか。

 情けなくて、涙が出てくる。何一つ、助けてあげられていなかった。はじめちゃんの中には、「ボク」も、「相馬のおじさん」も、「相馬の兄さん」も。誰も。

 これは、なくなってくれない。

 きっともう、どんなことをしても、されても、はじめちゃんは満たされない。

 負の感情だけが、わたしの体を満たしていく。

 の楽しげな声が、わたしの精神を病ませていく。


。すごくね、すごく、あったかいよ。ありがとう、をこんなに、だいじにおもってくれて。うれしいんだ、すごく。こんなふうにかんじるのは、はじめてなんだ」


 声が遠くで囁くように響いてくる。

 その声は本当に嬉しそうで、すごく、殺したくなる。


 殺したい。

 違う。

 殺して欲しい。

 おねがい。だれか、わたしを。



「ありがとう。だから、もういいよ、そうちゃん」



 甘くて蕩けそうになるほど好きな、少女だった少年の声が頭に響く。

 何処かでケモノが吠えて、頭の中で唸りながら反響する。

 わたしを今抱きしめているのは、神崎創そうちゃんなのか、相馬武人はじめちゃんなのか。

 答えが出る前に、また、熱いのも冷たいのも痛いのも苦しいのも全部、流れていった。そして元のボクが帰ってくる。

 いや違う。

 もうそこに、相馬武人ボクはいない。そこに出来上がっていたのは、新しい神崎創わたしだった。

 帰ってきたモノも全てではなくて、何かが足りない。穴が空いているように、物足りない。


「へぇ……。おもしろいというか、器用なことをするね、神崎創くん。あぁいや、もう相馬武人くんかな。さすが、血の濃い者同士の間で生まれただけある。他の子より力の扱いがうまいね」


 お兄さんの存在が、まるで今、水面に浮き出たかのようにはっきりとする。この綺麗な存在が、今では異様なモノだとはっきりとわかる。


「せっかく神崎の呪いから解放してあげたのに。まぁ、相馬武人くんがそれでいいなら、いいのだけどね。で、君はどう感じたのかな、新しい神崎創ちゃん。呪いの一部を、受け入れた感想は?」


 お兄さんの瞳に悪意はなく、純粋な好奇心のみが存在していた。子供が新しいおもちゃを買ってもらった時のような、キラキラした瞳。

 それが、すごく、気味が悪かった。


「お兄さん、誰、なの?」

「みんなは、お館様って呼んでるなぁ。あんまり好きじゃないけどね」

「返してよ……わたしの、返して」

「言っただろう、代えるって。返すも何も、代えてしまったんだから、返しようがない。それに一部とはいえ、呪いを受けたのだから。キミはもう、神崎創になったんだから。そんなことを言う権利はないよ」


 わたしは神崎創。はじめちゃんと『代わった』、元・相馬武人。もうここに、「ボク」はいない。先ほどとは全く違うお兄さんの冷ややかな眼差しにドキリとする。

 呪いって、なんだろう。

 そんなのわたし、知らない。

 なにも、聞かされていない。「相馬のおじさん」だって、きっと知らなかったこと。知っていたとするなら、そう。

 神崎家だ。

 神崎家のことを考えた瞬間に、ゾワゾワとした気持ち悪い感情が湧き上がってくるのを感じた。

 神崎あいつらが、原因なのだとしたら。

 この感情が、はじめちゃんを構成する全てなら。

 わたしが、神崎創はじめちゃんになったのなら。


「わたしが……。はじめちゃんになったのなら」

「うん?」


 相馬武人はじめちゃんが、わたしをじっと見ている気配がする。あぁ、もう相馬武人そうちゃんと呼ばなくてはいけないのだろうか。


「神崎を、殺しても、いいんだよね?」


 お兄さんはちょっと目を大きく見開いたようだけど、それは錯覚と思えるほど短い時間だった。その代わりに、お兄さんはとっても歪んだ、気持ちの良い笑顔を見せた。


「いいよぉ?さっきも言ったけど、キミはもう神崎創なんだ。今この場で、キミは神崎家の当主となった。主であるボクがそれを宣言してあげよう。あの家は、もうキミのーーー」

「やめて」


 相馬武人はじめちゃんがお兄さんの言葉を遮った。ついさっきま弱々しく見えていたのに、今ではわたしよりも強そうだった。もしかしたら、わたしの方が弱くなってしまったのかもしれない。


「やめてよ神崎創そうちゃん。それは、ぼくがやらなきゃいけないことだよ。ぼくが、あの人たちを殺すんだ」

相馬武人はじめちゃんが、あの人たちを、殺す?」

「そうだよ。だから、だから、神崎創そうちゃんはそのままでいて。ぼくと一緒に、平和で楽しく過ごして、お願い」


 わたしにお願いをする相馬武人はじめちゃんはいつもみたいに弱々しく見えた。相馬武人はじめちゃんのお願いなら、なんだって叶えてあげたかったけど、そのお願いは、叶えることはできなかった。


「うん、わかった。やくそく。はそのままでいる。はじめちゃんのお願いだもん」


 そう言ってにっこりと、はじめちゃんにーーーあぁ、もう違う。そうちゃんに、笑いかける。

 そうちゃんは嬉しそうに手を握る。その後ろで、お兄さんが歪んだ笑顔を見せていた。


 ※※※


 少しして神崎家あいつらが慌てた様子で部屋に入ってきて、大騒ぎになった。

 お兄さんはどうやら、かなり偉い人らしい。

 そうしてわたしは、神崎の家へとかえり、そうちゃんは、そのまま相馬の家にのこった。

 お兄さんが去り際に、そうちゃんと何か話しているのが見えたけど、わたしは神崎家あいつらに急かされ、そのままかえってしまったので、何を話していたか知ることはなかった。

 ただ、お兄さんはわたしにそっと、そうちゃんに気付かれないように小さなナイフを渡してきた。

そのあとしばらく経ってから、わたしは神崎家のトップである五人を拷問の末、殺害する。


 そのことを今、死の間際、紅く染まった思考の中で思い出す。

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