綺麗で残酷で、優しい世界
わたしとそうちゃんが代わって、少しして。
わたしが一人で遊んでいるとそうちゃんがやってきて、わたしに人の指を見せた。
切断面から血がポタッと垂れて、わたしの靴にシミをつくる。
声も出せずに震えるわたしに気づかずに「きれいでしょう」と、とびきりの笑顔で指を見せつけるそうちゃんをがっかりさせたくなくて、わたしは思わず頷いてしまった。
そうちゃんはそれを聞いてますます笑顔を深くして、わたしの腕を引っ張って、入ることを禁じられている蔵へと向かう。
その蔵はそうちゃん専用の蔵で、わたしはもちろん、大人でさえもそうちゃん以外が近づくことを禁じられていた。
もちろんそのことをわたしは知っていたけど、そうちゃんに招かれたのだから、と自分で自分に言い訳をしていた。
蔵に近づくと、何かが腐ったようなひどい臭い。鉄臭い、血の臭いを強烈に感じた。
中にあるものを半分予想しながら、わたしは「開けてみて」とそうちゃんに促されて、蔵の扉を開ける。
そこに広がるのは、地獄だった。
椅子に縛り付けられた、五人の女性たち。全員指がなかった。
一人目、わたしの家のお客様。昨日廊下でぶつかってしまい、髪の毛を毟り取られた。
足には釘が打ち込まれ、逃げられないようになっていた。切り裂かれた腹から飛び出た内臓には、ハエが群がり不快な羽音を立てていた。
二人目、この家の召使い。わたしに意地悪をする人。
目と、耳と、口と、喉に釘が大量に刺さっていた。鼻が取れかけて、ブラブラと揺れていた。ハエは、前の死体よりは少なかった。
三人目、わたしの従姉。前に家に来た時、わたしを階段から突き落とした。
手は肘、足は膝から逆方向に折れ曲がっていた。足下には、抜かれた歯が転がり、口の中には歯の代わりに釘が刺してあった。ハエは、何匹か飛び回っていた。
四人目、わたしの祖母。わたしが生きていることが許せなくて、殴る人。
首が、切られて膝の上に置かれていた。首からあふれ出ていた血が、着物を赤く濡らしていた。ハエは、ほとんどいなかった。
五人目、わたしの母。わたしを見捨てて一人で逃げた人。
まだ、生きていた。
母はぐったりしていたが、まだ息をしていた。他の四人と違い、左手の小指を切り落とされているだけのようだった。
「ねぇ、きれいでしょう?ぼくがやったんだよ。こいつらみんな、君にひどいことをしたから。この人は、君にぶつかって髪の毛をむしった。この人は、君に意地悪ばかりしていた。この人は、君を階段から突き落とした。この人は、君を殴った。この人はーーー君を、捨てた。だから」
輝くような眩しい笑顔で、わたしの顔を覗き込む。
わたしがお願いするのを待っている。
生まれたことを誰にも祝福されなかったわたしを唯一、認めて、愛してくれる。
「この人も、いらないよね?」
それなら
「ーーーうん。こんな人、いらない。お願いそうちゃん。……殺して」
その一言で、そうちゃんは母の左の人差し指を笑顔で折った。
母の絶叫と、指の骨が折れる乾いた音が、蔵の中でハエの羽音と不協和音を奏でる。
どうしてわたしは、これを心地良いと感じているんだろう。どうしようもなく悲しくて、泣いてしまいたいのに、笑いがこみ上げてくる。
楽しそうに笑い、容易く大人の骨を折っていくそうちゃんを見て、わたしはついに声を上げて笑い出した。
笑い、悲鳴、羽音。
腐臭を放つ死体、夕陽のように赤い血、笑い転げるわたしたち。
小指と小指を重ねて、約束を交わす。
綺麗で残酷な世界が、わたしたちを優しく包んでいた。
※※※
「ねぇねぇ深雪ちゃん、面白い昔話聞かない?」
モデル2日目。時間は過ぎていたが、相馬武人はまだ来ていなかった。先生に呼び出されたらしいと、神崎創が言っていた。
私と神崎創だけが美術室にいた。秋山君は個人的に調べたいことがあると言って、学校には来ていなかった。
「いきなりなんですか、神崎先輩。別に聞きたくないです」
「いーじゃんいーじゃん、減るもんじゃないしさ。というか、はじめちゃんって呼んでよー、深雪ちゃん」
「呼ばないです。というか、深雪ちゃんって呼ぶのやめてください。あと抱きつかないでください」
よほど暇なのか、後ろから私の首に腕を絡めて、神崎創が抱きついてくる。嫌がる私を面白そうに笑う気配がする。
この人は、パーソナルスペースというものを知らないんだろうか。
笑ったまま、神崎創は語り始める。
「どっかの街の、広くて古ーいだけのお屋敷に、幼馴染の少年と少女がいたんだよ。二人はどこに行く時でも、何をするときでもずっっっっと一緒で、仲良く暮らしていたんだ」
耳元で囁くように話す神崎創の声に、違和感を覚える。
その声に先ほどまでの明るさはなく、むしろ、不気味なほどに暗く冷たい。別人のようだった。
同時に、自分の殺人衝動がゆっくりと心の底から溢れようとしているのがわかる。でも我慢しなくてはいけない。だって、雨はまだ降っていない。
「でもね、大人たちの勝手な判断で、二人は離れ離れになることが決まっちゃうんだ。二人は離れたくなくて、でも大人たちには勝てなくて、だから、約束をしたんだよ」
目の前の窓ガラスに映る神崎創は、うっすらと笑っていた。神崎創の茶色い瞳が、獲物を見つけた獣のように、爛々と光っている。
私の左の小指と自分の右手の小指を絡め、約束するのに相応しい童謡を歌う。
「……ゆーびきーりげーんまーんうーそつーいたーらはーりせーんぼんのーます、ゆーびきった。死んだら御免」
殺したい、今すぐに。
右手が自然と、ポケットに入ったナイフへ向かう。
「約束は、もうすぐ果たされるんだよ」
神崎創の声が、遠くから響いてくる。まるで氷のようなその声が、悲鳴に変わるのを想像するだけで、ゾクゾクする。興奮する。
どうやって、殺すか。
素直に首を横一線に切って落とすのもいい。切り落とさないにしても、血のシャワーを浴びれることは確かだ。
両手足の先を切り落として、逃亡も抵抗もできない状態で、ゆっくり殺すのもいい。
シンプルに心臓・目・頭といった正中線一突き、というのもいいかもしれない。
もっともっともっともっともっともっと。
飽きるほどに殺し尽くしたい。殺した後の甘美な余韻に浸りたい。そうでもしないと、この殺人衝動は収まらない。
熱をもった指先が、冷たいナイフに触れた。
「……そう、二人は数年後、駆け落ちすることを約束したんだよ!!ロマンチックでしょー?」
冷たい声が一転して、元の明るい声へと戻った。興奮も、熱も、殺人衝動も引いていった。虚しい。やる気が失せる。私の興奮を返して欲しい。殺せると思ったのに。
「……神崎先輩怖い話の語り部、とかになれるんじゃないですか。いい感じに怖かったですよ最後は酷かったと思いますが」
「え、そう?語り部……、悪くないね!とりあえず、目標は相馬先輩を大泣きさせることかな‼︎」
最後の言葉は聞こえなかったらしい神崎創は、私の言葉をポジティブに返してくる。しかも目標がひどい。
本当に、先ほどまでの殺意も、悪意も感じない。天真爛漫、この言葉がぴったり合わさる高校生も珍しい。まるで、小さな子供のような純粋さだ。
「……遅くなってごめん、待たせたかな」
遅れていた相馬武人が到着する。
走って来たのか、少し息が荒い。手にはプリントが一枚握られていた。
「あ、相馬先輩!大丈夫だよ、深雪ちゃんと親睦深めてたから、ちっとも待った気がしなかったよ」
「私が一方的に語られただけです。親睦なんて深めてないですよ。あと、いい加減離れてください。暑苦しいです」
「やだよー。親睦を深めた深雪ちゃんを、わ
たしは一生離さない……!」
「神崎さん、立花さんを離さないと絵が描けないよ。君から描きたいってお願いしたんだから、離さないと嫌われてしまうよ」
「もう、二人ともひどいなぁ。いいよ、今度いっぱい抱きしめるからね‼︎」
拗ねてそっぽを向いた神崎創を見て相馬武人は溜息を吐くと、自分の準備を始める。
私は握っていたナイフを離し、二人に混じって椅子や机などを隅へと運ぶ。
放課後をこうやって、騒がしく過ごすことができるのは貴重な体験になるだろう。秋山君以外のクラスメイトと、仲良くする姿など想像もできない。櫻野花と会話を成立させることすら出来ないのだから。
天気が気になり、外を見る。
暖かそうな太陽の光が窓から差し込み、優しく世界を包み込んでいるようだった。
その太陽の奥には、雨を予感させる暗い色の雲が、光を包み込もうと迫っていた。
※※※
下校時刻、私と相馬武人は、美術室の鍵を返しに行った神崎創を待っていた。
走って行ったのですぐに帰ってくると思っていたが、なかなか帰って来ない。帰ってもいいだろうか。
「……ねぇ、立花さん。神崎さんとさっき、部活が始まる前、何か話していたの?」
ずっと聞きたかったのだろう。神崎創がいない今が、最高の機会ということらしい。相馬武人がそわそわと。校舎を気にしながら問いかけてくる。
「昔話を、少し。引き裂かれた幼馴染が数年後駆け落ちをする約束をしたらしいです」
「はは、そっか。あの子らしいかな」
「……私の勘違いかもしれませんが、その幼馴染二人って、先輩たちなんじゃないですか?本当に、駆け落ちするんですか?」
「……確かに、ぼくたちは幼馴染だったけど、駆け落ちなんてしないよ、そんな」
相馬武人は、顔を真っ赤にして否定する。
「ぼくが、一方的に想ってるだけかもしれない。あの子には、他にやりたいことがあるかもしれない。あぁ、それでも……」
相馬武人が目をすっと細めて、笑う
「約束は、守らないとね」
また、約束か。二人の間には、何か変えがたい約束がある。それは、一体何?
まぁ、そんなことはもう、どうでもいい。今はただどう殺すか、それだけを考えられればいい。
神崎創のことを恥ずかしがりながら語る相馬武人の話を上の空で聞き流し、私は頭の中に凄惨で、美しい光景を浮かべながらただ、その時が早く訪れることを祈っていた。
※※※
「深雪ちゃん、帰っちゃったね」
「はじめちゃん……」
暗がりに潜んでいたはじめちゃんは、ぼくを見てにっこりと笑う。
「はじめちゃん、あの約束のこと立花さんに話ちゃダメじゃないか」
「……大丈夫だよ。ちゃんと誤魔化したもん。深雪ちゃん、殺気出しまくってたなぁ。あと少しおちゃらけるのが遅かったら、多分美術室は血の海になってたよ」
「……その話、本当なの?立花さんは、普通の女の子なんじゃないの?」
ぼくの疑問を、はじめちゃんは笑い飛ばす。
「あははっ、そんなわけないじゃん。あの子は、わたしたちと同じ異常殺人鬼だよ。わかるんだよ、同じだってことがさ!綺麗な綺麗な、赤くて歪な糸でぐちゃぐちゃに結ばれてるんだよ!わたしたちはさ!!!」
はじめちゃんは、楽しそうに笑いながらくるくるくるくるくるくる回り続ける。
しばらく一人で回り続けた後、今度はぼくの手を取り回り始める。
沈みかけの夕陽が、ぼくらを赤く染める。
腐臭を放つ死体も、それにたかるハエもここにはいないけど。
外の世界は変わらず赤く、美しく、ぼくらを優しく包み込んでいた。
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