第2話 血塗れの世界
少女は7時頃に目が覚めた。
すでに日は登っているが、カーテンを引いているため、室内は薄暗い。雨が降る音を聞きながら、入学式以降袖を通していない制服に手をかける。
そうしていると、嫌でも一昨日のことを思い出す。
今日学校に行く羽目になったのも、全て、一昨日出会ったあの少年のせいなのだからーーー。
一昨日 深夜2時
「こんばんは、立花さん」
その少年は、こちらを知っているようだった。
私は、なおも声を発さず少年を見つめていた。
その手には、ナイフが握られたままだった。
少年はそれにはま構わず、再度話しかけた。
「いやぁ、驚いたよ。窓から立花さんが出て行くのが見えたからさ。こんな時間に危ないなーと思って追いかけたらーーー」
少年は私の後ろを見ながら、話を続ける。
「まさか、殺人現場を生で見るとはね。危ないのは、僕の方だったみたいだ」
そこまで言い終えると、こちらへ向かってきた。
意味がわからない。危ないとわかっているのに、どうしてこっちに来るの?そもそも、この人誰?
「あ、その顔。もしかして僕のこと覚えてない?」
顔に出ていたのか、私の数歩手前で立ち止まると、勝手に名乗り始めた。
「まぁ、そうだよね。ちゃんと顔を合わせるのは、今日が初めてだし。
改めまして、僕のは秋山空っていいます。立花さんの隣人でありクラスメイト、だよ」
「り、隣人……?クラス、メイト……?」
混乱する私を見て、秋山と名乗った少年は嬉しそうに、「やっと話してくれたね」と言った。
「さっきから話してくれないから、一人芝居みたいで寂しかったよ。ねぇ、ところで立花さんの後ろにあるモノ、ひょっとして立花さんが作ったの?」
その言葉に、混乱していた私の頭は、一瞬で冷めていった。
ーーあぁ、そぅだった。この人殺さないといけないんだ。
さぁ、この少年をどうやって殺そうか。
冷めていた頭と体が、ほんのりと暖かくなっていく。
殺すのは簡単だ。ナイフで喉を搔き切るだけ。たったそれだけで、私はこの少年の血が飛び散る様を見ることができる。
心臓は温かいうちに取り出せば、家に帰るまでのカイロがわりになるだろうか。
さぁ、殺そう。
一歩を踏み出す直前、少年の言葉が私を止めた。
「僕と同じだね」
「…………は?」
「僕と同じだね、って。僕は、人は殺さないけどーー」
そう言いながら私の”作品”に近付くと、左手を頭蓋から抜き取った。
そしてそのままーーー、皮を、肉を、骨を、食い千切って、咀嚼を始めた。
ぺりぺり。グシャグシャ。ボリボリ。ゴキュン。
美味しそうに、少し大きい骨つき肉を食べるように、ひたすら食べていく。
どれほど時間が経ったかわからないけど、彼は左手を食べ終え、口元についた血を袖で拭うと、こちらに向き直った。
「ーー僕は人は殺さないけど、食べるんだ。
君が人を殺して楽しむように、僕は人を食らって生きているんだ。ほらね、僕たちは同じでしょ?
ーー同じ、異常者でしょ?
君が殺して作り上げて。それを僕が食べていく。いい共犯関係でしょ?」
彼はまた、笑った。無邪気そうな笑顔で、純粋そうに。
今、私一人だったちっぽけな世界が、少しだけ広がったような気がした。
ずっと雨だった世界に、太陽の暖かい光が差し込むような。そんな、気持ちだった。
「……立花、深雪」
「え?」
「わたしの名前よ。知ってるだろうけど、あなただけに名乗らせるのは気がひけるし。深い雪、と書いてみゆきよ。」
そう言って、少しだけ驚いている彼に手を差し出す。かなり照れくさいけど、握手を求める。
「……よろしく。食人鬼さん」
彼は伸ばされた手を見て、それから、
「よろしく。殺人鬼さん」
そう言って手を握った。
その顔は、やっぱり笑顔だった。でも、少しだけ照れくさそうだった。
ここに、血にまみれた共犯関係が結ばれた。
私は殺人少女と。彼、秋山くんは食人鬼。
私は彼を解体したい。人を食べて生きてきた秋山くんの内臓は、どんな色を、形を、しているだろう。
知りたいけど、知りたくない。
知るということは、秋山くんを殺すということでもある。初めて得た理解者を、簡単には殺したくない。
殺したくないと思った人は、あの人以来だろう。もう顔も思い出せないあの人。
きっとあの人よりも、秋山くんは大事な存在になっていく。そんな予感が、私の中にあった。
そう、秋山くんが学校に行こうなどと言いださなければ。
共犯関係は数秒で崩れ去り、脅迫関係へと姿を変えた。少なくとも、私はそう感じた。
あの無邪気そうな笑顔で、「家族にバレたくないよね?」とか言われたら、いうことを聞くしかない。
何が共犯だ。完璧に脅しにかかってるじゃないか。
私にも同じネタがある、と思っていたら。
「ちなみに僕の両親も僕と同じ食人鬼だよ」ときた。
頭が痛くなってきた。
トドメの一撃を食らったのは、帰り道のことだった。
秋山くんの家は本当に私の家の隣だった。
部屋まで隣だった。
さよなら、私の平和。
制服に着替え終わった後、窓を叩く音がした。カーテンを引いて見れば案の定、秋山くんがそこにいた。
雨が振っていたので窓は開けなかったが、私が制服を着ているのを見て満足したのか、笑顔で手を振って窓を閉めた。
下を指差し、もう一度笑うと、秋山くんは部屋を出ていった。
ーーまさか、一緒に行く気なの?
ため息をついて、私も同じように部屋を出る。
玄関前で一度立ち止まる。
父と母が心配そうにこちらを見ているのがわかる。
息を吸って。大きく吐いて。取手に手をかける。
大丈夫。昨日一人殺したから、しばらくは殺人衝動は抑えられるはず。
「行ってきます」
声とともに扉を開ける。
鈍い光が私の視界を白に染めて、けど、その先にいる秋山くんははっきりと見えた。
この歪で異常な関係を、世界が祝福したようにもみえて、少しだけ嬉しくなった。
血と内臓にまみれた私の世界が、広がっていく。
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