第九章 魔術の条件、神のワガママ

 都市国家ジュピテルに戻った、ある日。


「……本当に俺が教えるのか?」


「うん」


 都市の中心部にある教会へと、俺は幼馴染の少女と一緒に歩いていた。

 頷く彼女は至って真剣な眼差しであり、それなりの信頼を向けていることが一目で分かる。正直、見ているこっちが驚くぐらいだった。


「でもなあ……俺、他人に魔術教えたことないぞ? 自分から提案しといて何だけど」


「だからって教えられないわけじゃないでしょ? ……私の希望としては、ユウ君に教わりたいなー」


「その心は?」


「デートみたいだから!」


 やっぱりか。

 恋愛脳というか何というか。……まあ、彼女の方に悪気はないんだろう。昔から底抜けに明るい子だったし、真剣な表情をされたんじゃこっちが逆に困惑する。


 仕方ないから、引き受けてやるべきなんだろうか? 確かに魔術を教えるだけなら、俺でも問題はない。専門家の方が色々な予備知識も得ることが出来る、というぐらいだ。


「ねえ、いいでしょユウ君。別に減るものじゃないんだしさ」


「……分かった。お引き受けしましょう」


「やったー!」


 歓喜の声には、余計な感情が一つもない。

 彼女は鼻歌を歌いながら、俺の前を歩いていく。ジュピテルの地理にも慣れたんだろう、真っ直ぐな足運びで先導役を買っていた。


 後ろからその表情は見えないけれど、嬉しそうにしているのは容易に想像がつく。


「ふふ、楽しいなあ。やっぱりこっちの世界に来て正解だったね!」


「あんまり油断しすぎるなよ? 町中だからって、絶対安全とは言い切れないんだからな? イオレーさんだって言ってたし」


「分かってるよ。……んもう、どうしてこういう時に他の女の名前だすかなー」


「?」


 一転して不機嫌になりながら、それでも彼女は前を進んでいった。

 どうやら軽く地雷を踏んでしまったらしい。他意はない、と弁明したいところだが、彼女がそう感じ取ってしまった以上は多少なり責任がある。安易に謝るのもどうかとは思うけど。


「……ところでさ、どうしてミドリは魔術を習いたいんだ?」


 露骨かもしれないが、話題を逸らすことにした。

 気付かれたかどうか分からないけど、彼女はゆっくり足を止めてから振りかえる。んー、と口元に指を添えているのが可愛らしい。


「やっぱり、ユウ君の役に立ちたい、っていうのが一番かなー。や、別に君が頼りないとか思ってるわけじゃないよ? 凄いのは何度か見てきたし」


「それでもやるのか? 実際に使う場面があるかどうかも分からないだろ?」


 というか、使わせたくない。

 そんな保護者じみた感傷は、喉元まで来てから嚥下された。矛盾しているかもしれないが、ミドリの気持ちだって優先してあげたい。


 初恋の、生まれて初めて好きになった女性なのだから。


「私ね、重要なのは姿勢だと思う」


「姿勢?」


「そ。確かに、魔術を直接使う機会はないかもしれないよ? 全部、ユウ君がどうにかしてくれるのかもしれない」


「かも、どころかするつもり満々だぞ」


「あはは、やっぱり? ……それでも私は、魔術に興味があるかな。形だけでもいいからきちんとしておかないと、ユウ君に申し訳ないもん」


「……ミドリって意外と真面目なんだな」


「君限定でね。まあいろいろ考えすぎちゃうこともあるけど」


 これは中々ねー、とミドリは空を見上げて呟いた。

 この世界に来たばかりの頃、該当する出来事があったからこその悩みなんだろう。こればっかりは長い付き合いになるんじゃなかろうか。


「まあでも、解決策は一杯あるから。期待してるよー?」


「ど、どんなことすればいいんだ?」


「もう、分かってる癖にっ」


 口にした途端、ミドリは腕を取って抱きついていた。


「可愛がってくれれば、それでじゅーぶん。あ、他の女の子より断然可愛がってくれないと駄目だよ? 世界中の嫉妬を掻き集めるぐらいにね!」


「物凄い難易度だな……」


 しかし、満面の笑みで見上げられてしまっては頷くしかない。


 咲きかけの薔薇を見ているような、愛らしさと凛々しさが同居する笑みだった。俺を含め、周囲にいる人々がすっかり釘づけになっている。


 歳のわりに童顔よりな顔立ちも、今だけは控えめになっていた。心の中を射抜く針のような視線も、彼女の魅力を縫い付けてくる。


「あ、ほら、教会みえてきたよ! あそこでやるんだよね?」


「……切り替え早いな」


 正直、もう少し見ていたかった。

 内心で呟いた本音は、しかしミドリに筒抜けだったらしい。腕に込める力を強くして、刺激的な感触を強くする。


「そんなに残念がらないのっ。ときどき見てるでしょ?」


「お姫様、回数の問題ではない気がするのですが」


「えー、じゃあ何の問題?」


「常日頃の問題。ミドリは綺麗なんだから、ずっと見てたくなるな」


 緊張することもなく、サラッと言葉は出てきてくれた。

 数秒経った段階で恥ずかしくなってくるけど、音にした言葉は引っ込ませられない。変わってくれるのは唖然としているミドリぐらいだろう。


「ど、どどっ、どうしたのユウ君!? 熱でもあるの!?」


「ねぇよ! 素直な感想を述べただけだ!」


「おお、ついにユウ君もそこまで踏み込めるようになったんだね……!」


 ミドリは宝石のように目を輝かせているが、何だろう。絶対馬鹿にされてる。

 複雑な気分になりながら、俺は少し歩く速度を早めた。あまりゆっくりしていると、礼拝の時間とぶつかってしまうかもしれない。急がなければ。


「具体的には何をするんだっけ?」


 一方のミドリは、腕を組んだ状態を解かない。お陰で急ごうにも急げなかった。


「……まず神から魔術の使用許可を得て、それから具体的な使い方を練習することになる。ただ、この使用許可とるのがな……」


「難しいの?」


「担当する神による。自分勝手な神様ばっかりだから、たぶん面倒なことになると思うぞ」


「た、例えば?」


「そうだな……」


 直ぐに思いつく例は幾つかある。が、女性であるミドリに話したものかどうか。

 なら他のネタを、とも考えてみるが、過去のサンプルは案外と少ない。かつての仲間達でも、魔術の使用許可を神に求めた例は少ないし。


 仕方ない。勉強の意味も含めて、きちっと教えておくとしよう。


「ある全能神はな、貞淑な人妻を自分の神殿にさらってくるよう言った」


「さ、攫う? なんで?」


「その人のことが気に入ったからだと。これで女神の場合、美男子を連れて来い、ってのがあったな。ヤることヤるからって」


「サルなの? 神様ってサルなの!?」


「欲望に忠実なんだよ」


 それを世間では、サルと言うのかもしれないが。

 ようやく見え始めた神殿の入り口には、疎らな人影しか見えていない。これなら迷惑をかけることなく、神との交信を行う儀式に入れるだろう。


「うう、私一人で出来るかなあ……」


「安心しろ、基本的には助っ人ありだ」


「本当!? 良かったぁ」


 まあ俺が一緒だとしても、場合によっては面倒だろう。さっき上げた人妻を攫ってこいなんて、どうあっても簡単になるわけないし。


 果たして、どんな神が出てくるのか。

 どうせ無茶ぶりされるんだろうと諦めつつ、俺は神殿の中へ入った。

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二度目の異世界召喚は一般人のフリをしたいのに、させてくれない 軌跡 @kiseki

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