Ⅲ
「トラシュスさん。そいつ、正気なんですか?」
「いや、正気ではない。まあ正気の時もある。これだけ強大な魔物になると、意思を部分的にしか支配できないのでね。時間限定なのさ」
「じゃあ、急いで俺を殺さないといけないわけですね」
「そうだとも。貴方を生かしたままでは、いくらなんでも私の計画に支障が生じる。……ここに来てくれて、正直助かったよ」
「計画?」
まんまと誘導されたことより、そっちの方が気掛かりだった。
狙いを定めているヒュドラの前に立ち、トラシュスは後ろに手を組んでいる。
「世界を変えようと思ってね。何せもう五百年、この世界は同じままだ。そろそろ別の方向から刺激を与えないと、面白くないだろう?」
「……」
「おや、どうしたのかね英雄王。君なら分かってくれると思ったのだが?」
「いやまあ、それは」
大笑いしたくなるぐらいに、分かっている。
俺達はきっと同じ種類の生き物だ。新しい常識を作り出し、時代が生まれる瞬間に快楽を見出している。
力の充溢。それが多分、彼との間に共通する状態だ。
「外道同士、仲良くしよう。仲良く、殺し合おうじゃないか」
「……言い得て妙ですね、その外道って」
お互い、外に向かって歩いている。
俺は魔物に対して、彼は世界の支配構成に対して反論を抱いている。
「……最後にもう一度聞きたい。私と共に戦う気にはなれないかな?」
「なれません」
「理由を聞いても?」
決まってる。
「俺の大切な人を、化け物呼ばわりしたでしょう? ……今は、それが一番の理由ですね」
「ははっ、なるほど。しかし私は、あの言葉を撤回するつもりがない。謝罪する気もない。よって――」
「ええ」
戦う。
ヒュドラの咆哮が、その意思を代弁した。
動き出す八つの頭部。展開した魔弾ごと食い千切ろうと、大気を震わせて殺到する……!
「っ!」
予め構えていた魔弾は、彼らの顔面へと吸い込まれた。
仰け反り、悲鳴を上げるヒュドラだが、怯もうとはしない。一部の頭部が吹き飛ばされていようと同じだった。
治っている。
負傷した先から、次々に治癒されていく。ビデオテープが巻き戻されるように、骨と肉が再構築されていく。
これが彼の能力。不死の属性が形にする、高速再生。
何度吹き飛ばしたところで、その結果は変わらない。
「歳食ったのに相変わらずかよ……!」
全盛期と変わらない戦いぶりに、口から出るのは文句だけだ。
このまま戦い続けていたのでは埒が明かない。前回ほどの用意もないし、彼の再生能力を突破するのは不可能に近い。
なら狙うのはトラシュスだ。
彼が操っている以上、彼を倒せば止まる筈。九頭の竜、その本体を倒すよりは簡単な仕事だ……!
「っ……」
飛び掛かる頭を回避して、彼我の乖離を詰めにいく。
衝撃と雄叫びは尽きない。太鼓でも打ち鳴らすように、ヒュドラはコロッセオそのものを揺さぶっていく。
「この――」
片っ端から吹き飛ばしていくものの、順調な流れとは言えなかった。
もちろん、消耗らしい消耗はない。まだまだ魔力には余裕があるし、それこそ三日三晩の戦いになろうと生還できるだろう。
だが倒せない。
倒せなければ意味などない。この敵を越え、勝利へ到達しなければ――
「はは、どうした!?」
自分の手柄でもないだろうに、トラシュスは楽しそうに挑発してくれる。
応えられるのかどうかは、分からない。
「むっ」
ありったけの魔弾を展開して襲いかかる首を一掃する。
発生した一瞬の隙。しかしヒュドラの再生は一瞬、トラシュスを狙い撃つだけの時間稼ぎは行えない。
だが別の場所なら狙える。
天井だ。
「行け――!」
撃つ。撃ち砕く。
夜よりも暗い天井は、俺の魔弾によって木っ端みじんに吹き飛んだ。降り注ぐ瓦礫の山。トラシュスを押しつぶすには、十分すぎる規模があった。
しかし彼を守る九つの首は、それらを正確にはじき落していく。防ぎ切れずヒュドラの身体に当たる場合もあるが、彼が頓着することはない。
あくまでもトラシュスを優先に。海竜の王は初めて、自分以外の生き物を守るために動いている。
十分すぎる隙だった。
「魔弾展開……!」
「ぬ……!」
必殺は尾を引いて。
無数の閃光が、トラシュス目掛けて駆け抜ける。
「甘いぞ!」
「!?」
言葉と共に虚空から出現したのは、盾だった。かつての戦友が使用していた『女神の白盾』。
それが、撃ち込まれた光の群れを四散させる。
「さすがに撃ち抜くことは不可能なようだな! さあどうする!?」
「っ――」
瓦礫による誘導はもう使えない。すべてヒュドラの周囲に突き刺さるか、砕け散るかしていた。
九つの首が、もう一度俺を見る。
襲いかかった、その直後。
「むン!」
突如現れた半透明の壁によって、攻撃がすべて遮断された。
俺の前には杖を構える一人のゴブリン。王であることを証明するマントは、壁から流れる風に靡いている。
「ドヴェルグ!?」
「助けに来たぞ、友ヨ! ミドリが知らせてくれたのダ!」
「なに!?」
飯作れって言ったのに、アイツ。
ドヴェルグの魔術による障壁は、殺到するヒュドラの首を完全に堪えきった。が、既に次が構えられている。油断は出来ない。
「吾輩が防グ! その間に友は、敵の懐に潜り込メ! 至近距離での魔弾なら貫通できるだろウ!?」
「分かった……!」
直後、ヒュドラの攻撃が再開した。
四方八方から首が流れ込む。正面だけの防御では間に合う筈もなく、ドヴェルグは全方位に障壁を展開させた。
隙を見計らい、首の間を駆け抜ける。
背後から追い縋るヒュドラ。しかしその行為を、突き刺さった瓦礫やドヴェルグの障壁が妨害した。
目の前には、未だに余裕を崩さない敵の姿。
「くらえ……!」
「――」
その瞬間にも彼は笑って。
光の中に、消えていった。
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