Ⅲ-Ⅱ
「ありがとう。主人の家はコントスの近くにあるから、明日にでも案内するよ。彼女も喜んで会ってくれるはずさ」
「ってことは貴族の豪邸ですか!? やったねユウ君、フカフカの――」
ベッドのことを言うのかと思いきや、ミドリの面持ちは途端に切り替わった。
らしくない鋭い眼差しで、彼女は船首の方へと駆けていく。俺とセネカも、お互いに顔を見合わせた後で追いかけた。
近くでは船乗りや商人達が狼狽を露わにしている。中には急いで駆け出す者もおり、ただならぬ事態へ陥っていることを理解させた。
「あれは……」
俺達が乗っている船の進行方向には、一隻の船が浮かんでいる。大きさも然して変わらず、同業者じゃないかと直感した。
しかし、船首側に大きな違いがある。
像だ。木製の、女性を象ったモノ。人によっては女神にも見えそうなデザインで、どこか威圧的な気配を醸し出している。
権力者側の存在であることは一目瞭然。セネカも、頭痛を堪えるような仕草をしていた。
「困ったな……」
「まずいんですか? やっぱり」
「うーん、命を取られる程じゃないんだけどね。……あの船はコントスの領主が使ってる船でさ、検問を行ってるんだよ」
「こ、こんな海の上でですか?」
「陸に上がっちゃうと、誤魔化されるパターンが多いからね。まあ単に、向こうが反抗的っていうだけなんだけど」
「……どういう人なんですか? その領主って」
ミドリは今も、慌てふためく人々の最前列。彼らの邪魔にならない場所で、次第に大きくなる船影を見つめている。
「コントス領の領主は、珍しい男性貴族でね。中立性を確保するため、コントスに近い都市国家の女王達が推薦した家系だ」
「でも、普通の人じゃないんですね?」
「まあそうだね。コントスの領主に任命されてから、徐々に黒い噂が出るようになったんだ。窃盗団を率いているとか、逆らった商人を殺害してるとか」
「おおう、そりゃまた……」
「黒だろう? まあそんな彼のことを、各国は上手く利用してるみたいなんだけどさ」
「……」
利用している側の方が怖い、と思うのは不自然だろうか?
そうこうしている間に、向こうの船とこちらの船が隣接する。乗り込んでくるのは白いコートを着た男達。船長へ文字の羅列している書状を突き付け、抵抗するな、と睥睨していた。
船員たちの目はお世辞にも歓迎的ではない。小声で愚痴を零す者、露骨に舌打ちをする者が多数だ。向こうも向こうで、逐一構ったりはしなかったが。
「さて、僕も色々隠そうかな」
「へ?」
「いやほら、君から買った素材があるだろう? あれ、役人達に見つかったら没収されるかもしれない。貴重なものだからね」
「じゃ、じゃあ急がないと」
彼らの注目を避けるため、俺とセネカはこっそりと甲板を抜け出そうとする。
だが。
「おい、そこの女」
「?」
乗り込んできた役人の一人。仰々しいぐらい純白に染められたコートを着た男が、ミドリに声をかけている。
当然ながら無視など出来ず、俺は大股で近付いていった。ほどほどにねー、と置いて行かれたセネカは他人事のように忠告する。
男は舐め回すように彼女を凝視した後、ポケットから魔石・アラウネ石を取り出した。
「いくら欲しい?」
「は?」
「悪くない女だから、買ってやると言ったんだ。いくら欲しい?」
「……」
呑気に船を見つめていたミドリの目が、突如据わったモノへと変化する。あ、ヤバイ展開だこれ。
既に彼女の右手は震えていた。無論、怒りで。目立ってしまう危険性を考慮しているのか、あと一歩のところで留まっているようだけど。
なんか、手を出すまでもないような。
しかし男としての意地に押されて、俺は二人の間へ割り込んだ。
「? なんだ貴様……こちらは取引の最中だ。下がりたまえ」
「下がるのはそっちでしょう。彼女、俺の身内なんで」
「何? ……だとしても関係はない。私の主人から、目ぼしい女は買って来いと命じられている。たとえ他人の女だろうと関係――」
口上を述べ終えるより先に、男は全身の力が抜けたように倒れてしまった。……やり過ぎたかな、と思っても時既に遅しなので気にしない。
使ったのはもちろん魔眼である。相手の目が見えるほどの至近なら、十全の効果を発揮できるわけだ。
「ゆ、ユウ君、やり過ぎじゃ……」
「うむ」
間を置かず同意を示した頃には、彼と一緒に乗り込んできたお仲間さんが騒いでいる。なお、肝心の当人は泡を吹いて失神していた。
本当にやり過ぎだったかもしれない。船酔いで意識を失いました、なんて言い訳が通用するだろうか?
とはいえ、
「おおっ、さすが冒険者!」
などと、歓声が湧きおこっていた。
決して悪い気分ではないのだが、こちらの都合を斟酌して欲しいの一点に尽きる。まだコントス到着まで時間がありそうだし、説明して回る必要がありそうだ。
「ふむ、素晴らしい」
向こうの船から、新しい男性の声が聞こえてきた。
釣られて一瞥すると、ユキミチに負けじ劣らずの美青年がそこにいる。格好は彼の同僚と同じ白のコート。底の見えない色はおぞましいぐらいで、本人の非人間性を比喩していた。
歳は三十歳と少しだろうか。大人だろうと簡単に怯ませる刃物のような眼光が、俺一人に注がれている。
不安で手を取ってくるミドリに、俺はきちんと握り返した。
「貴方は?」
「コントス領の領主、トラシュスだ。……仲間が世話になったね。私の屋敷でお茶でもどうだろう?」
「……」
唐突な誘いに苦笑を隠せない。
どう考えたって罠だ。セネカから事前に噂を聞いていた分、余計に確信する。
「すみませんが、お断りします。仕事の最中ですので」
「……そうかね」
最後にもう一度だけ俺を睥睨して、トラシュスと名乗った貴族は甲板の奥へと戻っていった。
ややあって、怒号に近い出港を指示する声が。こちら側の船に渡っていた男達が、駆け足で元いた場所へと戻っていく。
トラシュスの乗る船は、帆を張ることもなく前進。徐々に俺達の前から離れていった。
「――魔石だね。船の底に敷きつめて、推進力を生みだしてるんだ。この船にも、多少だが仕込んであるよ」
と、いきなり説明を開始したのはセネカだった。
俺も知りたかったところではあるので、ごく普通に反応する。剣呑な空気の名残と言えば、不満気に口を尖らせているミドリぐらいだった。
「っと、皆さんに事情を説明しないと……」
「僕も手伝おうよ。ここの人達には、僕の方が顔は知れてるしね」
「ありがとうございます、セネカさん」
船の方も再出発。風と魔石の補助を受け、コントス領に向けて動き出す。
俺の脳裏にあるのはトラシュスの顔だった。深い憎悪に肩まで使っているあの目は、簡単に忘れ去ろうとしても忘れられない。
ただ、恐怖はなかった。
きっと楽しいことになると、一方的に期待が膨らんでいる。アレだけの目が出来る人間はそうそういない。ユキミチが激怒したとしても及ばないだろう。
感情の詳細は図れないが、これだけは言える。
叩き潰すには、ちょうどいい相手だと。
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