Ⅲ-Ⅰ

 村へ行くと、まず聞かれたのは海竜のことだった。


 俺達が移動してしばらく経った頃、海竜は湖の中から突然現れたらしい。村は当然のことながら混乱に包まれ、逃げ惑う者達で埋め尽くされたそうだ。

 しかし実際のところ、海竜は村を襲わなかった。船が波に揺さぶられたぐらいで、これと言った被害は出なかったらしい。


 だが、彼らの不安は別の方向へと向いた。俺達が通過するであろう街道へ、海竜が向かってしまったためである。


 止める手段などない村人たちは、それを黙って見ているだけ。俺やミドリが無事なのかと、ずっと肝を冷やしていたらしい。


「いやー、ビックリだよ。まさか海竜と親しくなっているとはね」


 波に揺れる船の上で、セネカはほうと感心していた。

 船の後方にある村の姿は、徐々に小さくなってきている。沖には何十という人の陰影。もう顔も分からない距離だが、彼らはまだ俺達を見送っていた。


 船の行先はもちろん北の港町。コントスと呼ばれる巨大な商業都市らしい。


「向こうに着いたらお礼をさせてほしい。皆もそう言ってる」


「そうですか? じゃあ、お言葉に甘えて」


 礼儀は忘れず、されど謙遜が過ぎないよう、俺は丁寧に対応した。


 海竜が移動したこと、また無害であることを知り、セネカを始めとする商人達はさっそく船に乗り込んでいた。彼らの顔にあるのはいずれも安堵。中には数日間足止めされていた者もいるようで、喜びのあまり酒を飲もうとする始末だった。


 そんな小さな騒ぎを得て、船旅は順調に進んでいく。


「わあー!」


 甲板から少し身を乗り出して、ミドリは風を全身に浴びている。

 地平線の向こうまで青一色。ほのかに塩の香りがする辺り、やはりここは海なんだろうか? アデルフェは湖と呼称していたが。


「気持ちいいねー、風。ほらほら、ユウ君もこっちきなよ! 北側もよく見えるし、一番最初にコントスが見えるかもよ!?」


「随分と楽しんでるなあ。落ちるなよ?」


「大丈夫だいじょーぶ!」


 余計に心配だ。

 しかし彼女の感動は分からなくもない。少なくとも俺だって、始めて海に出た時は妙な高揚を覚えた。当時の船長は冒険心だ、と呵々大笑していたっけ。


 ミドリも同じなんだろうか? 地球に住んでいた頃、海に行ったことは彼女も無かった筈だし。


「……いいねえ、青春ってのは」


「はい?」


 隣に立っていたセネカは、腕を組みながらうんうんと首を縦に振っている。なお、背中にあるバックは別の場所に下ろしていた。

 いやさあ、と彼は前置きして、少し苦い表情を浮かべている。


「この辺りの国家は、女性社会だって知ってるだろ? だから僕ら男は、恋愛とかするのが難しくてねえ。女性と知り合う機会が制限されてるってのもあるんだけど」


「そうなんですか? ジュピテルの町だと普通に見ましたけど……」


「うん、確かに出歩く分には普通に会えるさ。でもそこからがねー。お茶に誘おうとするだけでも、物凄い難度が上がるんだよ。睨まれて終わり、なんてこともあったね」


「マジですか……」


 千年前とは偉い違いだ。あの頃は男性主導だったのに。

 時代が変わり、文化も変わったということだろう。男女の恋愛環境がそこまで激変しているとは、大して考えていなかったが。


「……なあユウ君、よければ僕に女性の誘い方を教えてくれないかい? このまま独身で過ごすのは、ちょっと気が引けるんだよね」


「お、俺ですか!? いや、こっちが教えて欲しいぐらいなんですけど……仲良くなったのも、ほんと急激にですし」


「む、そうなのか。君達を見てると、熟年夫婦に見えたりしたんだけど……」


「いやいや」


 過大評価にも程がある。そりゃあ付き合いは長いが、人生の伴侶と呼ぶほどお互いのことは理解していない……んじゃないだろうか?


 もっとも、そういう控え目な考えは俺に限定されたものらしい。耳を欹てていたらしいミドリが、勝ち誇った面貌で近付いてくるのだ。


「いやー、さすがセネカさん、見る目がありますね! 私とユウ君は、それはもう物心ついた時からの関係なんですよ!」


「ってことは幼馴染かい? いいねえ、僕もそういう相手が欲しかったよ。近い相手といっても、主人の娘さんぐらいしかいなくてねえ」


「えっ、幼馴染ですか!?」


 他人の恋愛にも興味があるようで、ミドリは目を輝かせながらセネカに詰め寄る。……少し嫉妬したくなったのは、まあ内緒だ。

 一方の商人はうろたえつつ、一歩だけ後ろに下がる。


「違う違う! どちらかというと、妹みたいなもんだよ。歳の差だって三十ぐらいあるし、仮に手を出したりしたら、僕の首が刎ねられるからね? 今までも何度疑われたことか……」


「た、大変ですね」


「まあ主人は娘さんを溺愛してるからねえ。こうして僕らが話している間も、結婚相手を探そうと奔走しているよ。――うん」


「……」


 嫌な予感がする、とはこのことだろうか。

 セネカは品定めをするように、俺のつま先から頭へと視線を運んでいく。途中で何度も納得しているのが実に恐ろしい。


 まあ、光栄と言えば光栄かもしれないが。

 最後に頷くと、セネカは俺の手を取ってきた。


「お願いだユウ君! 主人の娘と、会ってもらえないだろうか!?」


「はあ!?」


「はあ!?」


 幼馴染と揃って、喉を通ったのは驚愕だった。

 直前の流れから予想していたとは言え、いくらなんでも急すぎる。そもそも、ミドリから心変わりする気は少しもないのであって。どれだけの美女、美少女だろうと、期待には応えられない。


 セネカもそれは理解しているんだろう。握る手の力を強くしつつ、眉間からは力を抜いている。


「会うだけでもいいんだ! なにせ彼女、男性に対してまったく耐性がないんだよ。もう結婚できる年齢だし、どうにかしてやりたいんだ」


「そ、そう言われても……」


「私同伴ならいいですよ!」


「お、おいっ!」


 反論むなしく、セネカはミドリに感謝を告げている。

 本気で断りたい気分なのだが、一番嫌がるであろうミドリはすっかりその気だった。会わせるぐらいなら、とセネカに忠告だけはしているが。


 いったい何を考えて同意しているんだろう? そもそも俺は、ミドリほど外向的な性格をしていない。男に慣れさせると言っても、力になれる予感はなかった。


「だいじょーぶだって! 私に任せなさい!」


 責任感に欠けた軽い抑揚で、彼女はグッと親指を立ててみせる。

 俺は堪え切れない嘆息を零しながら、仕方なく頷くことにした。さっきまで反対だったのに何だが、ミドリに言われると無条件に信じたくなるというか。

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