Ⅱ-Ⅰ

「オ、オイ! 暴レルナー!」


「ウオッ!? 潰サレル、潰サレルー!」


 そう言いながらも、ゴブリン達は懸命に努力している。

 彼らが手に持っているのは、すり潰して溶かした『アネモネの霊草』が入っている壺だ。本来の霊草と同じく、魔力によって薄く発光している。


 改めて見ると神秘的と言うより、少し不気味な雰囲気さえあった。言ってしまえば青汁が発光しているようなもの。間違っても口に含みたくはない。


「……なあドヴェルグ、大丈夫なのか?」


「何がダ?」


「いやほら、海竜に薬塗ってるゴブリン達。何度も振り落とされてるぞ?」


 しかしその度に、彼らは諦めることなく海竜の身体を伝っていく。

 一方の海竜も治療の必要性は分かっているようで、そこまで激しい抵抗はしていない。が、霊草を傷口に塗られると途端に暴れる。


無論、本気ではないんだろう。もし本気だったら、俺達は今ごろゴブリンの巣に埋まっているところだ。


「心配はなイ。ゴブリンに純粋な物理攻撃は効きにくイ」


「そ、そうゆう問題か? 大変なんだか……」


「気にするなと言ったろウ? 少なくとも吾輩や他のゴブリンは気にしていなイ。素直に好意を受け取ってくれれば、吾輩達は満足ダ」


「そうか?」


 座ったまま、俺は海竜の方に視線を戻す。

 本音を言うと、一番心配なのはミドリのことだ。彼女はよほど海竜のことが心配らしく、ゴブリン達による治療をじっと見守っている。


作業が開始される前、どうしても手伝いたいと申し出たのは勿論。今だって海竜が暴れる度、心配そうに手を伸ばそうとする。


「大丈夫かね……」


「あれ以上近付かなければ、巻き込まれる心配はあるまイ。巣が崩壊する危険性もまず無いナ」


「お前が作った杖のお陰で、か?」


「うむ、さすがだな友ヨ! 吾輩の努力をよく分かっていル!」


 子供とそう変わらない長さの腕で、ドヴェルグは俺の背中を叩いてくる。力だけは見た目以上のもので、つい咳き込んでしまった。


「そういえば、一緒に転移させた人間はどうすル? お前と戦っていた方のことだガ」


「あー、適当に逃がしちゃっていいぞ。ドヴェルグが良ければだけどな」


「吾輩はまったく問題ないゾ。ただ、巣の位置を知られると面倒なのでな、眠ってからこっそり放り出そうと思ウ」


「ああ、そうしてくれ」


 一人外の世界に放置された彼がどうなるか。少し心配ではあるが、最終的にはどうなろうと知ったことではない。迷子になるなりどこかの町へ逃げるなり、好きに生きてくれて結構だ。


 俺の同意に頷いたドヴェルグは、そのまま隣に腰を下ろす。


「いやはや、騒がしくて良いことダ。ここ何十年も、ゴブリンは外に干渉することが無かったのでナ」


「やっぱり退屈か? 地下に引き籠るってのは」


「もちろン。まあ中には平穏な日々が一番だと言う者もあル。……しかし吾輩にとって、張り合いがない生はどうもナ」


「はは、昔が懐かしいか」


 先ほどよりも強く、ドヴェルクは肯んじる。

 その気持ちは俺も痛いほど理解できた。魔王を倒し、世界を救ったその直後。日常に戻された時の虚脱感は、昨日のことのように思い出せる。


「正直、友が現れた時は胸が躍っタ。こいつはまた、何か面白いことを仕出かすんじゃないか、とナ」


「おいおい、戦乱の時代は面白かったのか?」


「面白かったとモ。――いや、価値があったと言うべきカ。永遠にアレを続けるのはご免こうむるが、平和が続きすぎると懐かしくなるものダ。暗黒時代からも五百年が経過しているしナ」


「……ま、そうだな」


 食生活と同じだ。毎日同じ物を食べていたんじゃ、胃袋はさすがに飽きるし、栄養だって偏ってしまう。別の方向から刺激を受けることが、人間たまには必要だ。ドヴェルグ魔物だけど。


「……でもさ、魔物と人間の共存なんてやったら、それこそ長い平和の時代だぞ? いいのか?」


「到達するまでは、戦いの連続となるだろうがナ。それに共存社会を作ることが出来れば、吾輩も少しは羽を伸ばせるというもノ」


「何かやりたいことでもあるのか?」


「無論ダ。世界中を旅して、吾輩に相応しい伴侶を探し出すのダ!」


 やっぱりそれか。

 言葉には出さずとも、自然とあきれ顔になってしまう。が、ドヴェルグの方はそれに気付かず、まだ見ぬ運命の女性へ想いを馳せているよう。


「式には必ず呼ぼウ! 場所は……やはり我らが栄光の地『帝都・ノヴァスティーノ』にするべきだナ!」


「どこだ? そこ」


「む、そうか、友が姿を消した後だから知らぬカ。あー、ほら、魔王討伐のため、吾輩たちと人間の間で連合軍が立ち上げられただろウ? その式が舞台になった都市だ」


「あー! あそこか!」


 俺が知っている名前は別だが、あそこは確かに栄光の地かもしれない。拮抗状態に入りつつあった人間勢力が、完全に逆転する切っ掛けを生み出した都市だ。


 英雄王という渾名を賜った場所でもあり、当時の関係者は誰もが懐かしむだろう。


「ノヴァスティーノは現在も存在していル。かつては世界国家の首都でもあったのでナ。最盛期ほどの勢力ではないが、それでも強い影響力を持っている」


「……じゃあまた、魔物との共存はそこで決めたいもんだな」


「おお、名案だナ! 亡き同胞たちも歓迎してくれるだろウ!」


 同胞、か。

 ドヴェルグのような場合はともかく、当時を生きていた人間は俺を覗いて一人も存命していないだろう。


 しかし生きていた証拠、死んだ証拠は残っている筈だ。誰もが一角の英雄であり、中には小国の王もいた。

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