「あの魔物を直に見た物は一人もおりません。日中に影を、夜間に鳴き声を聞くだけです」


「そうですか……」


 テーブルを挟んで向き合う村長へ、俺はきっと残念そうな顔を向けていることだろう。


 セネカの言った通りだった。魔物は明確な形も、どんな種類なのかも分からず仕舞い。影に遭遇した村人がいても、直ぐに村へ引き返したため詳細は分からないという。

 それでも村長は、厚かましいぐらいの顔で要求してきた。


「セネカ様、ユウ様、どうか魔物を退治して頂けませんでしょうか? このままでは漁に出ることが出来ません。村にとっては死活問題なのです」


「……分かりました」


 方法は見つかっていないが、今は頷くしかあるまい。

 無視できない事件なのは確かだ。放っておけば、ユキミチのやつが魔物を殺してしまうかもしれないし。


 無論、件の魔物に敵意があるなら、その生死について首を突っ込む気はない。戦う意思があるのなら、それはそれだ。

 しかしミドリいわく、苦しんでいるとのこと。どうにか救う手だてを立ててやりたい。


「い、いいのユウ君? 方法とか決まってないのに」


「後で思いつけば帳消しだ」


 終わり良ければすべて良し、の強引な理論である。


 感激のあまりか、村長は涙を浮かべながら何度も何度も感謝を示した。受けているこっちが、つい引いてしまうぐらいの勢いである。

 彼を宥めた後、俺とミドリ、セネカの三人は青空の下へ。


「――さて、どうするよ?」


「ユウ君、本当に考えなしだったんだね……」


「だから言ったろ、思いつけば帳消しだって。――セネカさん、魔物の目撃がどういう状況下で起こったか、知ってますか?」


「ある程度はね」


 相変わらず身体に似合わないバックを背負って、彼は停泊している船を指差す。


「最近の目撃情報は、あの船からだ。本来はここを経由して北に向かう予定だったんだけど、魔物の影に遭遇して戻ってきた。大パニックだったそうだよ」


「船は何を運んでるんですか?」


「食料全般かな。この村に来ているのもね、魚を買うためなんだよ。逆に売ったりもしてるけどね」


「となると、空腹で船に近付いた、って可能性が?」


 だろうね、とセネカは間を置かずに首肯する。

 なら願いを叶えてやるのが、魔物を引かせる最善の策だろう。どれぐらいの量が、どんな食糧を求めているのかは不明なままだが。


 会話に混ざってこないミドリは、一人息を飲んで集中している。

 ややあって、彼女の顔付きが徐々に渋くなった。魔物が置かれている状況は危険なものだと、傍観している俺にも伝わってくる。


 諦めて目を開けると、ミドリは肩を叩いてきた。


「……ねえユウ君、昨日の霊草を使うのはどう? 怪我、治す効果があるんだよね?」


「ああ。魔物に使うってことだろ?」


「うん、怪我してるみたいだし……あれ、でも霊草ってどうやって使うの? 食べればオッケー?」


「治療に使うんなら、傷口に塗らないと駄目だ。ちなみにめちゃくちゃ痛いぞ」


「つ、使ったことあるの?」


「もちろん」


 思い出したくもない激痛である。

 でも思い出しちゃったわけで、自然と身震いしてしまった。いやでも、あれは本当に痛い。傷口広げられてるんじゃないか、と錯覚するぐらいだった。


 正体不明の魔物へ使うには、かなり危険を伴うだろう。暴れられたら一たまりもないわけで。


「魔物さん、我慢してくれないかな?」


「それは向こうに聞かないと分かんないな。治癒力を高めるって意味じゃ、普通に食べるだけでも効果はあるかしいけど」


「じゃあそれにしようよ! ドヴェルクさんから一杯分けてもらってさ、水の上に浮かべるの! 物量作戦だよ!」


「これ以上は世話になれんだろ……」


 昨日、タダで譲ってもらったばかりなのだ。また世話になるなんて、さすがに抵抗感がある。

 依頼のこともゴブリンのことも知らないセネカは、不思議そうに眉根を寄せていた。……この話、人前でするのは止しておこう。


「まあでも、傷ついてるってのは重要な情報だな。……セネカさんは何か、意見あります?」


「んー、意見ってわけじゃないけど、会う方法も考えた方がいいと思うんだ。ほら、魔物は船を襲ってないし、こっちを警戒してるんだろう? 治療に食料にしろ、その問題を突破しないと」


「そうですね……せめて、警戒している理由が分かればいいんですが」


 順当に考えれば、人間を脅威だと認識しているからだろう。

 しかしそれなら村に近付いてくる必要はない筈だ。巨体故、仕方なく姿を晒してしまったのかもしれないが。


「でも鳴き声を聞いた村人がいましたよね? 自分の存在を主張しているようにも感じますが……」


「確かにその通りだね。親と逸れてしまった、とかかな? どこかで改めて、情報収集したいところだねえ」


「とすると――」


 北にあるらしい港町が候補になる。

 俺にまったく異論はない。ミドリの方も、頭の中が観光一色で染まっていることだろう。セネカの話なんて、頭の中からすっかり弾き出されている。


 まあその方が、俺も少し気が楽になるってもんだが。


「行ってみるかい? 北の町に」


「まあ情報の集まりそうな場所ではありますからね。セネカさんはどうします?」


「あー、よければ僕も同行していいかな? そこから王国の外に出て、君から買った素材を売ろうと思っていてね。歩いていくのも大変だし」


「な、なるほど」


 巨大バックを視界に収めながら、俺は堅い動きで首を振る。

 こんなものまで馬車には入らないぞ。誰かが外に出れば、なんて方法でも解決できない。中に入ること自体が出来ないのだ。


 セネカはそれを知っているのか知らないのか。申し訳なさそうに細くなっている彼の目を見ると、こちらも事実を突きつけることに躊躇いが出る。


 だが、真実を覆い隠すことは出来ず。

 泣く泣く、彼とはその場で別れることになるのだった。

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