Ⅲ-Ⅱ

「でも大変ですね、わざわざ寄り道なんて」


「けっこう怖がってる人が多くてね。まあ正直なところ、僕は騒ぎすぎだと思うんだが……ミドリ君が言ったみたいに、魔物は助けを求めているようだし」


「どうやって助けるかが問題ですね……」


 姿は見えず、そして何を苦しんでいるのかも分からない。


 ただ海竜だとすれば、いつか水面に顔を出すだろう。彼らは肺で呼吸する。一度の潜水時間は数時間にも及ぶらしいが、それでも限界は来るものだ。

 きちんとしたタイミングを狙えば、問題なく姿を捉えられる。


「……げえ」


「?」


 村長の元に向かう最中、セネカは嫌悪感たっぷりの声を漏らした。

 湖の方を向きながら歩いていた俺は、警戒心を強くしながら正面を向く。身体に浅く力を入れて、実力行使する準備も忘れない。


 まあもちろん、穏やかに終わるのが一番ではある。


「おいおい、君達か」


 そんな望みは、やっぱり刹那の間に消えていた。

 ユキミチだ。以前と同じように女達を引き連れ、我が物顔で村の中を闊歩かっぽしている。当然、誰一人好意的な目を向けてはいない。


 彼の後ろにいる取り巻きという名の監視も、辟易とした表情を浮かべていた。


「さすが正義の使者様だな。忙しそうで何よりだ」


「ああ、暇そうなお前とは違うんだよ。……ね、木島さんもコイツと一緒にいて退屈でしょ? 僕と一緒にくれば楽しいよ? 女友達だってきっと出来る」


「――」


 途端、空気が凍りつくような気配があった。

 同性の友人がいないことは、ミドリにとって触れて欲しい話題じゃないんだろう。気安く踏み込んだ馬鹿を、殺しかねない勢いで睨んでいる。


 もちろん敵意を向けられている本人は気付いていない。目立ちたがりの癖に、不都合な感情へは鈍いようだ。


「んで、何しに来たんだ?」


「決まってるだろ、噂の魔物を倒しに来たんだよ。皆が困ってるなら、見捨てるわけにはいかないだろう?」


「……召喚された直後、要求を断ろうとしたやつだよく言うな」


「ふん、あれはクラスの皆を守ることを優先させただけさ。向こうが正義を聞くような耳を持っているかどうか分からなかったしね」


「正義、ねえ」


 よくもまあ、軽々しく口に出来るものだ。

 お陰で苛立ちが、反論への導火線に火を点けつつある。道理も倫理も関係ない、個人的な感情を爆発させようとして。


 ――しかしこの男と論戦をして、どこまで意味があるのだろう。真摯に耳を傾けるのは、俺も彼も出来やしまい。お互いに嫌ってるんだから。

 なら平静を維持しよう。


 傀儡が空回りした挙句、破滅する様子は見ていて楽しいんだから。


「んじゃ、お仕事がんばってくださいね、正義の人」


「君に言われるまでもないね。……じゃあ木島さ――いや、ミドリ。僕と一緒に行こう。美味しい料理も、綺麗な服もたくさん用意するからさ」


「……」


 認めたくないが金の取れそうな笑顔で、ユキミチはミドリの手を取る。


 あとは一瞬。

 目に見えない速度で、優男に平手打ちがぶち込まれたのだ。


「あぎ……っ!?」


 数歩よろめいて、そのままユキミチは尻餅を突く。

 突然の出来事を理解できず、彼はあんぐりと口を開けて固まっていた。正体を隠している監視者ですら同じ反応。村の人々やセネカだって例には漏れない。


 正直、俺も言葉が浮かばなかった。貶すぐらいはするだろうと思っていたが、まさかそれを上回る行動に出るなんて。


「な、な、何なんだよお前ぇっ!」


 左の頬だけ赤くしたまま、ユキミチは大声と唾を吐きながら立ち上がった。

 それに反して、ミドリは冷静なままである。いや、冷徹というべきだろうか。もともと端整な美人なだけ、無表情になると女帝のような凄みを帯びる。


「私、人の心へ土足で入り込んでくる人は嫌いなの。覚えておいて」


「な、何だとっ!? 僕に気遣いが出来てないっていうのか!? 友達を用意してやるって――」


 今度は、生々しい打撃音が響いた。拳へランクアップしたのである。

 また倒れ込んだユキミチに言葉はない。ただ口をパクパクさせているだけで、何が起こったのか理解することに必死である。


 ……しかしまあ、ここまでやられるとは。逆襲されそうで面倒だが、胸の中は反面スッキリしている。


「っ――」


 息を乱している彼は、覚束ない足取りで立ち上がった。


 取り巻きの一人である美女の肩を借りて、ユキミチは情けない背中を晒してくれる。

謝罪を挟む監視役の女性達。村人に対してもそれは向けられて、緊迫した状況を解くのに一役買っていた。


 まあ、最大の立役者については言わずもがなだが。


「よっしゃ、決まったね……!」


 小さくなっていくユキミチを、ミドリは握り拳を作って見送っている。

 すると、彼女を讃える拍手が次々に聞こえてきた。俺もまったくの同意見で、彼らに混じって手を叩く。


 一斉に集まる眼差しへ、さすがのミドリも喜びを隠していない。


「や、やだなあ、そんなに褒めないでよ。つい手が出ちゃった感じだし」


「いや、でも見事だったぞ。最初のビンタなんて、見えなかったしな」


「そう? じゃあ今度、ユウ君に披露してあげよっか?」


「勘弁してください」


 一生もんのトラウマになる。

 にしても、どうしてユキミチはこの村に来れたんだろう? 国の大事なイベントが控えてる最中に、上手く抜け出せるものだろうか?


 手段としては転移陣が上げられる。が、アデルフェいわく気軽に使えるものではないらしい。昨日の俺達はあくまでも例外だ。


「とすれば、支援者がいるのか……」


「?」


 有り得ない話ではない。勇者関係の人物であれば、彼と手を組む理由もあるだろう。監視がいる中で、の前提つきになるが。


「ああ、村長」


 自分の世界に片足を入れ始めた直前、セネカの一言で現実に引き戻される。

 視線の向いた先には、他の村人と同じように拍手をしている老人が。皺だらけの顔に曲った姿勢と、それなりに年齢を重ねている老人である。


 彼は一礼を挟むと、自分の家へ来るよう身振りで示した。


「じゃあ行こうか。最低限、挨拶はしておいた方がいいしね」


「はい」


 セネカに続いて、俺とミドリは村長の後を追っていく。

 幼馴染は何故か、歩きながらシャドーボクシングに興じていた。

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