Ⅲ-Ⅰ

 目指すクレーネ湖までは、王女が用意してくれたらしい馬車で向かうことになった。

 監視でもしてるんじゃないかって準備の良さだが、気にしたら負けな気がするので気にしない。


 街道に沿って、馬車は北西の方角へと急いでいく。

 途中ですれ違うのは他の馬車や、ギルドの冒険者と思わしき者達だった。昨夜の宴会で見ていない顔がほとんどである。


 どうやらジュピテルには、アデルフェが管理する以外にもギルドが存在するらしい。


「大御所からの仕事は、きっちりやった方が良さそうだな……」


「どうして?」


「他のギルドと差をつけられたりしたら、アデルフェさん達が困るかもしれない。信頼が簡単に落ちるなら、取り戻すのも大変だろうし」


「まあ確かにねー。でもいいの? 他のギルドを敵に回すことになるかもよ?」


「いいさ。それに気にし過ぎると、何も出来なくなりそうだしな」


「お、目立つ気になってきた?」


「なりません」


「ちぇー」


 案の定、ミドリは唇を尖らせた。

 わざとらしく不貞腐れた彼女を横に、俺は馬車の外を見ようと窓へ近付く。外の視線を遮るため、かけられたカーテンを開けながら。


 薄暗かった馬車の中に差し込む陽光。ミドリも外を覗き込もうと、遠慮なく俺の膝に手を置いた。

 さりげない接触ではあるんだろうけど、彼女との距離感が近いことを感じるには十分だった。ローブの下から見える白い足も、勝手に視線を吸いこんでくる。


「おおっ、もう湖が見えてるね!」


 向こうにある光景へ見入っているのか、ミドリは更に窓へと近付く。膝にかかってくる体重は思いのほか軽く、逆に彼女の匂いは強くなる一方だった。

 女の子らしい甘い匂い。他に比較対象がいるわけじゃないけど、一番落ち着く匂いだ。


「し、しっかし、本当に広いな……」


 海かと勘違いするぐらい、湖は視界いっぱいに広がっている。

 沖から少し離れたところには、白い石造りの建物が並んでいた。多数の住人も見受けられ、小さな漁村として栄えているのが分かる。船も何隻か泊まっていた。


ただ、どことなく活気がない。決して暗い雰囲気があるわけではないのだが、特筆するような明るさが無いのは事実だった。


 空には一面の青空が広がっている所為で、余計にそう感じてしまう。魔物の他、何か問題でも起こったんだろうか?

 頭の中で抱いた疑念をそのままに、俺はもう一度依頼書へ目を通す。

「謎の魔物がクレーネ湖に出現、調査を要求する。危険な種と判断される場合には討伐を、か……」


「どんな魔物なんだろうね? 鳴き声ぐらいしか手掛かりがないんだっけ?」


「あと影だな。でも、被害者とかは出てないって書いてある」


「村の人達が不安がってるとか、依頼を出した一番の理由はそこかな?」


「かもな」


 働き者の貴族ということだ。住民たちの声を拾い、ギルドに依頼してきた可能性はある。


 馬車は順調に進み、湖へと通じる緩やかな斜面を下っていった。村から聞こえる人々の声も大きくなってくる。

 やがて、


「おーい! ユウ君!」


「あれは……」


「昨日の商人さん?」


 村の入り口まで近付くと、思わぬ再会が待っていた。

 昨日、俺が持ち込んだ魔物の素材をすべて買い取った商人である。背には大人三、四人分の大きさがあるバック。どこか気だるげな顔付きの彼だが、しっかり鍛えているらしい。


 馬車から外に出た俺達の元へ、商人は駆け足でやってくる。


「アデルフェから念話で連絡を受けてね。本当は少し前に発つ予定だったんだが、こうして待たせてもらったよ」


「そうなんですか?」


 バックを軽く背負い直しながら、商人は残念そうに首肯する。


「ほら、ここに魔物が出るって噂だろう? だから少し調べようと思ってね。ウチの主人が随分と気にかけていたし……」


「……依頼主の貴族と、お知り合いで?」


「ああ、子供の頃から世話になっている一家でね。僕が商人としてやっていけるのも、その人達が力を貸してくれているお陰なんだ。――っと、自己紹介が遅れたね。僕はセネカ。改めてよろしく頼むよ、ユウ君にミドリ君」


「こちらこそ」


 予想を裏切らず細い手を、今度はミドリの方へ差し出していた。


 ありきたりな交流が一段落すると、村にある木造の家から次々に人が出てくる。といっても注目されているのはセネカ一人で、俺達はあくまでもオマケらしい。

 こちらの都合としては悪くない流れだ。彼のことを様付けで呼ぶ声も聞こえる。


「じゃあ村長のところへ行こう。まあ、依頼書に書いてある以上のことは聞けないけどね」


「本当に出るんですか? その魔物……」


「僕は見てないけど、ほんの数日前にも村人が影を見たらしいよ。襲ってくるような気配はなくて、そのままどこかへ消えたってさ」


「……」


 害意が無いのは結構だが、返って不気味な気もしてくる。

 記憶の引き出しを掘り返してみるが、それらしい魔物と以前の旅で遭遇したことはない。海竜と呼ばれる魔物とは戦ったことがあるが、ヤツはかなり獰猛な種族だった。


「――聞こえるよ、ユウ君」


「な、何がだ?」


「その魔物の声。何だか苦しんでるみたい」


「苦しんでる……?」


 頷くミドリは、湖の方を向きながら目を瞑っていた。

 恐らくはスキル・読心で読み取ったのだろう。

しかし姿が見えない相手の、ましてや人間ではない存在の声を聞けるとは。スキルを使うコツを、もう彼女は掴み始めているようだ。


「敵意はないみたい……むしろこっちに怯えてる」


「人間に対してか? それとも村の人達に対してか?」


「そこまではちょっと。でもとにかく、こっちを攻撃しようとする意図はないみたいだよ。助けて欲しいみたい」


「でも、姿が見えないんじゃな……」


 とにかく村長に話を聞くしかあるまい。セネカはああ言っていたが、予期せぬ新情報が出てくる可能性もある。


 沖には漁で使うんだろう、無数の小型船が並んでいた。他にも少数ではあるが、倍ぐらいの規格を持つ船も停泊している。周囲の船と見比べれば、少し浮いてしまう大型船だ。


「セネカさん、あれは……」


「ああ、僕みたいな商人が使ってる船だよ。ここクレーネ湖は、大陸の様々な国に面しているからね。物を運ぶ時にはよく使うんだ」


「例えば何を運んでるんですか?」


「それこそ色々だよ。食物はもちろん、日用品とか魔石とか……まあ本来、この村は交易を行う場所じゃないんだけどね」


「もしかして、魔物のせいで?」


「ああ。本来はここの北にある、港町で商人は船を停める。ここからじゃ地形が邪魔をして見えないけど」


「へえ……」


 今度行ってみようか。自分の目的は怠れないけど、その合間を縫ってとか。

 一緒に話を聞いていたミドリも、映らない港町へ期待を膨らませているご様子。……叶えてやりたいと強く思うのは、惚れた弱みってやつだろう。

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