第五章 湖上の任務

Ⅰ-Ⅰ

「おら、とっとと飲みな! この酒はユウの奢り! アンタ、奢られるの楽しみにしてたじゃないか!」


「あ、姐さん、俺もう無理ッスよ! ちょ、ちょっ、口を無理やり開けても入らないっすからああああぁぁぁ!」


 店の中からは、お調子者の絶叫が聞こえる。続いて笑いと、無茶を達成したらしい称賛の声も。


 場所は、ギルドから通りを二つ挟んだところにある居酒屋だ。二名の新たな冒険者を歓迎する宴会は後半。大人達は完全に出来上がっている。


 俺は一人、店の外で夜風に当たっていた。

 単純な気分転換である。ミドリも一緒に来ると言っていたが、アデルフェに捕まって店の中。賑わいの中心にいながら、ときおり二人だけの会話に興じている。


「楽しそうで何より、だな」


 あまり騒ぐのが得意ではないためか、余計に素直な感想が出た。

ああいう空気を作れない、と言った方が適切だろうか。それについては子供の頃からで、ミドリの明るい性格とはバランスが取れている、と思う。


 俺の役割は力で仲間を守ること。この役割は、魔王討伐の頃から変わっていない。


 初日でなんだか、ギルドの人達とは上手くやっていけそうだ。かつての仲間たちと同じ空気を与えてくれるというか。


「宜しいのですか? 主役が外にいて」


「イオレー王女……!」


 今度は老婆の変装ではない。後ろに護衛をつけ、王女として彼女はやってきている。

 といっても、服装には気を使っていた。シャツにスカートという質素な出で立ちで、王族だと一目で分かる格好ではない。


 本人が纏っている高貴なオーラまで、隠せているわけではないが。


「ああ、そのままにしていてください。王である貴方が、わたくしに礼を尽くす必要などございません」


「いや、そういうわけには……おおやけの立場でだって、田舎から来たばっかの冒険者ですし」


「……王がそう仰るのであれば。あ、隣に座っても宜しいでしょうか?」


「どうぞ」


 俺が腰を下ろしている、店へと続く木製の階段。護衛に退去を命じてから、彼女はそこに足を進めた。

 腰まで伸びた赤髪を押さえながら、イオレーと俺の視点が高さを同じにする。


「……」


 しばしの静寂。

 何となく横顔を盗み見ると、王女は口を堅く結んだままだった。話の種を撒こうとする意志さえない。隣に座った時点で、目的が達成されているような充足感がどことなくある。


 もちろん、俺にはその詳細がやっぱりさっぱり。無言でいることへの気まずさを覚えるぐらいだった。


「一つお尋ねしたいんですが」


「なんでしょう?」


「俺のこと、本気で隠す気あります?」


「……」


 イオレーの顔付きは、無感情から焦燥感を宿したものへと変わっていた。

 どうやら当たりらしい。まあ指導者としての本音と個人的な感情で、せめぎ合っているところではあるんだろうけど。


 固まった彼女を、俺は引き続き観察する。

 対象の方は、苦し紛れの黙秘権を行使するだけだった。果たしてどこまで貫き通せるのか見物である。


「……分かりました、白状します。わたくしは正直、王に王として君臨して頂きたい」


「やっぱりですか」


「はい、臣下として当然の思いです。……とはいえ女神様からの言い付けや、周囲の環境を無視するわけには参りません。王が影の存在であるべきだとも、心から理解しています」


「だから、ワリと中途半端な行動に出たと?」


「城門の兵士達や、ギルドのことですね? そちらは確かに、わたくしの甘さが招いた結果です」


 一通り言い終えると、再びイオレーは沈黙した。

 横顔にはやっぱり不満が確認できる。城の客室で会った時といい、彼女は俺に何か思い入れがあるんだろうか?


 しばらくすると、イオレーはどこからか本を取り出す。

 アンブロシアの言語で記されていたが、召喚による補正で内容は自然と頭に入ってきた。

英雄王物語、とのタイトルが記された本である。


「これが、子供の頃の愛読書でした」


「……」


 先の展開を予感しつつある俺に、王女はズイッと本を突きつけた。

 中身はやっぱり、魔王討伐に挑んだ英雄王の物語なんだろう。どんな風に書かれているのか興味がある一方、ちょっとした躊躇いも胸にはあった。


 それでもイオレーは本を下げない。あのですね、と前置きして話を続ける。


「幼い頃のわたくしにとって、日々はベッドの上でした。生まれつき身体が弱く、外で遊ぶことが出来なかったためです」


「それで、この本を読みまくってたと?」


「さすがは我が王。……この本は、わたくしの世界を広げてくれました。見果てぬ海、灼熱の大地、精霊達が彩る豊かな森――これからすべてを、本は教えてくれたのです」


 過去を告白したところで、イオレーは愛おしげに本を抱きしめていた。

 一方の俺は、本の中身が気になって仕方ない。彼女の説明に混じっていた灼熱の大地も、精霊達が彩る森も、俺は旅をした経験が無いからだ。噂に聞いたことがあるぐらいで。


 英雄王は案外と、アンブロシアを知り尽くしてはいないのである。


「それでですね我が王。わたくしとしては、本の内容がどこまで事実か知りたいのですが」


「うん、俺も知りたいですね。あることないこと書かれてそうで」

「ではそれを確かめましょう。さあどうぞ」


 手垢で汚れている愛読書を、彼女はすんなりと渡してくれた。


 本を痛ませないよう注意しつつ、俺は適当にページを捲っていく。

 相違点は冒頭から出ていた。召喚された勇者の容姿について、筋肉隆々、と記されているのである。誤字なんかじゃない。


 他にも無数の国で、王女や貴族令嬢と恋仲になったこと。世界各地に子孫がいることが仄めかされていたりと、枚挙にいとまがないレベルで模造されている。


「我が王、これは事実でしょうか? 王には五十人の妻がおり、子供がその倍近くいるというのは」


「嘘です、どう考えても嘘です。俺にそこまでの度胸はありません」


「そうでしたか。わたくしの王が、色気狂いの女たらしではなくて良かったです」


「……わたくしの?」


「いえ、なんでもありません。お気になさらず」


 こっちは気になる。

 まあ礼儀を込めただけの台詞なんだろう。イオレーのような美少女に言われると、あらぬ期待を抱きそうになるが。


 でも一番心配なのは、本の情報が拡散しきっているであろうことだ。名誉を守ろうとしても手遅れなわけで。受け入れる方がよっぽど楽かもしれない。

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