第32話 守護者

渉ときちんと話したおかげで、あんな別れ方をして由梨は思っていたよりも傷ついていた自分に気がついた。


渉が騙されていた事は、いっそ自業自得だとも思えていたけれど、由梨は渉と別れた理由を誰にも告げていなかった…。その事が傷ついていた証拠に思えていた。

もっとあの時に彼と向き合う努力をしていれば、とそう思った事もあったから…。


田中先生と、渉が来て4日目もうすぐ松元先生が帰ってくるからそうすればここで、渉と会うことはない。


この朝も、ご丁寧に由梨への手紙が入っていて


「なんかわからないけど、気持ち悪いよねそれ」

「はい。すみません…」

「ううん。私は全然、花村さんは嫌だよねそれ」

スタッフルーム前で、由梨はそれを開けた。


いつの写真かと思えば、昨日の夜の帰宅の写真だった。


「はぁ…」


ため息をついて、封筒に直したところで、ドクタールームの部屋から扉が開いてぶつかってしまう。


「あ、ごめん」


手元から滑り落ち、写真が封筒から飛び出て散らばってしまう。

ドクタールームから出てきた相手は渉だった。


「…なんだ、これ」


「最近…ずっとなの。隠し撮り…」

由梨はそれを一枚ずつ拾う。

「警察には?」

「言ったよ。でも、これくらいじゃ何も出来ないんだって」

ほとんどが仕事から帰る所の写真なのを見たからか、

「帰り送ってやるよ」

「いいよ、これまで何もないんだから」

「これまで何もないからって、今日も何もないとは限らないだろ」

「渉だって暇じゃないでしょ」

「由梨、俺はもう後悔したくない」


「あれ、どうかしました」

夏菜子が由梨と渉を見たので、由梨はスタッフルームに入って、その写真を片付けた。

「あ、昨日の至急で出した検査データ届いてるかな」

「今見てみます」


夏菜子が早足で歩いていく。


「由梨だって、こんなの怖いだろ?利用するくらいの気持ちで頼れ」

「…わかった…ありがとう」


渉の医師ぶりは4日目のこの日には板についてきていて、由梨の目には少しだけ頼もしくなったように見える。


「うーん…。念の為にレントゲン、とってみましょうか」

「え、大袈裟じゃないですか?」

急がしそうな男性は早く帰りたいという雰囲気だ。

「気になるので、念の為にです」

にこやかに渉が告げていて、由梨はエックス線室の準備をする。


「あとは、やるよ」

「はい」


撮った写真は明らかに肺炎の画像だ。


「花村さん、紹介状はどうする?」

「あ、はい。ここで、入力して下さい」


由梨はパソコンを触って画面を出す。


「ここね、ありがとう」

由梨は事務に伝えて紹介先である桐王大学附属病院に電話をしてもらう。


「え、入院ですか?」

冗談じゃないと言いたげだ。

「どんな病気もそうですが、風邪だと思い込んで甘く見るのは行けません。肺炎はきちんと入院すればなおりますから」

「はぁ…」


それでもまだ、入院は大袈裟だと言いたげである。


肺炎と、いえば貴哉もそれで入院したのだったな…。そんな事を思い出す。


診察が終わって、由梨はいつものようにワンコールする。

この日貴哉はすぐにかけ直して来なかった。


「じゃあ、帰ろうか」

「うん」


由梨は渉と駅に向かって歩き出す。

どこかに、由梨を盗撮してる人がいる。そうわかっていると、確かに由梨は脇目もふらず歩くしかなかった。

渉が、近くにいることは由梨にとってはいつもよりずっと安心出来た。


「…渉…ありがとう」


ただ、写真を撮られるだけ、それなのに薄気味悪くてとても怖かった。

「うん」


渉は、少しだけ前をゆっくりと歩く。

「こんな風に並んで歩くの、ひさしぶりだよな」

「そうだね」


「由梨の、彼氏ってどんなヤツ?」

「え…」

「聞きたい」


「背が高くて…顔も良くてイケメンで。仕事も出来て…営業成績一位らしいの。それに、優しくて時々少し意地悪、かな」

「ふっ、ノロケ?」

「違うよ…その通りなんだから」

「週末は。デートすんの?」

「するよ、渉と違ってちゃんと出掛けるの」

「そ、か」

「そうよ」

「由梨も、そんなイヤミとか言えるようになったんだな」


ほとんどを由梨の自宅でのんびりと過ごした渉との過去に少しだけ当て擦ってみた。


渉は、電車に乗るまで由梨を見送り、由梨は笑みを向けて手を振った。


***


お約束というか、なんというか…、翌日のクリニックのポストにはまた見慣れた封筒が入っていて、そこにはやはり由梨と、そして渉が少し距離を空けつつも笑いながら話している写真。


確かに…。夏菜子たちの言うように、貴哉より渉の方が見た目も釣り合いが取れているのかも知れない。と思う。

由梨は155㎝、貴哉はたぶん185㎝前後、渉は、174㎝。親がサラリーマンで、頑張って医学部に入れた渉とはセレブな貴哉はよりも育った環境は近い。


由梨はため息をついて、その写真をカバンに入れた。


「毎日、よくやるよね?」

夏菜子があきれたように言う。

これをポストに入れるなら、早朝に直接入れている事になる。暇すぎると思う。

「それさぁ、彼氏に言ってないの?」

結愛が言ってくる。

「はい、何となく。私の事に巻き込むのもって思って」


「あの彼ならさ多分知らなかったって知ったら怒ると思うよ、そろそろ相談したら?」


「私もそう思う。それにもしかして、彼の関係かも知れないじゃない?花村さんをストーカーしてるにしては、なんていうかおかしくない?家よりも職場付近でストーカーって」

夏菜子がそう、腕を組んで言った。


「そうですか?」

「これは、私の単なる勘だけどさ…。花村さんの彼なら、あっさり解決しちゃいそうだけど?」

「え?」

「なんか、怖いとこあるから」

「怖い、ですか?」

「なんていうか、妙な迫力?」


「あ、それはそうかも知れないです」

「でしょ」

「時々怖いです」

そう由梨が言うと、夏菜子と結愛が笑う。



夏菜子と結愛のアドバイスをうけて由梨は昼に貴哉に電話をした。

ワンコールして切ると、少ししてから電話がかかってきた。

『由梨』

「忙しい時にごめんなさい。あの、ちょっと相談があるんですけど、今日の夜は時間行けますか?」

『相談?どうかしたの?』

「ちょっと…困ったことになってて…」

『分かった。時間を作るから、仕事が終わったら待ってて?』

「はい」


由梨は貴哉と通話を終わらせると、ほう、と息を吐いた。


そして、午後診察を終わると由梨は渉に声をかけられた。

「今日はデート?」

「あ、というか、ストーカーの事を相談しようと思ってて」

「まだ、相談してなかったわけ?」

渉が軽く眉を上げる。

「うん、そう」

「待ち合わせ何時?」


「仕事の都合があるから」

「じゃ、一緒に待っててやる」

「でも、それだとなんと言うか…」

元カレと今カレと会わせるみたいで、躊躇う。

「向こうは俺が元カレなんて知らないだろ?」

「あ、それもそうか…」


由梨は渉と共に近くのcafeに入って時間を潰した。


「今までの写真はどうしてる?」

渉に聞かれて、由梨は100円のアルバムファイルをカバンから出した。

「…これ、ちゃんとファイルしてんだ?」

「だって、警察に持っていったし、もし何かあったら証拠になるでしょ?」

「由梨は意外と現実的なんだよな…」

くくっと渉が笑う。


「あ、ちょっと待って」


由梨のスマホが貴哉からの着信を告げる。


「もしもし、貴哉さん?」

『どこ?』

「いつものcafeにいますよ」

『ん、すぐに行く』


大体近くにいたのか、貴哉がすぐに入ってくる。

貴哉は由梨の前にいる渉を睨み付ける。


「貴哉さん、えっと」

「こんばんは、まず、誤解の無いように言いますが、俺は彼女がストーカー被害にあってるので、貴方が来るまで一緒にいただけです」

由梨が貴哉の怖いオーラに気圧されていると、渉がサッと立ち上がり説明した。

「ストーカー…?」


「そうなの…、その事を相談しようと思って」


「…相談…」

貴哉は渉を見た。

「由梨は…こいつに裏切られたんじゃないのか?」

「え?」

「だから、浮気した元カレとなぜ一緒なのかと」

「…どうして、知ってるの?」

「いや、何となくそんな気がしただけだ」


「先日から、ソノダクリニックの医師が休暇を取ってるので代理で勤務してました。では、俺はこれで」

「あ、ありがとうございました」

由梨はペコリと頭を下げた。


「貴哉さん…怒ってる?」


空気がとても、冷たく凍りそうだ。


「なんで俺よりあいつに先に相談するんだ?」

「たまたま…写真が見つかって」

「昨日も、一緒にいた?」

「駅まで、送ってもらったの」


「…その、アイツと写ってる写真。俺の会社のパソコンに、送られてきた」

「え?」


「えっと…最初に来たのは、前に貴哉さん家に泊まった次の日」

由梨はアルバムを見せた。

「警察にも行ったんだけど、これだけじゃなにも」

貴哉が美女といる写真を見つけて手を止める。


「これ…気にしてた?」

「うん…美人だし、何だかお似合いだし…それに…悠太くん、だったかな?仲が良さそうとか聞いたから」


「こいつは、椿だ。このときにきっちり話をした。何だったら、呼び出してもいい」

「椿さん…」


「俺のパソコンに、送ってきたと言うことは、だ。社内の人間の可能性が高い。待ってろ、すぐに辞めさせてやる」


その言葉に由梨がゾクっとしたのはきっと気のせいじゃない。青い炎というか、そんな静かな怒りの炎が見える気がした。


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