第15話 彼の秘密
新年をまだ知り合って間もない貴哉という恋人と、自分の家で迎えるなんて思いもしなかったな、と由梨はお雑煮を仕上げながらおもう。
しかも…昨夜はまるで貴哉にねだるようなこと…。
「由梨、着替えたら?お父さんたちもそろそろ起こしにいきたいし」
「はーい」
新年を着物で迎えるのは小さな頃からの習慣で、由梨はそのお陰で着付けは自然と覚えていた。由梨自身、洋服と違い着物を着ると気が引き締まる気がして好きである。絹なんて洋服ではまず着る事がない。
「由梨といえばやっぱりピンクよね」
着付けの終わった由梨を見て母が嬉しそうに微笑む。
この日のものは、貴哉の家に行くということもあり、京友禅のピンクのつけ下げで小さな花模様が可憐である。
「そうかな?」
「色が白いからよく似合うわ」
「ありがとうお母さん」
娘に対する欲目だとわかっていても、誉められるとくすぐったくて微笑んで返す。
「お父さん起こしてくるから貴哉くん起こしてきたら?」
裾をすこし持ち上げて階段を上がり、由梨は部屋をノックしてそっと開ける。
年末ギリギリまで仕事をしていたらしい貴哉は疲れているのかぐっすりと眠っている。由梨のベッドに寝ている貴哉の足は少しだけはみ出していて寒そうだ。
そして由梨が朝起き出したときのまま…貴哉は裸である。その事に頬を染めてしまうのは仕方ない。
「貴哉さん、おはようございます」
声をかけると、目覚めのいい貴哉はすぐに眼を開ける。
「おはよう由梨」
目が合うと、
「アレ、着物?あ、そうか正月はそういう家なの?」
「そうなんです。父は着ないんですけど」
母は今日は今日は大島紬に染め帯を合わせたシックに着こなしていて素敵である。
目の前で貴哉は裸体を惜しげもなく晒すと、由梨から着替えを受け取って身に付けていく。
ぴったりとしたパンツに、Tシャツとシャツを重ね着してカジュアルな姿であるけれど、とても格好いいのはそのスタイルの良さもあるのだろう。
「なに?見とれてるの?」
「はい…」
思わずうっかり本音で返してしまい、恥ずかしくなる。
昨日からどうかしてる。
いや、ずっと前からかもしれない。
「俺も、由梨にいつも見とれてる」
綺麗な眼差しに見つめられると、それだけでうっとりとしてしまう。美形のパワーってスゴい。
花村家は亜弥を除き、そして貴哉を迎えて正月の料理を堪能する。
お屠蘇、そしてお節とお雑煮である。
「由梨と貴哉くんは出かけるんだな」
「ですね、初詣に行ってから実家に行きます」
着物の上にはカシミヤのストールを羽織り、まずは初詣に向かう。
新年なのでさすがに人々で賑わい、とても華やいだ空気だ。
お参りもきちんと済ませて参道を降りると、そこにはたくさんのお店が並んでいる。
人が多いので、自然と手を繋ぎ寄り添うように歩いていた。
すると、貴哉の舌打ちが聞こえてきた。
「どうかしましたか?」
「…会社の女たちだ」
そっと周りを見てみると、貴哉を見ているらしい女性のグループに気がついた。
そっと会釈をすると
「愛想よくしなくていいから」
「そうなんですか?会社のひとなのに?」
「しつこく誘ってきた女子社員だから」
そんなことを話してるうちに彼女たちは近寄ってきた。
「紺野くん、まさか彼女?」
(なんだか嫌な雰囲気だな)
「だったら、何の関係があるわけ?」
冷淡な口調に思わず驚いて貴哉を見上げた。
「やだなぁ~ほらぁ、紺野くんってご飯に誘うだけでいくら払うか聞くくらいだからぁ、その彼女はぁ一緒に初詣に来るのにいくら払ったのかと思ってぇ~」
そういう彼女は媚びを売るような喋り方で、由梨はとても苦手なタイプだった。貴哉をちらりと見ると、見たこともないくらいの冷たい眼を彼女たちに向けている。
ね?と彼女たちの目は由梨に向いている。
化粧もバッチリだし、服だって、雑誌から抜け出したようにきちんとおしゃれしている。自分に自信があると主張しているようだった。
その目は私たちを振ったくせに、横にいる女は何だっていうことだろうか…。
「貴哉さん?」
「俺は彼女には一円も出させない。当たり前だろ?」
そう言うと、
「いこう。話すことは何もないから」
と言い由梨の背を押した。
「いくら払うかっていったんですか?」
「…あまりにも毎日しつこくてな。仕事の邪魔だし、俺とランチに行きたいならいくら払いますかって、聞いてやった。そうしたら、たいがい引くだろうと思って」
「た、確かに…ドン引きするかもしれません~」
由梨ひぃっと心で叫んだ。貴哉はどんな言い方をしたのかわからないけれど、その話を先に聞いていたら由梨だってなんて男だろうと思っていただろう。
「本気で言うわけないだろ。ホストじゃないんだから」
「ですよね」
由梨は気になったことを聞いてみた。
「もしですよ?じゃあいくら払うって言えばランチをしたんですか?」
「気に食わない女とはお金を積まれたってごめんだな」
「前の…彼女さん…は?おうちの方に連れていったりしたんですか?」
いつも連れていくのかどうなのか…気になったのだ。
「その話は、別に良いだろ?お互いに愉快にならない」
「ごめんなさい。変な事を聞きました」
「いや…気にしても仕方ないよな」
(元カノ…綺麗な人だったな…)
一度だけ、見かけたすらりとした女性を思い出す。
そうして貴哉の車で向かった先は…
何やら高級住宅街という雰囲気で、敷地も大きければ建物もまるで別世界である。
「ちょっと待ってて」
貴哉は車を一旦止めると、立派な門の前でベルをならしている。
門が開いて、再び貴哉は車に乗るとそのまま敷地に乗り入れる。
「あのう…まるで華麗なる一族みたいなんですけど?」
「まぁ、そんなものかな」
高級車の並ぶガレージに貴哉はいたって普通の国産車を停めると、
「いくよ」
「…。」
はいと言ったはずだが、あまりにも小さな声で聞こえないようだ。
まるで迷子の子供のように由梨は貴哉に手を取られて歩いていった。
慣れたように玄関と思わしき扉を開けると、
「おかえりなさい貴哉」
と綺麗な奥さまと言った女性が立って迎えてくれる。
「ただいま。由梨、母だ」
「はじめまして、花村由梨です」
「由梨ちゃんね、ようこそ」
緊張しつつも言うと、玄関から土足なのに気がついて本当に別世界だと感じてしまう。
「言ってなかったけど、父親はconnoグループの社長だから」
「ひぇっ」
由梨でも、知ってる大きな会社である。
(connoと紺野…。)
「ひぇ?」
「それは…何といいますか…御曹司ってことでは…?」
「別に、親がそういう地位だからって俺が凄いわけじゃない」
あっさりと何でもない事のように言ってのける貴哉に、キュンとしてしまうのは何故だろう…。
外観に違わず何やらアンティークな家具類がシックに収まっていて由梨は緊張した。
(へんな格好をしてこなくて良かった…)
「由梨ちゃん、そこに座ってね」
貴哉の母がそう言ってソファを勧めてくれる。
由梨はいわゆる一般庶民だから、こういう時の礼儀作法は正しいのか悪いのかわからず貴哉の顔を伺う。
軽くうなずいて、隣に促してくれる。
貴哉の母は緑茶を淹れてくれて由梨はそれを頂きますと一口飲んだ。
「お父さんは?」
「すぐに来るわよ」
少しすると、部屋の外から
「貴哉が帰ってきてる?」
と声が聞こえてくる。
開いた扉に由梨はそちらを向いた。
「…あ…」
貴哉に面差しの似ているダンディな紳士と、30手前くらいの男性と、そして由梨と同じくらいの若い男性と…綺麗な男性?
いや、女性か…。
「お父さん、僕がお付き合いをしてる花村由梨さんです」
貴哉が先に立って由梨を紹介した。
「花村 由梨です」
由梨は緊張しつつお辞儀をした。
「どうも、由梨さん。父の暎一えいいちです」
思ったより穏和な声に由梨は少しだけほっとする。
「隣が兄の洸介こうすけと、弟の絢斗けんと。それから妹の志歩しほ」
「はじめまして」
再び由梨は兄弟たちに向かってお辞儀をした。
由梨は美形の家族にドキドキしながらも、いっそう眼を奪われたのは志歩だった。
「貴哉さん、貴哉さん…志歩さんはもしや歌劇団の星乃 りんさんでは…」
こそこそと言うと、
「あれ?知ってるの?」
「もちろんです!年末も舞台を見てきました。ほら、観劇に行くと言った時がありましたよね?」
「ああ…そうか。志歩、由梨は星乃 りんを知ってるそうだ」
「へぇ?そうなんだ。嬉しいな」
近づいてきてにっこりと笑みを向けられると思わず失神しそうになる。
悲鳴をあげそうなのを堪えていると握手をされて由梨はぽうっとその綺麗な顔を見上げた。
星乃りんは、新人ながらその圧倒的な存在感で将来必ず男役トップになるだろうと言われている。
「…なんだかこんな嬉しそうな由梨ははじめて見た気がする」
「は、すみません。プライベートなのに…つい興奮してしまって…」
由梨は動悸を抑えようと胸を押さえた。
「そんなことよりも由梨さん」
洸介に呼びかけられて由梨は姿勢を正した。
「花村、という姓に聞き覚えはないのだが?」
洸介の問いに由梨はそれは当たり前じゃないのかと思う。
「はい。そうですね…」
「お父さまは何を?」
何となくカチンときてしまう。
「何をとは?」
「察しの悪い女だな。どこの花村かって聞いている」
厳しい口調に由梨はそっと周りの顔を見てみた。
「洸くん」
嗜めるように貴哉の母が名を呼ぶ。
怒っている?ような雰囲気なのは洸介だけで、他はみんな涼しい顔である。
「あのう…。失礼を承知で申し上げるなら…、私はここに貴哉さんと今、お付き合いをしているという立場で来ております。そのようにいきなり父は何を?と聞かれて、何を聞かれているのか尋ねてはいけないことなんでしょうか?」
微笑みつきでいってみる。
「職業はということだが?」
「普通のサラリーマンです」
「どこの?」
「ここで、良い会社に勤めているか、勤めていないかで洸介さんの私の評価は変わるのでしょうか?」
「なんだって?」
「私は紺野 貴哉という人と、お付き合いをしているのであって、あなたの弟であるからお付き合いをしているのではありません」
こんなに物をはっきりと言ったのははじめてかもそれない。
しんと、した室内に由梨はいたたまれなくなりお茶をゆっくりと飲んだ。
(どうしよう?…この空気)
「貴哉…椿の事はどうするんだ?」
「椿?」
話が貴哉に向いて由梨はほっとする
「椿はお前と結婚する気でいる」
「俺は承知していない」
「そう、言わず。椿と結婚して、そしてお前はconnoに来い」
「俺は、由梨と結婚するし、connoにはまだいかない」
「俺は、兄弟で次の世代を支えると思ってたんだ」
「絢斗がいるだろう?」
「いや、俺も恍兄の下で働くの嫌だ。それに結婚も強制とか無理、絶対やだ」
「なんだって?」」
絢斗の言葉に洸介が睨み付ける。
「俺は椿みたいなのは、絶対に結婚なんて無理だ。そんな事を言うなら縁を切るぞ」
「アホかお前は」
「弟でいて欲しかったら椿との話なしにするんだな」
「貴哉さん?何やらお話を聞いていると、椿さんとの結婚をなくすために私を利用したのですか?」
(何かあるんじゃ…と思ってた。もしかしたらこれが理由?)
「いや、それは違う」
きっぱりと言われて由梨は
「…貴哉さんが、そう言うなら…信じます…。と言いたい所ですけど…」
由梨は席を立った。
こういう所で、ほかの女性との事を聞いて愉快でいられるわけがない。それに洸介の発言の数々に傷ついてもいた。
「今日は私はこれで帰ります」
「由梨?」
「私、都合のいい女にはなりたくないんです。結婚したくない人との話があるから、だからたまたま知り合った、結婚を望む女がちょうどいたから?庶民なら騙しやすかったですか?…そんな風に今は思ってしまいますよ」
「そうじゃない」
「だとしても…その椿さんとの事をしっかり片付けてからお話を聞きたいと思います。だから今日は私は帰ります」
「由梨ちゃん、待って」
貴哉の母が由梨を止める。
「由梨さん今日は息子たちが大変失礼をした。申し訳ない」
暎一が立ち上がって頭を下げる。
「いえいいんです」
立派な紳士に頭を下げられると、由梨の苛立ちが子供のように思えて由梨は足を止めた。
「由梨ちゃん。今日は私のお客様としていてちょうだい。このまま帰すなんて出来ないわ」
「いえ、そういうわけには」
「由梨さん、じゃあ女同士であっちにいこう」
志歩も誘ってきてどうしようかと迷う。少し冷静になった頭に苛立ちを顕にしてしまった事に後悔が押し寄せてくる。
「前回の舞台のDVDがあるんだ。一緒に見て欲しいな」
さすが貴哉の妹…と言うべきか。美しさは罪というか、由梨はうっかりと頷いてしまった。
「由梨ちゃん着物も綺麗だけど、画面を見ながら寛ぐには少し向かないから着替えない?志歩が着れなくなった服がたくさんあるのよ」
わりとにこやかながら強引に貴哉の母と志歩は由梨を連れてまた別の部屋に連れて行く。
どこかの高級な服と思わしき、紺色のワンピースに着替えると、新品のタイツと靴も出てくる。
「良かったらそのまま着て帰ってね。もうこの子は小さくて着れないから」
「ありがとうございます」
「あのね由梨ちゃん。椿ちゃんっていうのは」
貴哉の母は説明をしようとするが…。
「いいんです。直接、聞きたいので…」
「そう?」
「はい」
やっと由梨は笑みを浮かべることが出来た。
シアタールームに3人で入り、お茶を飲みながらソファに座る。
元々舞台を見るのが好きな由梨はうきうきとそれを見始めた。
「志歩はこの次に出てくるの」
志歩の役は出番は少ないものの、重要な登場人物で存在感を放っている。
「このシーン、私大好きです」
「ありがとう。でも次は主役をしたい」
「見てみたいです、りんさんの主役」
そういうと、志歩はにこにことしている。
由梨の友人の清川 和花のどかはいわゆるミュージカル好きで、そのなかでも琴塚歌劇団が大好きだった。
彼女は新人まで詳しくて、そのおかげで星乃りんの事を由梨が知っているのも和花のお陰である。
「由梨さん、紅茶のおかわりはどう?」
「あ、頂きます」
由梨はセレブの紅茶はこんな味なのかなと思いつつ、不思議な、それでいて美味しい紅茶を飲んだ。おかわりをなくなる度に淹れてくれ、喉が渇いていたので飲み干していた。
「私ね、娘を琴塚に入れるのが夢だったの。私はとうとう入れなくって。志歩が入ってくれて本当に嬉しくって」
「洗脳されたんだ。毎日レッスンやら何だかんだとね」
笑いながら言うが、琴塚歌劇音楽学校はとても狭き門である。大変だっただろう。
「由梨ちゃん、明日観に行かない?」
「え?」
「夫と行く予定だったけど、由梨ちゃんと行く方が楽しそうだし、ね?それから買い物もしたいわ」
「あ、はい…」
何となく断りがたく由梨は応じてしまった。
「明日は志歩も出てるのよ」
「うん、そう。由梨さんが来てくれたら嬉しいな」
にっこりと、微笑まれると由梨はこの手の顔に弱いのかついうなずいてしまう。
女の人なのに、頬が赤らんでしまう。
ほとんど見終わった…それくらいになると、
「あら、由梨さん、疲れた?部屋で休む?」
暗い室内だからか、確かにすこし眠気を感じる。
(緊張しすぎて疲れちゃったのかな…)
とぼんやり思う。
「志歩、貴哉を、呼んできて」
「うん。待ってて」
志歩の綺麗な歩き方は、まるでステージにいるよう。
「由梨、疲れた?」
ぼんやりしているので貴哉とさっき気まずいやり取りも、どこか記憶の彼方だ。
「もしかして由梨さんはお酒が弱かったかしら?ホットティーカクテルだったのよ」
「それかな。由梨はあんまり強くないから」
「ホットティー、カクテル?」
「紅茶にリキュールを混ぜてあるんだ」
そうとは知らずに何度もおかわりをしてしまった。
「貴哉の部屋で休ませてあげたら?」
「わかった、由梨歩ける?」
「…たぶん、大丈夫です」
そうは言ったものの、立ち上がった途端にヒールのせいかよろめいてしまう。ホットだったせいか、酔いが回っている気がする。
「こっちに泊まるって連絡をしておくよ」
「…貴哉さんが、してくれるの?」
「しておくよ」
階段を上がって、貴哉の部屋に入ると貴哉は由梨の靴を脱がせてベッドに横たわらせる。
「少し休んで…」
頬を撫で、貴哉はそっとキスをしてくる。
「由梨、今日は悪かったよ。ごめん、傷つけるつもりじゃなかった…」
「…はい…」
優しいキスを何度も慰めるようにされて、髪を撫でられて、紺野家の手練手管に何だかすべてを誤魔化された気がする。とどこかで思いつつもすぅっと眠りに入ってしまった。
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