第5話 恋の色はピンク色

はじめて会って以来、毎日のように貴哉と電話で話している。


由梨が朝の仕事が終わってから、夜の仕事が終わってから、駅に着いてから…。


こんなことははじめてである。

なのに、程よい会話で切ってくれるお陰か少しも苦痛でない。むしろ声が聞けて嬉しいなんて、由梨にとっても自分が意外であった。


『明日は早くに仕事を終わらせるから、ご飯でもどう?』

とお誘いがあったのだ。

「はい、楽しみにしてます」

つい、そういってしまったけれど…。


(…夜に会うってことは…つまり…)


ううっとドキドキしてしまった。

タクシーで帰るには由梨の家は遠い、終電までに帰るとなると…


(な、何考えてるんだろ…。そういうことを、期待しちゃってるみたいじゃない)



***



由梨は受付が終わってから、まだ残っている患者さんたちの人数を秘かにチェックした。

幸いな事に、それほど遅くならなさそうだとホッとする。


(わわ…そんな事思っちゃダメよね)


なのに点滴やら採血やらが重なって内心遅くなりそうな事に泣きそうになる。


「花村さん、先に帰っていいよ」

看護師の水川 夏菜子かなこである。2つ年上の彼女は頼りになる先輩だ。


「はい?」

「彼氏と、約束なんでしょ?」

「わ、私言いましたっけ?」

「わかるわよ…おしゃれしてきてたし、なんだか時間も気にしてるし」


ふっと見ると他の看護師たちも頷いている。


定時は過ぎているので、有り難く先に帰らせてもらうことにする。


「彼に、合コン宜しくっていっておいてね」

「あ、はい」


夏菜子がにこっと笑って

「お疲れ様、頑張って」

小さくグーを作る。

ペコリと頭を下げて、スタッフルームで着替えてクリニックを出た。


スマホを見ると、貴哉からのメッセージに

『ごめん、やっぱり仕事、終わらない』


と見つけて、頭が真っ白になっていると、

『ウソだよ。クリニックの前で待ってるよ』


入ってきて、ヘナヘナと崩れそうになる。


「由梨さん、ごめん」

上から声がかかって貴哉の顔を見上げた。


「意地悪すぎます…」

ははっと笑う彼を口を尖らせて見上げる。


「お詫びに美味しいものをご馳走するから、機嫌直して?」


貴哉の案内で、お洒落な居酒屋に行くことになる。


「飲み物は?由梨さんはお酒は飲める?」

「少しだけですけど」


貴哉はビールを、由梨は梅酒ソーダをたのんで、大根の炊いたんとか、だし巻きやら和食中心の料理を頼む。


「由梨さんは和食が好きなんだね」

「他のも好きですよ?パスタとかも…」

「じゃあ、明日はイタリアンにしようか」

「明日…」

(明日も、会えるんだ…)

つい嬉しくなるのは、貴哉に惹かれてるからだろう。頬が熱い…。


「由梨さん、誕生日はいつ?」

「10月です」

「…最近だったのか…」


先月だったのだ。


「貴哉さんは?」

「俺は6月」

つまり、二人ともしばらくはないのだ。

「クリスマスには誕生日の分も、奮発するから欲しいもの言ってほしいな」

「欲しいものなんて…そんな」


(◯◯が欲しいなんて、まだ言えないよ…)


「明日はじゃあ、ショップ巡りでもしようか」

「はい、良いですね」

にこっと笑みを返したけれど、


(も、もしかして、最初は甘い顔をして油断させて、後から色々と搾り取られるとか…そんなのだったり…しないよね…?)


優しすぎて、不安になるなんて贅沢過ぎる…。


お酒と食事を済ませると、

「あんまり遅くなると、家の人が心配するね。駅からは近いの?」

「あ、遅いときは父が迎えに来てくれますから」

「それなら安心だ」


貴哉はそういうと、会計を済ませて由梨と共に駅に向かう。


金曜日とあって、人も多くて酔っぱらいも多い。

由梨もお酒を飲んでほろ酔いだ。


「はい」

と出された手を思わず取ってしまう。

大きな手で包み込まれて赤くなる。

「絡まれるといけないから」


大人なのに…こんな事でドキドキしちゃうなんて…おかしくないかな?


(貴哉が素敵すぎるんだ…)


だから、心臓が破裂しそうなんだ…。


途中まで送るつもりらしい貴哉は、由梨の乗るホームまで一緒に来る。


少し人の居ない柱の影に貴哉はそっと由梨と共に入ると、握った手を引かれたと思ったらそっと唇を合わせてきた。


「…こんな所でごめん」


でも、したくて我慢出来なかったと囁かれて両頬を押さえた。


「来たね…」

ちょうど電車と、人がやって来て思わず体を離してしまう。

「じゃあ、また明日。由梨」

「あ…」

「駅に着いたら、また電話して」

「はい」


促されて電車に乗ると、走り出す電車の窓から遠ざかる貴哉を見ていた。

さっきのキスを誰かに見られていたかも知れないと思うと、つい俯いてしまう。


触れられた唇が熱くて…そして…久し振りのその感触に、身体中が火照っている。


(あ、頭がピンクになってしまいそう…!!)


電車で、平静を装うのに必死であった。

人目がなければ『きゃー』と叫んでしまいそうである。


わずかにふれあっただけなのに、その唇の感触が後から後から思い起こされて脳内を侵食されていく。


(あ、電話…)


ワンコールして、切るとすぐに貴哉から電話がかかってくる。


「由梨、駅に着いた?」


(い、いつの間にか呼び捨てになってるし)


「はい着きました」

『電話しながらも周りに気をつけて由梨は女の子なんだから』

「はい、でも大丈夫ですよ?」


電話ごしだから、艶のある低い声が耳を刺激してドキドキしてしまう。ほんのわずかに触れた唇は、もっと本格的にキスをしたらどれ程気持ちいいのか…とつい想像してしまう。


『明日も車で送っていくから』


こんなに優しくて格好よくて…本当に全部夢なんじゃないかな…。


「遠いからそんな毎回だと大変ですよ」

『由梨といるのに大変なんてないよ』

「貴哉さん、過保護ですよ」

『由梨は俺の彼女だからこれくらい普通だよ」

「そうですか?」


人が変わればつきあい方も変わる。

きっとこれは貴哉の普通なのだと思うと、嫌でもないので納得する。


「あ…そうだ…今日、私がデートだと知った他のスタッフさんたちが早くに帰らせてくれたんです。それで、合コンしてくれたらそれでいいよって…。貴哉さん、そういうの大丈夫ですか?」

『合コン?』

貴哉が少し考えている。

『大丈夫だよ、由梨の職場の人だったらそれくらい何でもない』

「すみませんお願いします」

『何人くらいかまた知らせて』

「あ、はい」

『そろそろ家かな?切った方がいいね』


なぜか貴哉はこういう気配りがとてもいい。

もうすぐ家が見えているそんなところでそう言ってくるのだ。


家だとやはり親と姉の目があって話しづらい。そんな些細な所が由梨の貴哉への気持ちをより高まらせていった。


「はい、家の前です。じゃあまた明日…」

『おやすみ由梨』


電話を切って家に入ると


「おかえりなさい」

と母が声をかけてくる。


「彼とご飯だったんでしょ?」

と言ってくる。

「そう」

「この時間に由梨を帰してくれるなんて、随分紳士的なのね」


10時半は確かに遅いけれど、終電ギリギリでもなく社会人が仕事の後にデートをして帰宅するにはまずまず早いといって良いかもしれない。


「そうかも」

「先週も、家の夕飯に間に合わせてくれるし今度の彼はいい人がそうね。もう少しお付き合いが続いたらお母さんにも会わせてね」

「うん。まぁ彼が良いって言ったらね」


母はすっかり貴哉の事を信頼している、かもしれない。


「あのね。お母さんは別に順序が逆になっても構わないわよ?由梨ももう大人なんだし、思うタイミングでお付き合いすればいいわ。いまのその彼はなかなか信頼できそうだし」


(いえ…詐欺かも、なんて思ってますけど…)


「お姉ちゃんと比べると頼りないけどね、由梨は」


「はーい。わかってますよぅ」


どうしても、妹だとこういうところで甘えが出てしまう。

「明日も…仕事終わってから出掛けるから…」

「お夕飯は要らなかったら早めに連絡してね」

「はぁい」


お風呂に入って、部屋に行って明日の服を用意する。


ピンクのアンサンブルニットと茶色のチェックのスカートとノーマルなコーディネイトにしてしまう。

あと、仕事では外すけれどイヤリング。


由梨が警戒してるのを分かってるからか、貴哉の距離の詰めかたはとても心地よい。

これがわざとだとすればかなりの策士かな、なんて思ってしまう。


(合コン…てことは、彼の友達とか会社の人と会えるってことだから…詐欺とかじゃないと思っていいよね?)


由梨はスチームをあてながらスキンケアをする。

本当はエステに行きたいが、それまではこれで我慢である。


「由梨~…あれ、お手入れ中?」

亜弥が部屋に入ってきて

「うん」

「そういうとこ、尊敬しちゃうわ」

「そうかな?」

由梨は元々ニキビが出来やすいので、スキンケアは神経質にしている方かも知れない。

何もしなくて綺麗にはなれないと思ってる。


元から綺麗な人はいいな、と憧れる。


「あのさ、例の彼。結婚式に来ないかな?」

「お姉ちゃん、何言ってるの」

「だって、そうしたら彼が本気かどうか、わかるでしょ?」

「まだ知り合って一ヶ月もたってないよ?」

「でもさぁ…結婚を前提にとか向こうが言ってきたんでしょ?尻尾捕まえるなら早い方が、傷も浅くてすむしまた次に行けるでしょ?」

「…でも」

「とりあえず聞いてみて、まだ席は増やせるから」

亜弥がにこにこと言ってくる。


「うん、聞いてみる」


確かに…亜弥のいうことも一理ある…。

親や親類と顔を会わすとなると、騙しているならこれないだろう…。それに、もし本当に来たとすれば…証人が増える。由梨にとってデメリットは少なく思えた…。


「あと、由梨は振袖着るよね?」

「うん。着付けもお願いするね」


亜弥はにこにこと輝くような顔で笑う。

とても幸せそうで、由梨は少し羨ましくなる。


順調に学校を卒業して、会社に入ってOLをして、高校の時からの恋人と結婚する姉はすべてが理想的である。

新鮮さはないけどねと亜弥は言うけれど、そんなに長い期間お互い想い合えるなんて本当に凄いことだと思う。


由梨は高校を衛生看護科という道を選び、そんな16やそこらの年齢で医療の現場で実習をしつつの学校生活を選んだ。

今となっては普通の高校や、大学の生活がしてみたかったと思ってしまう。

そして自信のないまま資格を得て働きだしたけれど、交代制の勤務や、夜勤といった仕事、みんなこなしているのに由梨は苦痛で仕方なかった。

向いてない。という思いはつのり、いわゆるお礼奉公という奨学金がチャラになる期間である3年を勤めあげて辞めてしまった。


「私も会ってみたいし、その彼にね」

ふふふっと亜弥は笑っている。

「由梨は私の可愛い妹なんだから、もてあそんだりするのは絶対許さないんだから」

と頼もしいことを言っている。

「お姉ちゃんはもう、お母さんになるんだから、赤ちゃんの事考えていればいいよ、私はもう大人なんだし」

「大人だから色々と悩むんでしょ~」


亜弥は、結婚相手の家に住むので親と同居である。たぶんそれなりに悩みがあるに違いない。


「そっか、そうよね…」


2年前と今では悩みも違う。亜弥の年ならまた悩みも違うだろう。


「話だけしてみるね」

「うん。なんていうか楽しみ~」

亜弥はそのまま手を振ると由梨の部屋を出ていった。


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