第10話 口付けの後……

 重い紫水晶の欠片が入った袋五つ。その内の一つの手提げの輪の部分には、ガーネットが持っていた大きな箒が差されている。それとおまけで人一人。女一人だけならいざ知らず……これは明らかに重量オーバーだろ。


 先程とは違った汗を掻きながらも、俺はなんとか洞窟を脱出することが出来た。外へ出るともう夕方で、背の高い木々の合間からオレンジ色をした木漏れ日が射してくるのが見える。

 橙色の光を見つめながら物思いに耽っていると、不意に背中から声が聞こえた。


「何してんだい。さっさと帰らなきゃ夕飯の仕度が遅れるだろう?」

「え? あ、ああ、そうだな……。あ、その前に駐屯地寄ってもいいか?」

「ん? ああ、そうか。なら仕方ないねえ、さっさとしな」


 うっ。……完全に尻に敷かれてるじゃないか。というか、なんでここまで高慢なんだ?

 もう少し可愛らしい態度はとれないものなのか? いや、笑った時の顔は可愛かったが……。それに、こんなことに付き合ってくれたことに感謝はしてる。してるんだが……。


 項垂れながらも俺は駐屯地を目指す。するとガーネットに「シャキっとしなシャキっと」と喝を入れられる始末。なんだろう、もの凄く惨めな感じが……。

 小さくため息をつき、頭を振った俺は足早に駐屯地を目指した――。



 洞窟を抜けるのに思いのほか体力を消耗したのか、駐屯地に着くのに三十分も掛かった。さすがにガーネットもこれくらいは許してくれるだろうと思っていたが、考えが甘かったらしい。

「見ろ、もう夕陽が沈んじまうだろ」とか「レティが夕飯食べずに寝ちまうだろ」とか。俺の背中でぐちぐちと文句を垂れられた。

 終始俺は顔をしかめていたんだろうな。

 そうした苦労の甲斐あって、こうして駐屯地までなんとか辿り着いたのだが……。


 夜を迎えようとしている駐屯地は松明に火が灯され、野営地独特の雰囲気を醸し出していた。騎士たちが勢ぞろいして整列し、心配そうな顔をして。どうやら俺たちの帰還を待っていてくれたようだ。

 達成感溢れる顔をして、意気揚々と彼らの元へ歩いていくと一斉に声が上がった。


『ガーネット様! ご無事ですか!?』


 ……俺の心配じゃないのかよ! ったく、こいつらは。……ん?


 耳を澄ますと、おんぶしている魔女から、くぐもった声がその喉元から聞こえてくる。

 すると次の瞬間、俺の顔の右側で煌々と赤く明りが灯ったのに気付く。なんだと思いそちらへ視線を向けると、ガーネットが手の平を上に向け、小さいながらも火炎を放出しているのが目に写った。

 驚いて仰け反るも、彼女に左腕で首をがっしりと固定されており、炎との距離は変わらない。


「お、おい、危ねえ! や、やめろ……てか炎出せるじゃねえか!」

「なに言ってんだい、これはMPなしでも使える特殊技能の一つさ」

「特殊技能?」

「ウィッチやウィザードはMPがなくなったらただの人だろう? だから修行を積んでこれくらいの炎はMPなしでも使えるようにしとくのさ。いざって時のためにね……」


 いや、それは分かったが……さ、さっきから声のトーンが……だんだんと――?


「こんなでも一体一体なら焼いていけるんだけどねえ……」

『ヒィーー!!』


 始めは諭すように、静かに話しかけてきていたガーネットの声色は、次第に凄みを帯びドスの利いた声へと変化していった。

 それを見て聞いた団員達は、一斉に恐怖の悲鳴を上げて後退る。彼女はいつもと変わらず、ふんっ、と鼻を鳴らすと俺に言った。


「ほれ、なにしてんだい。報告に来たんだろう?」

「え? あ、ああ。そうだったな。……お前たち、もう安心しろ。ファフニールはもういない、俺たちが勝ったんだ!」


 そう声高らかに宣言すると、一瞬キョトンとした団員達はまばらに声を上げる。


『やった……やりましたね! 団長!』


 皆一様に喜んでくれているようだ。

 うむ。この嘘なら合格だな。間違いなく一〇〇点満点だ。……俺は何もしていないがな。まあ、喜んでるんだし、平和的解決、になったんじゃなかろうか?


 俺は苦笑いしながら踵を返し、ファフニール討伐成功に湧く駐屯地を、ガーネットをおんぶしたまま後にした――。




 すっかり辺りは暗くなり、月や星々が主役の時間帯。夜の訪れと共に少し風が冷たく感じられた。草原の上を流れる風が、まるで草笛のような涼しげな音をたてて吹く。

 豪奢だが、薄布のドレス一枚しか着ていないそんなガーネットが心配になり声をかけた。


「ガーネット、寒くないか?」

「ふん、ウィッチをなめるんじゃないよ。あたしがなんの魔女だか知ってるだろう?」

「火を司る紅蓮の魔女だ」

「そうさ。そうでなくても、基本ウィッチは寒暖差には抵抗があるからねえ」

「そうだったんだな……」


 ……なんだ、心配して損した。

 少し気まずくなり、ふと空を見上げる。すると一筋の光が尾を引いているのが見えたため、俺は急いで声を上げた。


「あ、ガーネット。流れ星だぞ!」

「なにがそんなに嬉しいんだい。子供じゃあるまいし……」


 ……なんだ。感動もなにもない奴だな。

 袋を三つ提げた状態で右手を上げ空を指差す俺が滑稽に見えたのか、彼女はクスクスと笑いそして言った。


「荷物持たせて悪かったね」

「ん? なんだ、そんなこと。まあ重いけど、トレーニングだと思えばなんてことないさ」

「なかなか逞しいじゃないか」

「いや、多分ファフニールが実際にいたら逃げ帰ってただろうからな……そうでもないよ」


 苦笑しながらの一言を聞いた彼女は声を上げて笑った。初めて聞いたガーネットの笑い声に、不覚にも少しドキッとしてしまった。

 ……なんだ、普通に笑えるんじゃないか。俺は何故だか少しだけホッとした。


「ところでヴィクトル。あんたは何でまたこんなとこまで、わざわざ来たんだい?」

「ん? 昼間に言っただろ」

「聞いたかい? 覚えてないねえ」

「……姫様にな、平和のためだと言われて、泣く泣くやってきたんだよ。……というか強制的に来させられたんだ」

「随分尻に敷かれてるんだねえ」

「縁起でもない事言うなよ。あんなじゃじゃ馬勘弁してもらいたいぜ」


 自国の、それも姫君に対してそんな口を利くもんだから、ガーネットは関心を持ったように聞いてきた。


「そんなになのかい?」

「ああ。何かあればすぐ俺を呼び出すんだ。もっと暇そうな騎士は沢山いるのによ。しかも強制クエストばかり発生させやがる。副団長だった時なんか“黒狼のクシを作れ”だもんな」

「そいつは難儀だねえ……。あたしも昔は奴に手こずったもんさ」

「――それだけじゃない。ケーキ買ってこいだの、ブランドの服を買ってこいだの面倒なお使いばかりだぞ?」

「あんたに惚れてるんじゃないかい?」

「……は?」


 今、なんと?? 幻聴じゃなければ“惚れてる”って聞こえたような……。


「惚れてる? あの姫様が? 俺に?!」

「……どの姫様かは知らないが、あんたに相当入れ込んでいると見たね」

「それはない!」

「そうかい? でもそのお使いクエストっていうのは、あんたにしか発生しないんだろう?」

「う~ん。まあ、そこが不思議っちゃあ不思議なんだけどな……」

「ふぅー。まあ、本人が鈍感なら仕方がないかね」


 ……鈍感? たしかルチアさんもそんなこと言っていた気がするが、どういうことだ? ……まさかな。

 顔をしかめながらその時のやり取りを回想していたが、不意に聞こえたガーネットのくしゃみにより現実へと引き戻される。


「へっぷし!」

「っ?! ……ガーネットって、可愛らしいくしゃみをするんだな。意外だったよ」

「なっ! ……いちいち煩いんだよ、燃やされたいのかい?」


 団員達に発した声とは明らかに違う声色。どこか照れ臭そうな、恥ずかしそうな文句。


「MPないんだろ?」

「さっきのがあるだろう?」


 そう言うと俺のすぐ真横で、先程見せたMP0で使える火炎を出して見せた。毎度の事ながら、ガーネットの腕は俺の首に回されてがっちり固定されてしまっているため、どう仰け反ろうが避けようが、炎との距離が遠ざかることはない。


「わ、分かった、からかって悪かったから、その危険なものはゆっくりと仕舞おう、な?」


 弁明しようと出来うる限りガーネットに振り向いた。すると彼女の顔が思いのほか近くにあり、エメラルドを嵌め込んだような美しい翠瞳と目が合った。

 その瞬間は吊り上がっていた目は、互いに見合っているうちに少しずつ角度を下げる。頬を少しだけ赤く染め、長い睫がふるふると揺れている。

 炎に照らされたストロベリーブロンドの髪は、夜風にそよめき鮮やかに煌く。それと同時に、鼻腔をくすぐる甘美な香りに目眩がしそうになった。

 こうして間近で見てみると、少女のような可愛らしさも併せ持った女性なんだと改めて気付く。普段は傲慢さが際立っている為、そうした部分はすっかり影を潜めてしまっているが――。


 ……めちゃくちゃ綺麗だ。というか、今更ながらこのシチュエーションにドキドキしてきた。やばい、なんかチャンスなような気が……。

 この機に乗じて、口付けでもしてやろうかと妙なテンションになり、俺はガーネットの目を見つめながら徐々に顔を近づける。

 しかし彼女は気付いていない様子。それもそのはず。近付いていることは近付いているのだが、秒間一ミリも進んでないほどに遅く遠い。腕でしっかりとホールドされてしまっている為、思うように動けないでいたのだ。

 俺がちんたらしていると、彼女は急に目線を外し正面を見据え、そして言った。


「ああ。もうすぐそこじゃないか」

「えっ?」


 そう言われ俺も視線を戻す。確かに、前方には魔女の帽子屋根の家が目視出来る距離に佇んでいた。

 玄関ではかぼちゃ型のランタンに明りが灯り、部屋からはカーテンの隙間から温かそうな家庭の明りが洩れている。

 それを見た瞬間、俺の口からなんとも情けない、残念そうな、心残りの声が毀れた。


「……あっ……」

「なんだい、その残念そうな声は?」

「えぁ? いや、なんでもないさ……」

「もしかして、まだあたしと二人きりでこうしていたいのかい?」

「ち、ちが……。違うに決まってるだろう!」

「あはは! あんたは面白い男だねえ、ヴィクトル。気に入ったよ」

「え?」


 何故か心が躍った、ような気がした。

 しかし……なんで俺は“そうだ”って言えないんだよ!

 ……でも、これでよかったのかもしれない。もしキスなんかしようものなら、きっと今頃火だるまにされていたかもな。

 それもこれも、ガーネットからいい香りがしたのがいけないんだ。そうだ、そうに違いない。

 ただでさえ美人なのに、間近であんな頭がくらくらしそうな匂い嗅がされたら、チャームに掛かったようなもんじゃないか!

 だが、ガーネットに気に入られるっていうのは……ぜんぜん嫌じゃない。むしろ嬉しかった。でも、あんな凄いもの見せられた後じゃ、ちょっと心境複雑だけどな、色々と。


 物思いに耽っていると、とうとう魔女の家へと着いてしまった。

 玄関手前の小階段を上り少し屈むと、ゆっくりとガーネットは地面に足をおろし、そして地に降り立った。なんだかこれでお別れだと思うと、急にもの凄く寂しい気持ちが胸中を占領していく。


 紅蓮の魔女はゆっくりと玄関へ歩いていく。そしていったん立ち止まるとこちらに振り向いた。

 人工の明りに照らされたガーネットの髪は、ピンクの上に橙色を写してふわりと踊る。シルクで織られたドレスの裾はやわらかく揺れた。

 二つの翠瞳が揺れながら俺を見つめている。俺はその瞳を真っ直ぐ見つめ返すと、不意にその距離が一気に縮んだ。

 何事かと思った次の瞬間――ガーネットの唇が俺のと重なった。


「んむぅ?!」


 一瞬なにが起こったのか理解出来なかったが、両手で頬を包まれ、柔らかい唇の感触が伝わってくるとようやくキスされたことに気付く。

 おそらく三秒ほどの短い時間だったが、とても長い時に感じられた。うるさいくらい鼓動が脈打つ。

 ゆっくりと顔を離すガーネットは、顔を赤くしながらにこりと微笑み、そして笑いながら言った。


「あんたがさっき、凄くキスして欲しそうな顔してたからさ!」

「なっ!? し、してないだろ、そんな顔!」

「あはは! 可愛い男だねえ」

「可愛い? せめてカッコイイにしてくれよ」

「なに言ってんだいヒヨっ子の癖に。もう少し男らしくなってからいいな」


 腹を抱えて笑うガーネットは、やがて落ち着きを取り戻すと静かな口調で言った。


「夕飯、食べてくだろう?」

「え? ……いや、でもなんか気まず――」


 そこまで口にしたところを彼女は遮ると、家を見つめながら言った。


「レティもきっと喜ぶと思うよ」

「レティが?」

「ああ。お前のこと、どうやら気に入ってるみたいだしねえ」

「そうなのか?」

「気付かなかったかい?」

「子供と接したこと、あんまりないからな……」

「きっと、もう友達だって言うだろうね」

「……そっか」


 それを聞いて、俺は決心した。最初で最後になるかもしれない、レティ、そしてガーネットと、ファフニール、ジャックとの晩餐に素直に呼ばれることにする。

 彼女が玄関の扉を開けると、中から少女が駆けて来るのが見えた。


「ババ! わちお腹空いたの」

「ん~、ちょっと待ってな。ヴィクトル、早く中入んな」

「ああ。じゃあ、お邪魔します」


 頷き、俺はガーネットの家へと上がった。するとレティが昼の時と同様、俺の手を取るとリビングのテーブルへと案内する。小さな手の温もりに、どこか心が落ち着くのを感じた。

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