第3話 団長
翌朝。
何やら外が騒がしく、騒音により目が覚めた俺は寮の部屋から外を覗いてみる。すると拓けた土地に設けられた訓練場に、隊列を作って並ぶ大隊が見えた。
銀色の騎士鎧が陽に照らされ、その光を反射して眩いばかりに輝いている。騎士たちが見つめるその先には騎士団長が立っていた。
……そうか。演習を兼ねた遠征の出発日は今日だったのか。
脳裏に、昨日団長から言われた言葉が木霊する。『貴様は留守番だ。うさぎ跳びでもしてろ』
「……はぁー、まぁいいか」
深いため息をついた俺は、何時だろうと思い時計を確認する。他の騎士達よりも多少広めに作ってある部屋の隅。あってもなくても特に変わらない机の上に置かれた、ブリタニア王国の獅子紋入りのシンプルな小型置時計。
ちなみになんと古臭く面倒臭いことに、ぜんまい式だ。一週間に一度は巻き直さなければならない。その時計の針は八時二十分を指していた。
普段ならとうの昔に起きてあの隊列の一番前、騎士たちに背を向けて団長の目の前に立っているはずなのだが、どうせ行っても俺は留守番。行くだけ時間の無駄だし、お呼びでないだろう。
諦念から再びベッドへ横になる。
目を閉じるとまたすぐにでも寝られそうだ。いっそこのまま寝て過ごすか? 滅多に出来ない経験だしな。
「なんか……本当に……眠たく……」
もう少しで寝に入れる。そう思った俺の意識を眠気ごと吹っ飛ばしたのは、団長の馬鹿でかい激声だった。
『これから諸君らは私と共に遠征に向かってもらう! 最低でも一週間は戻ってこられないだろう。騎士見習いの諸君には厳しい訓練になることと思う。だがしかし、これも実戦経験を積む良い機会だ。各々の更なるスキルアップと昇級を目指し、訓練に勤しんでもらいたい――』
おーおー、朝っぱらから堅苦しい挨拶しやがって。出立する前から肩がこりそうだな。
頭の後ろで手を組み仰向けに寝転がると、外から聞こえる団長の声に耳を傾ける。
『今回の遠征地の魔物はあまり強くはない。だがしかし、万が一命の危機に瀕するようなことがあれば、逃走も選択肢の中に入れておけ。命あってのものだからな――』
そうだ。そう言えばあの時の見習いに言った言葉。あれは団長からの受け売りだった。たしか……。
『守りたいもの、自分が抱く夢、信念。それらがあるのならば、逃げることを恐れるな。逃げる恥を受け入れる事、それもまた勇気だ――』
「守りたいもの、自分が抱く夢、信念。それらがあるのならば、逃げることを恐れるな。逃げる恥を受け入れる事、それもまた勇気だ」
だったよな? ……って、団長とまるっきり被ったじゃねぇか! 気持ち悪っ!
重なり合った二つの声が俺の耳に響いた。と同時に騎士たちの返事をする声が訓練場に響き渡る。そして大隊は移動を始めた。
……そう言えば、今回の遠征地はどこなんだ? 話に出てきたか……? また俺は聞き逃したのかもしれない。
まぁでも、モンスターが弱いんじゃ本当に見習いの訓練にしかならなさそうだな。死の危険もほぼないと言っていいだろう。
団長を先頭に、騎士の大隊は隊列を組んだまま行進を始める。一体何人の騎士が共に行くのだろうか。ざっと見ても三〇〇〇人はいそうな気がする。その大半は見習い騎士だが。
……一週間か。結構長いな。
本来ならばそこにいるはずの、騎士の軍団を窓から眺めしばらくの間見送った。やがてその全てが城外へと消えたのを確認すると、俺は特にすることもないが、とりあえず着替えることにする。
部屋に備え付けのクローゼットを開けると、俺は中から黒のインナーシャツとズボンを出す。これは普段、基礎トレーニングをする時に着用するもので、念のために着替えておこうと思う。
着替えをチャッチャと済ませた俺は、脱いだパジャマもそのままに部屋を出た。
「さーてと、どこに行くかなー」
これから一週間。あの口煩い団長がいないとなると、十二分に羽を休められそうな気がする。
……自室の前でそんなことを思っていると、寮内に住む下級騎士から声が掛かった。
「あ、副団長、ようやくお目覚めですか」
「ん? ああ。なんだ、お前は行かなかったのか?」
「ええ。私は王国の守備の方に回されましたので」
「なるほど」
納得して頷くと、騎士は俺に何かの紙を差し出した。
「なんだ、これは?」
「団長から、副団長に渡してくれと言われたので……どうしました? すごく嫌そうな顔ですね」
渋い顔をする俺を、騎士は訝しがりながら首を傾げて見てくる。
……当たり前だろ。団長からの手紙? きっとろくでもない事が書かれているに違いない。
俺は嫌々、騎士から団長の手紙を受け取ると、とりあえず礼を述べた。
「ありがとうな。確かに受け取ったよ」
そう言うと、騎士は頭を下げてそのまま立ち去った。俺は今手渡された手紙を一度見る。
きっと不幸の手紙だ。……あーあ、これが可愛い女の子からのラブレターだったら、どんなに嬉しいことだろうか。
そんな淡い思いも虚しく、手元にあるのは小汚いオッサンからの手紙という事実に泣きたくなってきた。
とりあえず歩き出し、どシンプルな手紙の封を破る。
きっと女の子なら、可愛らしいデザインの紙を使うのだろうが……いや、団長がそんなものを使った日には一週間高熱にうなされるだろうけど……。
手紙の袋が袋なら、中の手紙もまた同じ。出てきたのは何の変哲もないただの紙……ではなかった。入っていたのはチラシだ。
……どんだけ手抜きなんだ! 俺如きに紙を使うのがもったいないってか!? そうなのかクソじじい!
「完全になめられてるな……」
イライラもそこそこに、俺はその内容を確認しようと、不本意ながら折りたたまれたチラシを開いて内容を読んだ。
『私が帰ってくるまで、ノルマを一日でも怠るんじゃないぞ。お前の様子は逐一報告するように見張りを頼んでおいたからな。以上だ』
以上だ。……ってなにがだよ! てか、こわっ! やっぱ不幸の手紙じゃねぇか。
それにしても見張りを頼んだって……誰にだ? ……いや、それがバレたら見張りになんねぇか。
「……ちくしょう。やっぱやるしかねえんじゃねーかよ」
念のため、と思い着替えておいて正解だったな。いちいち部屋に戻る手間が省けたぞ。
あれこれ考えている内に、気付けば俺は寮のエントランスまで歩いてきていた。
広々とした空間はとても明るく、観葉植物なんかも置かれていて配色にも気を配られており目にも優しい。
階段を下りながら手にした手紙をくっちゃくちゃに丸めると、受付の脇に置かれた紙専用ゴミ箱の中にポイッと投げ捨てた。
「見てろよ。ステータス上げてあっと言わせてやる!」
見返してやりたい気持ちと、今日遠征に行けなかったイライラが相まってか、多少やる気になっていた。まあ、前向きなのはいいことだな。
あーそう言えば、昨日買ったケーキ。ルチアさんちゃんと姫に渡してくれたかな。またこっそりつまんでんじゃないかと思うと、あの人に渡してよかったものかと少し心配になってくるが……。
まあでも、六個買っといたから一つや二つ減ってることを、あの姫様が気付くわけないから別にいいか。
「……さてと、そろそろ行こう」
考え事もそこそこに、気持ちを新たに切り替え、団長からのクエスト『体力作り』を遂行するべくトレーニングルームへと向かう。
そうしてこれからの1週間、俺の筋トレ三昧な日々が続くのだ――。
……それから一週間と三日が過ぎた。
団長が『私が帰ってくるまで――』と言っていたのを思い出した俺は、この三日間も一日のノルマを欠かさずに行った。するとどうだろう。この僅か一週間足らずであるにもかかわらず、俺のステータスは著しく上昇したのだ。
具体的には力が26、体力が32、敏捷が17も上がった。しかしレベルは変わらない……。
俺はこの日のノルマを終え、特にすることもない為、城の回廊をただひたすらにグルグルと周回する。そして丁度立ち止まった位置は、あの獅子心王の肖像画の前だった。
見上げたレオンは威風堂々としていて、絵画であることを忘れるくらいのオーラが滲み出ているのを感じる。
「……くっそー、レベルが上がらなきゃライオンハートどころか、団長にすら近づけないだろうが!」
遅い、遅すぎる。まだ帰ってこないのかよ団長は! 次の遠征地はどこだ!? なんなら先回りしてもいいんだぞ?!
とは言ってみたところで、次の遠征地など知る由もなく、俺はただイライラを募らせるだけだった。
一週間と言っていた。団長がそう宣言したなら、必ずと言っていいほどその期間内で戻ってくることが出来るはず。魔物は弱いんじゃなかったのか? 強くてもさすがに団長の手に負えないのが出てくるとは思えないしな……。
「はぁ~、まあいいか。俺は一人でステータス上げに勤しみますよ」
項垂れて諦めのため息を吐き、歩き出そうと身体を横に向けたところで、背後から聞き覚えのある声に呼び止められる。
「副団長殿ーっ!!!!」
かなりの大声だ。絵画を見ている貴族達がビックリして、みんな揃ってそちらへ視線を投げる。
俺も釣られて回廊に響く声の主に向き直ると、なるほど。以前ここでくたばってたあの騎士見習いだった。安っぽいプレートメイルをガシャガシャと鳴らしながら、息を切らせてこちらへ走り寄ってくる。
かなり切迫した状況だというのは見て取れたが……。
「そんなに急いでどうした? というかお前は遠征に行ったんじゃなかったのか?」
「はぁー、はぁー、はぁー、は、い……はぁー、はぁー」
「なんだ、やっと戻ってきたのか」
見習いが戻ってきたのを見て、ようやく団長が遠征から帰還したらしいことを悟った俺は、ようやくトレーニング地獄から開放されることに安堵した。
だが見習いの様子がどうもおかしい。
「ん? どうした?」
「はぁー、はぁー……だ、団長が……うっ、ゲホッ、ゴホッ、ガハッ!!」
「おいおい、少し落ち着いてから話せよ。ほら、深呼吸だ、スー、ハー」
深呼吸を促すと、見習いは俺に倣って同じように深く呼吸をした。
「どうだ? 落ち着いたか?」
「は、はい。申し訳ありませんでした」
「それで、一体何があった?」
「それが……だ、団長が……お亡くなりになりました」
「……はっ?」
あまりの突飛な報告に俺は愕然とした。そのまましばらくの間、だらしなく口を開けたまま固まっていたが、ハッとして目の前の騎士を見る。その表情は暗く、悔しそうに歯を食いしばっては身体を震わせている。
……おいおい、それはなんの冗談だ? あの団長が死んだ? そんな訳あるか。……まさか団長に頼まれて一芝居打っているとか? そして俺を驚かそうって魂胆かもしれない。
いや、団長がそんなキャラじゃないことは重々承知しているが……まさか――。
「本当に、死んだのか? あの団長が」
そう問うと、見習い騎士は静かに頷きそして言った。
「はい。騎士団長だけではありません……。さ、三〇〇〇名で編成された今回の隊のうち、残ったのは僅かに五二名です。他の騎士たちはみなさん戦死されました」
「ちょ、ちょっとまて。確かここを出る前に団長は“魔物は弱い”と言っていたな。なのに大隊が壊滅状態ってのはどういうことだ? いったい今回の遠征地はどこだったんだよ」
「く、クローネの瓦礫の荒野です」
「クローネ?」
……おかしい。クローネと言えば、一五〇年ほど前に黒竜ファフニールの襲来により消滅した大都市の跡地だ。今は広大な荒野が広がり、草木もほぼ生えぬ都市の残骸を残すだけの大地となっている。
しかも団長が言っていた通り、あの荒野にはそこまで強力なモンスターは出てこない。俺も何度か行ったことがあるからそれは間違いない筈。では一体何故……。
すると見習いはカチカチと歯を鳴らし、身体を戦慄かせながら口を開いた。
「ぶ、ブラックドラゴンです」
「なにっ!?」
ブラック、ドラゴン……?
俺は驚愕した。クローネに生息するはずのない個体。その姿を目撃した者もほとんどいないほどのレアモンスターだ。しかもレッドドラゴン系統の最強に位置する亜種。遭遇すればまず間違いなく、今の俺では太刀打ちできない。
……団長が殺られた? あの団長が……ん?
一つ気になったことがあり、それを騎士に訊ねてみた。
「おい、団長はインペリアルを連れて行かなかったのか?」
「いえ、インペリアルの方は三名いらっしゃいました」
「たった三人?!」
――インペリアルとは、中級騎士からクラスチェンジすることによってなれる上位のジョブだ。位としては副団長と上級騎士の間に位置している。
話に聞くところによるとその訓練は過酷を極め、特に守りに関してのエキスパートとなる。訓練自体がトップシークレットな為、その様子を窺い知る機会などありはしないが、元インペリアルの知人の話では相当厳しいらしい。その主な任務は要人の護衛などだ。
しかし何故だ。騎士団長になるとインペリアルを最大十人まで引き連れていく事が出来る筈。……まさかここの守備の為に置いていったのか? いつも油断は禁物だ、と口煩く言っていた癖に……軽率すぎるぜ、団長……。
団長の浅はかな行動により生じた結果に、苦渋の表情を浮かべる俺に対して、見習いは恐る恐るといった感じで訊ねてきた。
「あの、副団長殿」
「ん?」
「ブラックドラゴンとは……黒竜のことですか?」
「は? お前はただの黒い竜と黒竜の違いも知らないのか?」
「ハッ! 申し訳ありません!」
そう言って姿勢を正す騎士に、俺は語気を荒げて言った。
「馬鹿野郎!! 勉学が足りんぞ!」
「ハッ! ぜひ、ご教授願えればと思います!」
「馬鹿野郎! 自分で調べないと身にならないだろうが! ……そういうお前には、王立図書館で調べてくることをオススメする」
「ハッ! 申し訳ありませんでした。直ちに行って参ります!」
ハキハキした調子でそう言うと、見習いは敬礼をして走り去っていく。
……ちなみに黒竜はあの伝説のドラゴン、ファフニールの事だ。レッドドラゴンの亜種であるブラックドラゴンなどとは比べ物にならない大きさ、そして強さらしい。
体長は八十メートルを優に超えるそうだ。クローネの荒野を見ればその力の凄さが分かることだろう。もし今回現れたのがファフニールだったならば、三〇〇〇人などそのブレスの一撃で焼失する。まあ、封印されているそうだから現れることはないが。
「――と言うわけだ」
見習いの直向な背中に向かってそう言うと、不意に耳元で声がした。
「なーにが、と言うわけだ、よ」
「ん? うわぁ!」
顔を横に向けるとシャスティの顔がすぐそこにあり、驚きのあまり俺は仰け反りその場で尻餅をついた。
「びっくりさせるなよ」
「あんたが勝手に驚いたんでしょ。それより、なにかあったの? 騒がしいようだけど」
「……団長が、死んだらしい」
「えっ!? うそ……」
彼女は信じられないと言った表情で、しばしの間瞬きもせずに硬直していた。
俺だって信じられないさ。あんなに強かった団長が死ぬなんて。いまだ実感が湧かない。
二人して暗い顔で俯く。
「そう。……団長さんね、あんたの監視をあたしに頼んだんだ」
「え、見張りってお前だったのか!? 騎士たちにおかしなことを報告されやしないかと、怯えながらトレーニングしてたのによ……用心して損した……」
「手紙のやり取りしていてね……あいつはやれば出来る奴だからって……」
すると突然シャスティの声が震え出す。見ると目には涙が浮かんでいた。そして話を続ける。
「団長さんはね、あんたと同じなんだよ……。だから、頑張って、ほしかったんだ……。だから、厳しく……うぅ……」
とうとうシャスティは声を上げて泣き出した。
……おいおい、貴族達が見てるだろ。なんか俺が泣かしたみたいに思われるじゃないか。
うろたえる俺を余所に、彼女は涙を零しながら俺を見つめる。
「うっ」
俺はこいつの涙が昔から嫌いだ。見ているだけで罪悪感に苛まれる。
どうしていいのか分からず、俺はただシャスティを見つめ返した。すると彼女は急に方向を変えて俺に背を向けると、そのまま走り去っていく。
しばらくして曲がり角の前で立ち止まると、振り返りざまに言った。
「頑張ってよ!! ヴィクトルーー!!!!」
回廊に大きな声が響く。そして彼女は角を曲がり、その姿は俺の前から完全に消えた。
「はぁー? いったい何なんだあいつは……。泣いたと思ったら急に走り出して、挙句頑張れだ? しかも俺と団長が一緒? 全然似てもねえよ」
言ってる意味が分からず、頭を掻きながらその場でただ立ち尽くす。
……なんだかんだで、団長は色々な人から人気があった。親父より親父らしいと言う者も少なくない。騎士団寮には父親がいない者も沢山いる。そういった者達の父親代わり的な所もあっただろう……。
俺はふと壁を見上げる。そこには俺の憧れと夢。ライオンハートが堂々と前を見つめて立っていた。
「団長……」
無意識に声が漏れる。……俺にとって団長は……なんだったんだろう。
考えても結局答えは出ず、時間はまだ早いが、今日はもう寮に帰って休むことにした――。
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