第2話 夢と憧れと
幼かった俺は騎士というジョブに対してただ単純な憧れを抱いていた。
両親の話によれば、母の腹の中にいる頃から、ある童話を読み聞かせられていたらしい。その童話は騎士学校の初等部に上がる頃まで俺の愛読書だった。
絵本を読んでは空想し、騎士のかっこよさに憧れるようになったんだ。
その童話の名前は『獅子の心』
物語は実在した人物の伝説をモチーフにしていた。主人公の名は「レオン・ガフ・ブリタニア」
そう、このブリタニア王国の初代国王だ。
レオンは妻子を持ちながらも人生の大半を、その身を戦場に捧げたという。ここだけ聞くと、妻と子をほったらかしにして戦いに明け暮れている駄目な父親のように聞こえるかもしれない。だがそれはこの国の明日を、未来を思い、愛する家族、そして民を守ろうと命を賭した結果だ。
しかも彼は、王だからと戦場の後方で指揮を執り、危なくなったら一目散に逃げ出すようなそこらの王とは違った。自らが戦場の最前線で指揮を執り、常に自身の身体を死地にやり戦闘をしていたそうだ。
そんなレオンの勇猛果敢さ、そして死をも恐れぬ揺ぎ無い心。その戦いぶりから人々は彼をこう称えた。
そしていつしかこのライオンハートという名は、騎士の最高の栄誉ある称号とされるようになった――。
俺がライオンハートは実際にある称号だと知ったのは中等部にいた時だ。こう見えてもガキの頃は真面目な騎士見習いだった。……って自分で言うのもなんだけど。
初めて行った王立図書館。その古文書部屋に入った時だ。好奇心から、獅子心王について調べてみようと思い、数日間にかけて通いつめた。
王国に関する書物から世界の歴史、他国の魔道書や魔法への対応の仕方が書かれたものなど様々ある中で、俺が見つけた一冊の本。
それは相当分厚く、しかも表紙と裏表紙の唐草模様は金で装飾されていた。背表紙には王家の紋章がプラチナで施された豪華なものだ。中を開いてみると、長い月日が経ち酸化して黄色くなった高そうな羊皮紙が、所々ボロボロになっていて歴史を感じさせる。
傷を付けない様に手袋をし、慎重にページをめくり中を読み進めていった。
すると見つけたページの中ほど。そこに書かれていたのは、獅子心王レオンの死後、ライオンハートの称号を得たとされる騎士の名前だった。
『中略。一一四六年七月二六日。ライオンハートの称号を以下の者に授与した……カロン・グラディス――』
彼以外の名前はそれ以上書かれていなかった。つまり、三千年以上続くこの王国の歴史上、レオンを除いてライオンハートの称号へと至った騎士はたったの一人だけ。
遥かに遠い。その時の俺はそう感じたが、しかし同時にいい収穫だった。ライオンハートは伝説級だが伝説じゃないという事が分かっただけでも、真面目に図書館に通った苦労が報われるってものだ。
それからの俺はただひたすらに訓練や戦闘に明け暮れた。騎士見習いからやがて下級騎士に昇格。そして中級、上級とクラスアップし、十九歳という若さで今現在の副団長の地位まで上り詰めたのだ。
ここまで来るのに苦労がなかったわけではない。
モンスターに襲われて死にそうになったこと……まぁその時は逃げた。リザードマンの大群に追い掛け回されたこと……この時もまぁ逃げたが――。
って、今思えば結構逃げてきたな。ライオンハートの受勲条件に影響がなければいいが……。
カロンはどうだったのだろうか? レオンはまるで参考にならないから気にはなる。
レオンが参考にならないと言ったのには理由があり、彼は戦場で敗北したことが一度もないからだ。敗北がなければ逃走もない。だから俺にとって参考にすべきはカロン・グラディスだろう。
これも調べた時に知ったことだが、カロンはある異名を持っていた。それは『竜殺し』
ドラゴン相手に戦うんだ。一度や二度の逃走くらいは経験しているはず……だと思う。
俺は腕を組み、眉間に皺を寄せて考え込んだ。
「なに難しい顔してんのよ」
聞こえた声にハッとした。回想に耽っていた意識を、現実へと引き戻したのはシャスティだった。相変わらず壁にもたれてだるそうにしながら俺を見下ろしている……。って、俺はいつまでこんな格好してるんだ。
離れたところにいる貴婦人達が、こちらを見るなりひそひそと話をしているのが目に映る。「なんですのあのはしたない格好は」だと。
たしかに……しゃがんで前で腕組みしていれば見た目にはしたない。顔が少し赤らんでいるのを感じながら、気まずくなった俺はその場でゆっくりと立ち上がった。
「あれ? うさぎ飛びもう終わり?」
「あ、あぁ。とりあえず今日はやめとく……」
「どうしたの?」
「なんでもない」
顔を覗き込んで聞いてくるシャスティから目を逸らし、俺はあさっての方向を見る。何気なく向けた視線の先に古めかしい肖像画を見つけた俺は、話題を切り替えようと彼女に聞いてみた。
「なぁ、あんな絵飾ってあったっけ」
見つめる視線の先を見た幼馴染は、呆れた様子で答えた。
「あんた気付かなかったの? あれは秘蔵みたいなんだけど、遂に公開することを王妃様が決めたらしいわよ。二週間位前に入れ替え作業してるの見たし。ほら、名前見てみなさいよ」
「ん?」
彼女に促され、俺は絵画の下にあるネームプレートを見てみる。そこに書かれていた名前を見た瞬間、俺は驚愕し言葉を失った。『レオン・ガフ・ブリタニア』
ライオンハートだ……。
肖像画とネームプレートを交互に何度も見返す。これが……この人が、あの獅子心王なんだ。
隣に立つシャスティのため息が聞こえる。しかしそんなことも気にならないくらい、俺はこの絵に見入っていた。
豊かに蓄えられた髭は長く、精悍な顔つきで、その目付きは鋭いがどこか優しさを滲ませる表情をしている。宝石などが散りばめられた豪華な金の王冠をかぶり、白銀の甲冑を身に着け、黒で縁取りされた真紅のマントを纏っている。そして剣を鞘に入れた状態で地面に立て、柄に手を添えた格好で描かれていた。
童話でしか見たことのない獅子心王の絵。しかし今すぐ目の前に、生前のライオンハートの実像が広がっている。
どう言葉で表したらよいのか分からないほど、俺は感動を覚えた。
「絵が残ってたんだな……」
「そうみたいね。よかったじゃない、絵本の絵でしか見たことない憧れの人を拝むことが出来て」
「……そうだな」
肖像画を見つめたまま呟いた。すると突然、シャスティは時計を確認すると何かを思い出したようにハッとして声を上げる。
「ヤバっ! あたし用事あるの忘れてたわ、ごめん、もう行くね。バイバーイ!」
「え? あ……」
……行ってしまった。まぁ、引き止めた所で他に話があったわけでもないけど。
俺が顔を向ける頃、彼女は既に十五メートルも向こうを走っていた。
相変わらず足速いな。まともに勝負したら、俺の方が遅いんじゃないかってくらい、昔からあいつは足が速かった。……あいつメイド、だよな?
彼女の背中を見つめながらふとそんなことを考えていると、不意に背後から声が掛かる。
「こんな所にいらっしゃったのですか、ヴィクトル様」
……またも聞き慣れた女性の声。俺は几帳面でしっかりしていそうな声の主に振り返ろうと、ゆっくりと身体をそちらへ向けた。
すると顔の位置がすぐ目の前にあり、あまりの驚きで後ろへ仰け反る。
「うぉっ!」
また一人現れた……。
口角を少し上げて笑顔で俺を見つめる女性。してやったりと思っているのだろうか、いつにも増して楽しそうな表情をしている。
この女性は現ブリタニア国王の娘である、リリアーヌ姫の付き人兼教育係のルチアさん。まぁ言うところの侍女という奴だ。
俺より少し年上で、そのせいかいつも子供扱いしてくる。悪戯が好きでよく吹っかけられるのだが、無邪気な子供のような笑顔を見るとつい許してしまう、そんな女性だ。
普段はあまり表情を崩さないが、時折見せる笑顔が可愛らしい。姫様の付き人ともあって、頭脳明晰で容姿端麗。非の打ちどころがない程よく出来た人だ……。たまに度を越した悪戯をするのが玉に瑕だが……。
と言うかこの人が来たと言うことは……?
「姫様がお呼びですよ?」
きた。悪夢のお使いクエスト。今度はいったい何やらせる気だよ。……がしかし、俺にはやらねばならないことがある。
やめるつもりだったが……。言い訳には使えそうだ。
「いや~タイミングが悪い。俺にはまだ日課が残って――」
「絶対遵守です」
笑顔を崩さずに低めの声でそう言われた俺の思考が止まった。それ以上の言葉は発せられていないが、その笑顔が十分すぎるほどに無言の圧力をかけてくる。
ガックリと肩を落とすと、まるで猫のように、ルチアさんに首根っこを掴まれてそのまま連行される俺……。なんてなさけない――。
そうして連れて来られたのはリリアーヌ姫専用の謁見の間。
変わったことにこの王国には、王と王妃、そして王女と王子にそれぞれの謁見の間が設けられている。
また変わったことに、俺は王と王妃の謁見の間より、このリリアーヌ姫の謁見の間への出入が格段に多いのだ。
相変わらず頭がクラクラしそうな程のバラの香りに包まれた部屋の中央奥に、俺を呼び出した当人が豪華な玉座に偉そうに足を組んで座っていた。
首根っこを掴んでいたルチアさんは手を離すと、そのままスタスタと姫の方へと歩いていく。
俺は姿勢を正し、改めて部屋を見た。
白を基調とした内装の部屋の入口には獅子の彫像が置かれている。王と王妃の謁見の間にも置かれているのだが、姫様の方はどこか可愛らしくデフォルメされた、まるでぬいぐるみのような獅子だった。
そして入口から姫の元へは高そうな絨毯を踏んで歩く。幾何学模様で織られた赤い高級絨毯は、その上を歩くだけで気が引き締まる思いがした。
そうして玉座へと続く小階段の手前まで来ると跪いて頭を下げる。
「ヴィクトル・ノーティス、ただ今参りました」
「ねえ……その破廉恥な格好はなに?」
「えっ?」
玉座の肘掛に肘を付き、姫は頬杖しながら俺に言った。改めて自分の格好を見てみて、そして気付いた。
しまった! 回廊に鎧忘れてきた……。
ルチアさんが強引に連れていくもんだから、うっかりして置いてきたことすら忘れちまった。
玉座の隣で一歩下がり、腰の辺りで手を組み合わせて立っているルチアさんをチラリと見る。彼女は悪戯に微笑んで、声を出して笑うのを我慢しているようだ。
……またやられた……。項垂れる俺に姫は続けた。
「まぁいいわ。それで、あなたを呼び出した訳なんだけど――」
はいはい、またどうせお使いだろ? 頼むから簡単なものにしてくれよ? 先月なんか大変すぎて泣きそうになったんだからな。
なんと黒狼のヘアブラシが欲しいとか言い出して……。さっきルチアさんが言っていたが、姫の言葉は“絶対遵守”。だから逆らうことが出来ない。身分的にも当たり前なのだが。
しかも買ってこい、ではなく作ってこいと命令されたもんだから、俺を殺そうと画策してるんじゃないかと疑っちまったよ。
黒狼とは「ヴラドゥルガルム」と言う名の巨大な狼のこと。体長は優に十メートルを超える。その力も半端ではなく、副団長程度のレベルでは到底倒すことなど不可能だ。
よって俺は倒すことを諦めた。が、とりあえず走り回って探したおかげか、途中で遭遇したモブを倒しまくりレベルだけは上がったんだ。
しかし手ぶらで帰るわけにもいかず、滅多に出回らない黒狼の毛を求めてマーケットを覗いてみたところ……なんと運良く一つ分のブラシを作る程度の毛が売っていたのだ。値段は五五〇万ガロ(Galo)。
副団長の給料半年分だ。他に金策がないわけではないが、それでも大金には変わりない。俺は仕方なく貯金を崩し、泣く泣くそれを買って帰った。
……どうか神様お願いします、あの時のような無理難題を押し付けられませんように……。
「――という訳なのよ。いいかしら?」
「えっ? あ、はい」
「そう、なら頼んだわ」
そう言うと姫は立ち上がり、謁見の間を出て行った。
俺が思い返している内に、どうやら話は終わってしまったらしい。そして、内容も聞かずに返事をしてしまった。
「う、うわぁーっ!! なにやってんだ俺は!」
頭を抱えてうずくまる俺に近付いてくる気配。顔を上げるとそこにはルチアさんが立っていた。
「ヴィクトル様、どうかなさいましたか?」
「え? あーいや……その」
「まさか、姫様のお話を聞いていなかった、とか?」
うっ!? またプレッシャーを感じる。笑顔でとんでもない圧力を掛けられる人だな、この人は。
正直俺は彼女も苦手だ。……素直に謝ろう。
「すみません」
「今日はやけに素直ですね。いいでしょう、私が教えて差し上げます。姫様はケーキが食べたいので、街へ行って買ってきて欲しい、との事です」
「ケーキ? よかったー、そんなことで」
「ふふっ、よろしくお願いしますね」
そう言って丁寧なお辞儀をすると、ルチアさんは姫が出ていった扉から同じく部屋を後にする。
俺はその背中を見送った後、安堵のため息を吐いた。
まぁ、ケーキならいいか。……にしても姫様は何故俺ばかり雑用に使うんだ? 他に暇そうな騎士ならいくらでもいるだろう。まぁ、俺も暇じゃないかと言われれば否定は出来ないが……。
「って、こんなことしてる場合じゃなかった」
急いで回廊に置き去りにした装備まで戻らなければ。
もしあんなところが団長の目にも触れれば、また俺は小一時間ほどの説教を受けることになる。その前になんとしてでも再装備しなければ……。
立ち上がると獅子像を横目に部屋の扉を開けて出る。そしてそのまま廊下を走った。
たしか場所は、獅子心王の肖像画が近かったような気がする。しかし、レザーチュニックにレザーパンツといった貧相な格好で廊下を全力疾走する俺の姿は、貴族たちの好奇な視線の的になっていた。……情けないが仕方ない。
そしてついに、目の前の角を曲がれば装備品を置いた場所、という所まで走ってきた。勢いそのままに俺は角を曲がる。その視線の先には綺麗に纏められた甲冑が――。
「っ!? げっ」
同時に目に飛び込んできたのは、俺が今最も見たくない人物だった。案の定、鎧を置いてどこかへ行っていた事が団長にばれてしまったのだ。腕を組んで装備一式を見下ろしている。
俺は咄嗟にうさぎ跳びのフォームになると、ジャンプしながら団長に近付いた。
「あれ? 団長、一体どうしたんですか?」
「どうしたではない。貴様、これは何だ?」
「これって……? 見れば分かるでしょ、俺の装備品ですよ」
「……何故脱いでいる」
「そんなの重いからに――」
「馬鹿者!!」
急な怒鳴り声に多少ビクついた俺に、再び団長の説教が飛ぶ。
「鎧を着たままでなければ訓練にならんだろうが!」
「なんで俺だけ――」
「口答えをするな! ……貴様は本当に留守番だ。私が帰ってくるまでここでうさぎ跳びでもしていろ! コレがお前の日課だ」
そう言って雑に投げられ渡されたのは1枚の紙切れだった。俺はそれを手に取り内容を確認する。
なになに……腕立て三〇〇〇回、腹筋三〇〇〇回、背筋三〇〇〇回、スクワット三〇〇〇回、回廊うさぎ跳び二五〇週、城外ランニング一〇〇週……以上。
「ノルマだからな、一日でもサボってみろ! 副団長から降格させるぞ」
それだけ言い残すと団長は、ふんっと鼻を鳴らして俺の前から立ち去った。珍しく小一時間くらいの説教もないことに少し安心したのも束の間。
……なんだこれ……マジでこれ一日でやるのか? いくら体力が上がったからって、これはさすがにキツいんじゃないか? あのクソじじい一体なに考えてやがる!
「ちっ! 遠征にでもなんにでも行って、とっとと死んでこい!! 八回くらい死んでこい! ……ったく」
イラついた俺は罵詈雑言を口から吐き出した。……だが、ちっともスッキリしない。
あーイラつく。
「あ、そうだ。そういや、姫のケーキ買わなきゃなんねぇんだった……」
用事を思い出した俺は急いで装備を身に着ける。鎧を装着すると剣を腰のベルトに二本差す。兜は脇に抱えて持ち、そのまま城を後にした。
「姫は一体なにが好きなんだ? ……まぁ、適当でいいか」
俺は息抜きも兼ねてのスイーツ選びを楽しむことにし、夕方の街へと一人くり出した。このイライラとストレスの発散になることを願って……。
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