ライオンハート

黒猫時計

第1話 夢のまた夢

『起き――――いっ! 聞こ――――か!』


 ん? 五月蝿いな……一体、なんだよ……。


『起――んか! この馬――の!!』


 あ? この声は……団長、か? 人の気持ちのいい眠りを妨げるとは無粋なオヤジだな。


「副――長! ――おい、起きろっ! 馬鹿者!!」

「いてっ!!」


 怒鳴り声が聞こえていたかと思った次の瞬間、俺は頭に強い衝撃を受けて目を覚ました。半覚醒状態なためか、まだ視界が微かにぼやけて見える。

 少しずつ目が光に慣れピントが合い始めると、目の前に見知った髭面の男が立っているのが見えた。鎧の上からでも分かる屈強な体格。その顔は数多の戦歴からか傷だらけで、左目には眼帯が当てられている。

 その男は相当怒っているようで、こめかみに青筋を浮かべ顔を真っ赤にして何かを喋っている様だが、今の俺にはそれがハッキリと頭には入ってこなかった。


「貴様、それでも副団長か!」


 しばらくしてようやく耳に入ってきた言葉。しかし俺はそんなことよりも気がかりになっていることがあった。

 俺は確かベッドで寝ていたはず。なのに何故、今こうして立ち、しかも騎士団長に殴られ怒鳴られているのか、皆目見当が付かない。

 しかしそんな混乱状態の俺を余所に、団長はまるで機関銃のように説教文句を口から乱射している。


「自覚が足りんのだお前は! また見習いからやり直すか!?」


 ん? 見習い……だと? ふざけるな!! 俺がここまで来るのにどれだけ……あ、分かったぞ。これは夢だ。夢を見ているに違いない。よくあるだろ? 夢から覚めたらまたそれも夢だったってやつ。

 さすがに普段はここまで怒られたりはしないからな。……そうと分かれば。


 俺は普段から騎士団長へ募らせている溜まりに溜まった鬱憤を、夢と言う絶好の機会を逃すまいと攻勢に出て晴らすことにした。


「うっせんだよ、クソじじい!」

「何っ!?」

「黙って聞いてりゃ調子に乗りやがって」

「貴様、それが団長に対する態度か!」

「それだよそれ。団長だからっていつも偉そうにしやがってよ。めんどくせぇ仕事は全部俺に押し付けやがって」


 俺の反抗的な言葉を聞いた団長のこめかみには再び青筋が立ち、顔が見る見るうちに赤くなっていく。


 ははっ、いい気味だ。まるでレッドコボルトだな。


「これは夢だからな。今まで溜めたストレスを今ここで発散してやる」

「夢、だと?」

「そうだ。俺の夢だ。人の夢ん中に土足で入ってきやがって! さっさと団長の座を俺に譲り渡しやがれ!」

「ほぅ、それが貴様の本音か」


 団長が目を細めて俺を見る。他を威圧するこの視線、普段の俺なら間違いなく多少ビビるところだが……今は俺の夢の中だ。こんな視線如きに臆することなどない。


 しかし先程から少々引っかかっていることがある。団長と二人きりだと思っていたのだが、どうやら団員達が後ろにいるようだ。ひそひそと、まるでこれから起こりうるであろう惨劇を予想して、団員同士で俺の未来を案じている声が聞こえてくる。


 そんなに心配しなくても……これは俺の夢の中、だぞ?


 何かがおかしいと思った瞬間に、後ろの団員達の中から俺に進言する声が響いた。


「ふ、副団長、これは夢ではないですよ!!」


 まったく、こんな状況で度胸のあるやつだな。団長の話の最中、私語をしただけでスパルタ的罰が与えられると言うのに。

 例えば、城内をうさぎ跳びで一〇〇週とか? ただでさえ広い城内を、走るよりもきついうさぎ跳びで体力的に、そして城内には貴族の連中などが往来している。いい笑いものにされるために精神的なダメージを負わされる。

 ちなみに俺は、自慢じゃないが三度ほど経験済みだ。あの屈辱はなかなか味わうことが出来ない。おかげで多少精神攻撃の類に対しての抵抗力が身に付いたようだ。


「はぁ? 夢に決まってるだろ。夢のまた夢ってやつだ」


 俺は振り向いて団員達へ向かって高らかにそう宣言すると、振り向き様に団長へ言ってやった。


「もういい歳なんだ、ゴブリンにでも殴られてコロッと逝っちまった方がいいんじゃないか?」


 からかう様に放ったその言葉を聞いた騎士団長は、怒りが頂点に到達したのかまるで鬼のような形相で俺を睨みつける。と同時に後ろから、ヒィーッという掠れた悲鳴のような声があちらこちらで湧きあがった。


 ……ゴブリンはさすがにないか。団長はこう見えても俺よりも強い。……まぁ当たり前なんだが。

 ゴブリン如きの名前を出したから怒ったのか? でもまぁ夢ならどうでもいいことだ。


「なら、本当に夢のまた夢とやらに飛ばしてやろうか?」


 眉毛は吊り上がり団長の右目が怒りに燃えている。だが俺は臆することなく言い放った。


「ハッ! これは夢だから痛くも――」


 そこまで口にした次の瞬間、団長は目にも留まらぬ速さで手にした槍を思いっきりスイングし俺の頭部を横に薙いだ。そのインパクトは凄まじく、常人ならば間違いなく即死級だ。普段通りに兜を外していたならば、今の瞬間、間違いなく俺はあちらの世界に旅立っていたことだろう。


「いてぇっ!!」


 夢が覚めるほどのあまりの痛さに……って、あれ??

 俺……起きてるのか? これ、夢じゃ、ないのか……?

 ……ヤバイ!!


 気付いて団長の顔を見た時既に遅く、団長は槍を大きく上に振りかぶって、それは振り下ろされている最中だった。


「うわっ!?」


 ブンッという轟音と共に振り下ろされた槍を、なんとか紙一重で後ろに飛びずさりかわすと、俺はそのまま騎士達を押しのけてこの場から走り去る。

 逃げるが百計ってやつだ。トンズラとも言うが。ここにいたら間違いなく殺される! ほとぼりが冷めるまで身を隠すのが吉! と思っていたら、なにやら後方から怒鳴り声が聞こえてきた。


「罰として貴様は城内うさぎ跳び二〇〇週だっ! 分かったな! 副団長!!」

「は、はいっ!」


 出た。今までの最高記録。しかも四回目にして城内二〇〇週とか……。しかも俺返事しちまったし。

 ただの体力馬鹿になっちまうな。まぁ騎士のパーティーでの主な役割なんか、敵陣に突っ込んで敵の注意を引き囮になるタンカーばかりだしな。体力なけりゃ話になんねえけど……さすがに二〇〇はないぜ。

 つうかあいつらさっさと教えろよ。また余計な仕事が増えちまったじゃねえか。


 ぶつくさと文句を垂れながらも、なんとか騎士団寮のブリーフィングルームから逃げ出した俺は、気付いた時律儀なことに城内へと足を踏み入れていた。

 騎士団寮はその名の通り、ブリタニア王国に忠誠を誓った騎士達の為の宿場だ。騎士にジョブチェンジした者は必ず寮に入れられる。よってその大きさも半端じゃなくデカイ。

 総勢五万五千人ほどを収容する騎士団寮からヴァルワーレ城までは歩いておよそ五分程。王国の持てる技術を駆使して建てられた、世界三大名城にも称えられるヴァルワーレ城。その広い回廊に俺は今立っている。


 辺りを見渡すと、よく分からない抽象画から人物画、風景画などが一定間隔を空けて飾られていた。それを貴族達が見上げては批評し合い談笑している。この回廊は別名「美術回廊」とも呼ばれ、今まで王国が集めてきた絵画などの美術品の一部を一般開放している場所でもあるのだ。


 ……って、なんで今日に限ってこんなに人が多いんだよ! こんな中でうさぎ跳び?

 冗談じゃない! やってられっか!!


 俺はそのままふけようと踵を返したところで立ち止まる。そして思い返す。団長のあの怒りに満ち満ちた目を。……夢だと思っていたからあの時はどうということもなかったが、今思い返してみると、あの目付きは間違いなく殺しに掛かる時のものだった。

 志半ばで戦死、なんてことはよくあるが……こんな所で死ぬわけにはいかない! 俺には夢があるんだ!


 これ以上団長の逆鱗に触れぬよう、俺は覚悟を決めてうさぎ跳びを始めることにした。

 まずこのクソ重い甲冑を脱ぐ。俺の今のクラスは副団長だ。よって上級騎士以下の者たちよりも上位の装備で身を固められる。そのため装備の重量も多少重くなるのだ。防御力が上がればその分生存率も上がる。それに力と体力も少し上がるため、俺は進んで重い装備を身に着けるようにしているのだが……。うさぎ跳びの時だけは別だ。こんなことの為に馬鹿みたいに体力を使うことはない。しかも二〇〇週。

 目標は三時間を切ることだ。以前よりもレベルが上がっている為、多少楽にはなっているだろう。


「よし、始めるか!」


 鎧兜を回廊の隅に一箇所に纏めると、レザーチュニックにレザーパンツといった貧相な格好でその場にしゃがむ。今日は寝坊したため、インナー装備を選んでる暇がなかったのだ。生活習慣の悪さがこんな所で仇となって現れるとは……。今度から気をつけよう。


 手を後ろ手に組み勢いを付けてジャンプ。そしてまたジャンプと、延々ジャンプを繰り返していく。そんな俺に気付いた貴族達が好奇な視線を注いでくる。

 ふん、もう慣れたから気にしない。そんなことより、お前達は絵画でも見てろ、この暇人が。


 俺は視線を気にせず、ただひたすらにうさぎ跳びを行う。すると前方にくたばっている一人の騎士を見つけた。格好は俺とそう変わらないため階級の判別は難しいが、恐らく見習い騎士だろう。そいつも同じくうさぎ跳びをやらされている様だ。


「よう。大丈夫か?」

「ぜぇー、ぜぇー、はぁー……はぁー。あ、こ、これは副団長殿!」

「随分と辛そうだな。お前はなんでうさぎ跳びやらされてんだ?」


 今にも酸欠で倒れかねなさそうな見習い騎士の隣で止まると、俺はその理由を聞いてみた。


「わ、私は……何をやっても駄目なんです。何をやっても失敗ばかりで……。この前も、初実践でモンスターと戦ったのですが……間違えて味方に切り付けてしまって……」


 ……あちゃー。それは駄目だろう。つうかモンスターと人間間違えるって……ブッ!!

 おおっと、いかんいかん。仮にも俺は副団長だ。悩んでる奴を目の前にして笑うなど言語道断だ!

 とは言いつつも、笑いを堪えるのに必死で、今の俺の顔はその格好と相まって、傍から見たらとても滑稽に見えるだろう。


「そうか。まぁそういうこともあるさ、生きてればな」

「……そうですか。……ところで副団長殿はなぜうさぎ跳びを?」

「ん? あぁ、ミーティングの時に居眠――」

「……??」

「ゴホンッ! お、俺はまぁ、自主トレだ」


 あ、危ない。下位の騎士たちの見本にだの何だのと、団長から耳にたこが出来るほど言われ続けてるってのに、こんな所で俺の情けない一面を曝して、見習い騎士の夢や希望を汚してはいけない。


 俺の言葉を聞いた騎士は、おぉー、ととても感心している様子で目を輝かせて言った。


「さすがです、副団長殿!」

「まあな。真面目にやればうさぎ跳びだって立派なトレーニングだ。メリットもあるしな」

「メリット、ですか?」

「そうだ。これをやることによって強靭な脚力が身に付く。するとどうだ?」


 そう俺が問いかけると、騎士はう~んと唸って少し考え、そして答えた。周りから見たら、二人して手を後ろ手に組み、しゃがんで真面目そうな話をしている俺たちを、おかしな奴らだと思うかもしれないが、今はそんなことは気にしない。


「跳躍力が上がります」

「うん、まぁ確かにそうだな。使えるスキルも増えるだろう。それもあるが、何よりも逃げ足が速くなる」

「逃げ足、ですか? しかし敵前逃亡は――」


 明らかにそれは軍規違反なのでは? といった心配そうな顔を向ける騎士に、俺は声を張り上げて言った。


「馬鹿野郎! 命あってのもんだろう? 生きてればその内リベンジ出来る日が来るかもしれないだろうが!」

「はっ! も、申し訳ありません!!」

「うん、分かればいいんだ」


 ……まったく、いつの時代の軍規だよ。そんなもんまだ騎士学科で教えてるのか? 遅れすぎだろうが。……っと、軍規なんかまともに読んだことのない俺が言ってみる。


「まぁ、俺は先に行くが……お前も頑張れよ」

「はっ! 副団長殿のようになれるよう頑張ります!」


 うぅ、眩しすぎる! 俺はお前とは違うんだ。そんな輝かしい瞳で俺を見つめるんじゃない!

 幼少期の俺にもこのくらいの熱意があったなぁとしみじみ思いながらも、俺は見習い騎士の青年を置いて先に行くことにした。


 ――いったい何週したのだろうか……。いや、たぶん三週くらいだが。

 そんな時、ひたすらうさぎ跳びを行う俺に、横から急に誰かが話しかけてきた。


「ま~たやらされてんだ?」


 聞き覚えのある声だった。しかし、ジャンプの勢いを付けすぎて急に止まることが出来ず、俺はそのまま前のめりになって倒れる。後ろ手に手を組んでいたため、顔から床にダイブする形となってしまった。

 俺は急いで手を付いて起き上がり、笑い声のする方へ視線を向けると、そこにはメイド服姿で壁にもたれ掛かり、腕を組んでこちらを見つめる女が立っていた。


「げっ!? シャスティ」

「失礼ね! “げっ”とは何よ“げっ”とは」

「っておい、そんなことよりまたとは失礼なやつだな。俺はまだ4回目だ!」

「四回もやらされてれば、立派な常習者でしょ……」


 紹介しよう。こいつの名前はシャスティ・メイラー。俺の幼馴染だ。幼少時代からの言わば腐れ縁で、俺が騎士を志すようになると、それなら、とどういうわけかこいつは給仕として城勤めをするようになった。

 今はカチューシャを付け、後ろ髪をアップにしているので長さは分かり辛いが、実際髪は長い。背中の真ん中辺りまで伸びる綺麗な栗色の髪で、顔も比較的整っており、黙っていれば“そこそこ”の美人なのだが。……はっきり言おう。俺はこいつが嫌いだ!

 何かあるごとに逐一チクリやがる。きっと今のこれだって……。


「おい、姫様には言うなよ」

「何をかな~」


 きぃーっ!! 鼻で笑いやがって!

 クスクスと笑うシャスティを見上げながら、俺は大人げもなく声を張り上げた。


「お前のせいでいつもいつも俺はな! あの能天気で脳タリンな姫にチクチクチクチクと説教垂れられてんだ!」

「そんなのあんたが悪いんでしょ? それよりもさ、あんたまた何かやらかしたの?」

「何かって何だ、失礼な。さっき見習いにも言ったけどな、俺は“自主トレ”だ」

「ホントかな~?」

「本当だ!」

「……ま、理由なら知ってるけどね~」


 ――知ってんのかよ!!


 目の前で声を押し殺して爆笑しているシャスティに、俺は唖然として何も言えなかった。

 こいつと喋ってると本当にテンポが狂う。そして疲れる。誰かこいつをどうにかしてくれ……。と言ったところで誰にどうしろとも言えず、手をこまねいている俺を尻目に、腹を抱えて辛そうに笑うシャスティは息を整えて話を続けた。


「だってブリーフィングルームから団長さんの声聞こえてたし」

「なんて?」


 そう聞き返すと、シャスティは思い出すように少し頭を傾げ、モノマネを交えながら言った。


「え~っと……副団長のようにはなるなよ! 私の話の最中“居眠り”など言語道断だ!! あのようなことをしようものなら、今以上の厳しい罰が与えられると思え!! 話を戻すが、諸君らは私と共にこれから遠征に向かってもらう。見習いの教育も兼ねるので声を掛けておけ。……で、あんたは留守番だって」

「何っ!! 俺が留守番……?」


 あのクソオヤジ! 俺を置いて行く気か?

 つうかコイツ給仕の仕事投げてどこほっつき歩いてんだよ。……しかし今はそんなことは重要ではない。

 今の話が本当ならば、俺はチャンスを棒に振るかもしれないのだ……。頭を抱え、俺は叫んだ。


「せっかくのレベル上げの機会が~!!」

「レベル上げ? あんたまだ夢諦めてなかったの?」

「当たり前だろ。俺がなんの為に騎士やってるのかお前は知ってるだろ?」

「うん、まぁ」


 そう。こいつには、何を血迷ったのか、幼い頃に自分の夢を話したことがある。

 ……あれは七歳の頃だ――。

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