第11話

 ケセオデールは真剣に自分の体に疑いをもちはじめた。


 もういく月も耳にしていない女王のあの口癖が胸にこだまする。その言葉は淡い不安に満ち、甘い味がした。けれど、いまは虚無的なおののきにいれかわりつつある。


 男であったならと夢想できたのは、女であるということをかけらも疑っていなかったせい。いまやその自信すらぐらつきはじめている。


 まだ女であるひと月に一度の徴すらみていない。これさえもおののきの原因に関係があるのだとすれば、この体はいったいなんなのだ。石女なのか? 


 しかし、男ではないことは確か。ケセオデールの淡い蔭りのある恥丘には、男をしめす異物はそなえられてはいない。


 物思いに沈む日々も、ただ過ぎていくだけ。


 以前、女王と過ごしてきた時間が、夫の母親との他人行儀な馴れあいにさかれた。


 女王は会話を楽しむ女性であったが、義母は気のきかない機知をケセオデールに披露してくれた。義母は典型的なケラファーンの女だった。


 春の季節、真昼間の女たちのすることといえば、手なぐさみの針仕事に機織り、そして、果てることもなく繰り返される会話。


 城のそとにでて気晴らししたり、小難しい本を読んで精神を高めたり、土地に線を引き、こぜりあうのは男たちのひまつぶしだった。


 初夏になり、日差しが暑くなりはじめると、盛んに男たちは血気はやる犬たちを連れて、ケラファーンの森へでかけた。ほとんど毎日のように鹿だのうさぎだのが食卓の皿を飾り、水っぽくなりがちの食事に楽しみをそえた。


 冬のあいだ、頻繁に空を去来していた双神も、自分の守護領域ぎりぎりの北のビオリナのほうへいってしまい、ケラファーンの上空でみかけることは珍しくなった。


「もっとお食べなさい、おまえはぜんぜん肉がつかないのですね」


 夏むきのキルトにはぎれを縫いあわせながら、義母はいった。厭味といえるほどのいい回しなど、彼女には無縁。その純粋で素朴な疑問に、ケセオデールは適当にこたえた。


「月の障りはまだこないのですか?」


 未熟な少女が男と体をあわせたり、結婚したりすると、ふいにそれがはじまるらしいのだ。ケセオデールはわざと顔もあげず、床のかごの端切れをとって、だれに使うとも知れないキルトに縫いつけていった。


「旦那様は、きょうはなにをおみやげにたずさえてお帰りになられるでしょうか」


 話をそらすためにケセオデールはつぶやいた。義母ももともとなにも考えずに口から言葉を紡ぎだしていたに過ぎず、たやすくケセオデールの話題へ引きこまれた。


「うずらは? もううずらの季節でなくて?」

「それならば義母上、今夕の食卓の皿には、骨皮の手羽と長い棒のつきでた鳥皮がならぶのでしょうね。犬が食わえた時点で、あらかた肉はなくなってしまいますから」

「犬はちゃんと吐き出します。そうしつけられております」

「もちろん、そのとおりですわ」


 こんな調子で会話は淡々と続けられる。たまにその退屈な会話に夫の姉妹が乱入し、義母の気のきかない返答を撹乱していった。


「母上、だめよ。義姉君はわかってらっしゃる。兄上の犬はいったん口にいれたものは、なんであろうときちんと飲み込むようにしつけられておりますわよ」

「おふざけはおやめ」


 義母はぴしゃりといった。


 ケセオデールは自分と年のかわらないハルコーンの妹をみやった。義母と同じ赤っぽい金髪に深い青い瞳。面影は彼によくにている。彼が女であればさもあろう。


 会話を楽しむという性格は、ハルコーンともどもいったいだれににたのだろうか。義母でないのは確か。


 朴訥な義父ににたのか。それとも口の端にものぼったことのない昔の恋人に?


 ケセオデールはつくり笑顔のしたでそんな下世話な想像をめぐらせてみる。


 それでもハルコーンが救いがたいほどのうどの大木などではなく、あるていどのユーモアをみせてくれるのが正直好ましかった。彼の行為、彼の体に不自然、理不尽さを感じたとしても、彼の心までそのように感じたくなかった。


 扉を世話女がたたき、もう時刻が夕刻に近いことを知らせた。そろそろハルコーンがなにがしかの獲物をぶらさげて戻ってくるはずだった。


 調理場におもむき、その指示をするために、義母はやりかけのキルトをいすにおいて、部屋をでていった。


 でていったとたん、義妹は羽をのばすかのごとくのびをし、友人どうしの気心の知れたようすでいすに座るケセオデールの足にもたれかかった。


「ねぇ、ケセオデール……兄上はどう?」

「なにが?」

「いやねぇ、決まってるじゃない。ほかの男とくらべてよ」

「くらべるって、なにを?」


 ケセオデールはといかえした。


「あなたってつまんないひとね」

「つまらない? どうして?」


 ケセオデールは義妹の言葉にすこしむっとして、いった。


「くそまじめな兄上と本当によくお似合いよ、ベッドのなかでも刺激がなくて、つまらないんじゃなくて?」


 ケセオデールは足に寄りかかる義妹の手を軽くはたき、「とんでもない妹御ね、兄君が嘆かれるわよ。自分の刺激的な恋人たちと兄君をくらべてどうしようっていうの?」

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