時を止める時計を手に入れたが……

赤糸マト

時を止める時計を手に入れたが……

 時を止める能力。


 それは誰もが望み、憧れ、欲する能力だろう。


 実際に小説や漫画、ドラマ、アニメなどで用いられている能力であり、異能力バトルものでは強力な力として扱われる場合が多い。


 だが、その能力が実際に使われたことはない。


 この現実世界の物理法則に置いて時を止めるということは、大惨事を起こすことになるからだ。


・・・


 ごく一般的なサラリーマンである常盤ときわ 和也かずやの朝は早い。


 6時に設定したアラームを止めると、顔を洗い、歯を磨き、冴えない顔を見つめながら髭を剃る。そしていつものスーツに着替えると、朝の情報番組を見ながらトーストした食パンとインスタントのコーヒーを啜り、食べ終わる6時30分には家を出る。


 そして、2時間ほど電車に揺られてたどり着いた職場では、毎日口うるさい客に愛想笑いをしながら対応。精神的に疲弊しきったところに上司から与えられた残業をこなす。


 残業が終わり、家に帰るころには既に時計は12時を回り、途中、スーパーで買った半額シールの張られた弁当を夕食にして、食べたのちに風呂に入り眠りにつく。


 そんな、冴えないサラリーマンであるこの男の一日だ。


「お前って特徴ねぇよな」


 それはある日の昼食の最中、社内で最も仲のいい同僚に言われた言葉だ。


「そうですよ。常盤さん何か趣味を持ったほうがいいですよ!」


 同僚に続き、最近同僚と付き合っていると噂の女性社員が自身のかわいさアピールのつもりか、自宅で作ってきたという小さな弁当箱のこれまた小さな卵焼きをつまみながら甲高い声で言う。


「趣味……か……」


 男はぼそぼそと、前方約1mにいる同僚に聞こえるか聞こえないか微妙な声量で口元を動かす。そして、数秒の沈黙ののち、今度は同僚に聞こえる大きさで返事を返した。


「今は仕事が忙しいから。それに、自分に合った趣味っていうのもいまいちわからないし……」


 男が返したのはとても曖昧な返答だった。


 彼自身、今の自分を変えなければならないという自覚はある。それこそ、日々上手に上司から渡される仕事を躱しつつも、眼前で卵を小さな口で咀嚼する女性社員を獲得した同僚に尊敬や嫉妬の念を抱いており、それこそ同僚のような自分にないものを持っている人間に近づきたいという考えを持っている。だが、彼には他と比べて秀でた能力はなく、またそれを自覚しているためかこういった話を苦手としており、自発的に何かをしようという気も起きない。男はそういう人間だった。


「別に金が無いわけじゃないんだから、何か初めてみろって。読書とかでもいいと思うし……。そうだ、今度釣りにでも行かないか?」

「釣り……かぁ……」


 同僚の趣味である釣りに難色を示す。彼自身、同僚と釣りに行ったことは何度かある。しかし、男がその間していたことといえば水面に釣り糸を垂らし、隣で次々と魚を釣り上げる同僚の様子を見ているばかりであった。その上、同僚が釣った魚を見事な腕前で捌き、美味い刺身を食べさしてくれるため、情けなさと申し訳なさが入り混じってしまい、隣で笑顔で魚を捌く同僚と自分を比較してしまう。


「ごめん、また今度でいいか?」

「まぁ……いいけど」


 同僚は少し寂しそうな顔をするが、その顔はすぐさま普段と同じ人受けのよさそうな顔に戻す。


(一体こいつは俺のどこを気に入ってくれたのだろうか……?)


 そんなことを思いながら、男は最後の一つとなった唐揚げを口に放り込んだ。


・・・



「……今日は休みか」


 いつもと変わらない一日を終え、眠りから目覚めた男はけたたましく鳴り響くアラームを止め、太陽が昇り切っていないためか、薄暗い部屋の隅に積まれているゴミ袋を空虚な目で見つめながら、ぽつりと呟く。


(趣味……かぁ……)


 ふと、昨日の会話が脳裏をよぎる。何気ないいつもの会話であったはずの会話内容が脳裏に残ったのは男自身、自らを変えたいという欲求があったためであろう。いつもは疲れを癒すためという言い訳をしながら寝ているはずの休日を払いのけるように奮い立つ。


「行きますか」


 なんとなく一言、自身に言い聞かせるように言葉を発した後、いつものように朝の支度をした後、ゴミ袋を両の手に持ち、家を後にした。


・・・


 ごみを出し終えた男はいつも半額弁当を買うスーパーの道途中にある商店街に来ていた。

 

 それに理由というのは特にあるわけではなく、どの趣味を始めるか決めていない、小心者で特徴という特徴のない男にとってその足が向かう方向というのは普段通っているこの道だったためだ。


(ずいぶん寂れているもんだな)


 いつも日が変わりそうな時間に通っているためか気づかなかったが、昼間に空いている店は少なく、それこそシャッター街という名前にふさわしい通りとなっている。また、そのシャッターの下りている数に比例するかのようにそこを通る人々の足取りは早く、数も少ない。


「何か面白いものは……無いか」


 一通り商店街でやっている数少ない店を見終え、シヤッター外と化した商店街を振り返る。そこには既に一度見た店が静かに佇んでいるのみで、男の心を打つようなものや、興味のひかれるようなものは無い。


(……帰るか)


 男は数秒考えたのちに結論に至る。そもそもそれほど熱心に趣味を探すような性格であれば今頃何かしらの趣味を見つけているだろう。だが、今現在趣味が無いというやる気ない現状を持つ男にとって、趣味探しというのは商店街を一目見て終わる程度のものであった。


(なんだあれ?)


 家に帰るために帰路である商店街の通りを歩きながら、どうせだからと一度見た店を見ていると、先ほどは見つけることができなかった店を発見する。


(さっきまでシャッターが下りていたのか?)


 男がいるのは小さな商店街のため、シャッターのような音が響くものを動かせば気づくはずである。そのためか、心の内では理解している男は僅かな不信感を抱きながら、どこか怪しげなその店に吸い寄せられるように近づいていく。


「古物店……ムゲン堂?」


 男は”古物店 夢幻堂”と書かれた看板を見上げる。木でできた看板は所々が虫に食われておりボロボロで、その隅には蜘蛛の巣が張っている。また店内を覗くと、そこには古めかしい振り子時計や藍色の光をうすぼんやりと放つ水晶、天井からつりさげられている何に使うかもわからない針と振り子のついた装飾品など、どこか不気味で、しかしながら興味のひかれる物が所狭しと並べられている。


「……いらっしゃい」


 しばらく眺めていると、まるで自身の耳元で囁かれているような、しかしながら遠くの声がようやく届いたような曖昧な音量のしわがれた声が耳へと入ってくる。


「お、おじゃましまーす……」


 男は内心その声に僅かに恐怖を覚えながら、その妙に惹かれるものが置いてある店内へと蚊の鳴くような声を出し、入っていく。


「何が……ほしいんだい……?」


 店内へと足を踏み入れ、店の商品らしき物に触れないよう気を使いつつその怪しげな物を物色していると、再び店先で聞いたしわがれた声が耳へと入る。そして、声の主を探るために見下ろした先にあった猫のような眼を見て、小さく悲鳴を上げた。


「ひっ……す、すみません」


  男は条件反射のように頭を下げる。そして、許しがもらえたであろう時間頭を下げたのち、頭を上げると、猫のような眼をした小さな老婆が先ほどと変わらない死人のような冷たい視線をこちらに送っていた。


「何が……ほしいんだい……?」


 老婆は再びその奇妙な声で男に言葉を投げかける。男は瞬き一つせずにこちらを見つめる老婆に先ほどよりも恐怖を感じつつも、再び蚊の鳴くような小さな声を上げる。


「な、なにか……時間がつぶせるもので……」


 もはや後半何を言っているのかわからないような声を老婆は理解したようで、何も言わずに背を向け店の奥へと歩き去る。


「……ふぅ」


 老婆の奇妙な、恐怖を感じる眼から逃れたためか、男の額からはため息と同時に数滴の冷や汗がにじみ出る。こんな店に入らなければよかったと心のうちで後悔しながら、それでも小心者の男はわざわざ自分のために商品を取りに行った老婆を置いていくわけにはいかず、ただ周囲の奇妙な商品を眺めながら老婆の帰りを待った。


 数分後、いや、男には数時間にも感じただろう時間ののち、老婆は霧の箱を片手に、その瞬き一つしない眼をこちらに見据えながら帰ってきた。


「これを……」


 老婆はゆっくりと箱を持ち上げと、男の目の前で蓋を開ける。箱の中には蓋のない銀色の懐中時計が収まっていた。しかし、文字盤に零から十一が描かれている時計の針は零を指したまま動いておらず、明らかにそれは壊れているように見える。だが、何故か男にはその懐中時計がとても魅惑的に映った。


「い、いくらですか?」


 先ほどとは打って変わって、うるさいくらいの声で老婆に尋ねる。老婆はその声に一呼吸置いたのちに、ゆっくりと、しかし先ほどの奇妙な声で答える。


「……3万円だよ」


 男はすぐさま財布を取り出し、金を老婆に渡す。老婆はそれを受け取ると、視線を男から動かすことなく金をポケットへと入れた。


「……まいど」

「え、ええ。ありがとございました」


 男は老婆の視線に恐怖を感じつつ、その不気味な声に言葉を返しながら店を出る。店を出ると、不思議なことに日は既に傾いており、周囲を朱色に染めていた。


 男は霧箱の中の懐中時計に視線を落とす。懐中時計は相変わらず止まったままで、そこに先ほどまで感じた魅力は不思議と失われていた。


「……なんでこんなもの買ったんだ?」


 商品を返そうと、男は振り返る。しかし、その視界に入ったのは寂れた商店街の一部となったシャッターの下りた店であり、先ほどまで掲げられていた看板の場所にはアルミでできた店舗募集の看板が掲げられていた。


「……帰るか」


 そんな現象に多少の違和感を感じつつも、趣味を見つけるという目的を果たせなかった男は再び体を回し、帰路を歩いていく。


 その男の記憶の中からは、先ほどまでいた店内の様子や、老婆の出で立ちが思い出せないまでにぼやけていた。


・・・


「はぁ……なんでこんなものを……」


 数日後、仕事を終え帰ってきた男は懐中時計の入った霧箱を見つめ、ため息を吐いていた。


「3万……かぁ」


 趣味のない男にとって、3万円というのは大金ではあるものの痛手にはならない金額だ。だが、それでも見るからに壊れている懐中時計にこの金額を払ったとなれば、落ち込むのも無理はないだろう。


「……はぁ」


 男は、再びため息を吐きだすと、力なく項垂れている腕を持ち上げ、霧箱のふたを開ける。霧箱の中は相変わらず動くことをやめた懐中時計がただ静かに収まっている。


「……ん?」


 ただ茫然と懐中時計を見ていた男だったが、しばらく見たのちに懐中時計の下にある日に焼けた紙に気づく。男は懐中時計を乱雑に取り出すと、何気なしにその紙を広げた。


「とき……とめ……?」


 紙には墨で書かれたこの懐中時計の商品名であろう”時止めの絡繰からくり”と、その使用方法が書かれていた。書かれている使用方法は極単純なもので、懐中時計上部、通常なら鎖を通すであろう場所にある突起を押すと時が止まり、その止まっている時間分懐中時計が進むというもの。また、時が止まっている間、その空間を知覚できるのは使用者のみであること。そして、その突起を再び押せば止まった時が動き出すというもの。そして、紙の最後には赤い大きな文字で”使用禁止”と書かれている。


「……こんなの信じるかよ」


 そんな夢物語を信じるような年でない男は軽く鼻で笑うと、その紙を机の上へと投げ捨てる。しかし、人間というのは嘘でも試したいという欲求はあるもので、男の視線は自然と机の上に投げ出された懐中時計へと移動していた。


(……試す……か……?)


 男は懐中時計を持ち上げて、今までとは違う視線を浴びせながらその外観を観察する。男自身、こういったアンティークに詳しいわけでないため、何かが分かるわけもなくすぐさまその思考は”時を止める”という言葉に引き寄せられていく。しかし、男が懐中時計の突起に指をかけた瞬間、脳裏に赤文字で書かれた”使用禁止”の文字が浮かび上がった。


「……どうせ子供だましだろ」


 男は欲求を振り払い、今度は丁寧に机に懐中時計を置くと、視線を時計に目を向ける。時計は既に夜の3時を指しており、明日も仕事である男は無駄な時間を過ごしたとぼやきながら仕事の英気を養うために布団に入り、目を閉じる。


(もしほんとに時を止められたら……いや、考えるのはやめよう)


 そう思いつつも考えるのをやめられない男は、時を止めた時のことを次々と頭に思い浮かべる。働かなくてよくなることから始まり、銀行で金を盗んで豪遊する妄想や、女性に絶妙な気遣いをして彼女を得る妄想など。


 そんなありふれた、様々な妄想をしているうちに男は深い眠りに落ちた。


・・・


「どうした? 疲れてるのか?」


 翌日の昼食時間、同僚は心配そうな表情を男に向ける。日ごろ遅くまで仕事をし、帰る時間が深夜になってしまう男にとって昨日の約2時間の睡眠時間の減少は痛手であり、実際、普段男を見ている同僚にとって、彼の体調の悪化は簡単に見破れるものだった。


「時計が……いや、何でもない」


 疲れからか、男は懐中時計のことを口走りそうになるが、そんなことを言っても馬鹿にされるだけだと思い直し、その口を噤む。


「……そうか、何かあったら相談してくれ」


 だが、その行動が不自然であったためか、同僚の口からは男を案ずる声が上がった。


「ね、そんなことより今度の休みに3人でどこか行きません?」


 そんな男の疲れを知ってか知らずか、目の代わりにわざわざゴマまでつけたタコさんウインナーを持ち上げている女性社員が口を開く。


「そうだなぁ……なぁ、お前はどこに行きたい?」

「……どこでもいいよ」

「よし! 行くってことだな!?」


 同僚は俺の曖昧な返事を好意的なものと受け取ったらしく、隣でタコさんウインナーの頭部を咀嚼する女性社員にどこに行くかや何を準備すべきかなどの相談を進めていく。


(……俺もこんな女の子がいればなぁ)

 

 男の思考は再び昨晩と同じ時間が止まった際の妄想へと書き換わっていく。それは昼休憩が終わりかけ、同僚に肩をたたかれるまで続いた。


・・・


「時を止める……かぁ」


 仕事が終わり、男は家の中の机の上に置いてある懐中時計を眺める。その何の変哲もないただの時計は、時を刻むでもなくただ針を零に指し、その機能を失ったかのように静止し続けている。


「どうせなら、分かりやすいところがいいよなぁ」


 男は懐中時計を見ながら、誰に向けるでもない言葉を吐き出す。


 何の意味もない、自分に言い聞かせるでもない言葉だったが、男の意識はその手の中に納まっている懐中時計に向かっており、それこそそれ以外に動くものが無いように男は感じていた。


「……使ってみるかぁ」


 男は懐中時計を手に持つと、ベランダに続く窓を開け、外へと視線を向ける。窓の外では真夜中だというのに花火で遊ぶ迷惑な少年たちが奇声を上げている。その声は楽しげなもので、男はうるさいと思う反面、その声にどこかうらやましさを感じていた。


 男は手に持っている懐中時計に視線を落とし、親指を懐中時計の突起へと動かす。しかし、男の脳裏には同封されていた紙に書かれていた”使用禁止”の文字が浮かび上がった。


「ま、どうせ止まらないでしょ」


 男は小心者ではあったが、その小心者ですら紙に書かれている文字のみでは、その好奇心を抑えるには不十分だったようで、男は期待半分、あきらめ半分でその突起を押した。







 カチリ___。






(……は?)


 突起を押した途端、男の視界は暗闇に包まれる。そして、遅れて今までその耳に聞こえていた少年たちの奇声がなくなったことに気づいた。


(さ、寒……痛い!!)


 そして、次に男が知覚したのはその強烈なまでの寒さだった。その今まで感じたことのない寒さは全身を鞭で打たれるような痛みへと変化して襲い掛かる。


(そ、そうだ! 時間を動かせば!!)


 男は寒さで感覚が急速に無くなっていく手に僅かに残った懐中時計の感覚を探り、その突起を押そうとする。しかし、寒さのせいか、それ以外が原因か、男は突起を押すどころか、指一本動かせないことに気が付いた。


(……なんで……だれか……助けて……!!)


 男はさらに水の中にいるような息苦しさを感じながら必死に出ない声で助けを懇願する。だが、そこに助けなど来るわけはなく、男は1分も立たないうちに死を覚悟した。


(なんで!? どうして!?)


 しかし、待てど暮らせど男に死は訪れない。既に酸素を取り込むことのできない肺や、感覚を感じ取ることのできない体、全身を鞭で打たれるような痛みを伴う冷気やいくら見開いても一寸先すら見えない暗闇と無音の世界。


 そんな世界に男はいるにも関わらず、男に死はやってこない。


 来るはずがない。


 何故なら―—






 時が止まっているからである。




(あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!!!!!!!!!!!!!!)




 そして、その世界が動き出すことは二度と無かった。

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