第67話 夜に抱かれて

「わぁ~!」


入ってすぐに声をあげる。向こう側がガラス張りになっていて、イルミネーションに彩られた夜景が見れるようになっていた。


「こんな綺麗な景色見ながら、お風呂に入るなんて初めて!」


このバスルームなら、何時間でもいられそう。


熱いシャワーを浴びた後、私は湯船に浸かりながら、煌めく夜の風景をゆっくりと眺めた。


贅沢なバスタイムを満喫した後、お風呂から上がる。ちょっと迷いながらも、用意されていた白のバスローブを着た。ドライヤーで軽く髪を乾かして、廊下に出る。それから、リビングに戻ったんだけど、東条社長はいなかった。


「社長……?」


辺りを見回したけど、姿も答える声もない。


部屋を出て行った?いや、そんなことはないよね……。


ふと、リビングの向こうに続く部屋に気づく。


(向こうかな?)


私は、その部屋に入って行った。


「あ……」


そこはベッドルームで、広いベッドに、ワイシャツ姿のままの東条社長が眠っている。私は、ゆっくりと彼に近づくと、声をかけた。


「社長……」


でも、その瞳は開かない。


(このまま寝ちゃったら、ワイシャツが皺になっちゃう)


「社長」


もう一度、ベッドに片手を置きながら呼ぶと。


「……!」


不意に、彼の手が伸びてきて、私の腕をつかんだ。


バランスを失った私の体は、ベッドに倒れ込む。それと同時に、社長の両腕に抱き締められた。胸が早鐘を打つ音が伝わってくる。


「あ、あの……っ」


「やっと、捕まえました」


耳元で囁かれて、一気に頬が熱を帯びた。


「しゃ、社長は……シャワー浴びないんですか?」


混乱しきった頭で、咄嗟に出た言葉。


「夕方、一度このホテルに寄って、浴びました。君と会う約束が無ければ、今日は早めにホテルで休むつもりでしたよ」


今までだって、抱き締められたり、身体中が熱くなるようなキスだってしてるけど。こんなバスローブを着て、ベッドの上で同じことされるのは、全然違う。


「薔薇の香りがしますね」


そう言って、社長が耳の辺りの髪に顔を寄せた。恥ずかしさと、くすぐったさに、体が振るえる。


「あ、あの……な、何か、恥ずかしいです……」


熱い顔を感じながら、私は社長に言った。


「こんな風に触れるくらいなら、いいでしょう?」


そう言うと、彼の腕が一層強く私を抱き締める。


「……っ」


鼓動が激しく高鳴った。


「今夜一晩をお互いにもっと知るための夜にしたいと言っていましたが。少しは、分かってもらえましたか、私のことを?」


囁くように言われて、ドキドキしながらも、私は小さく頷く。


「これからも会ってもらえますか?」


「は、はい……」


「綾瀬さん。これからも、二人だけで会う時は……こうしませんか?」


「……?」


社長の腕の中から、彼を見つめた。


「社長と呼ぶのも堅苦しいでしょう?お互い、下の名前で呼び合いませんか」


思わぬ言葉に、ちょっと嬉しくなる。


「私のフルネーム、知っていますか?」


そう聞かれて、私は再び頷いた。


「東条 司(つかさ)さん……」


「そう。二人の時は、これからは、司と呼んでください」


「はい、社長……」


「もう一度」


「あ……えっと、司さん」


言った後、一人で恥ずかしくなる。下の名前で呼び合うっていう想像もしたことがなかった。


「結衣」


そう言って、東条社長は、私の髪に優しく触れる。今は、激しいキスよりも……こんな優しさが嬉しい。


「昨日は予定が立て込んでいて、ほとんど寝ていない。そんな中でも、私なりに君と会う時間を作っている。君からしたら、不満かもしれないが」


「そんなことないです!ごめんなさい……私が、我が儘だったんです」


「謝る必要はない。伝わったのなら、それでいい」


ふっと柔らかく微笑むような吐息が、耳元をくすぐる。


「もっと話していたいが、そろそろ限界です」


「えっ……?」


げ、限界って……。


鼓動が激しく胸を打つ。


私を抱く東条社長の体が、一層重みを増した。


「あ、あの……っ」


次のシチュエーションが頭を過って、両頬が熱を帯びる。


でも、次の瞬間、私の耳に聞こえてきたのは、規則正しい息遣い……。


「社長……?」


見ると、東条社長の瞳は閉じられて、深い眠りに落ちていた。そう言えば、昨日寝てないって言ってたけど、きっと本当だったんだ。


彼の寝顔は、実際の年齢よりも、若く見える。


そんな立て込んだスケジュールの中でも、こうして私と会う時間を作ってくれたんだ。そう思うと、急に愛しさが溢れてきて、眠っている社長の頬にキスをする。


(今夜、会って良かった)


最悪の展開も、心に描いていたけど。


今、私を満たすのは温かな幸せだった。


これからは、彼を信じていける。


その時の私は、そう思いながら、彼の胸の中で眠りに落ちていった……。

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