第64話 飾らない言葉

「えっと、その……」


思わず零れた言葉に、私自身が戸惑い、次の言葉が見当たらない。


すると、東条社長の手がのびてきた。


「あっ……」


彼は、私に一度手渡したコートをもう一度手にすると、再びクローゼットに仕舞う。


「す、すみません……出させたり仕舞わせたりして」


「いいえ」


短くそう答えてから、東条社長が部屋に戻っていく。その後に私も続いた。


「それで、どう過ごしますか?この一晩を」


静かに聞いてくる社長に、私は戸惑う。


「えっと……」


上手く答えられない私に、彼が言った。


「曖昧にされると、先程の続きをしてしまうかもしれませんよ?」


「……っ」


その言葉に、少し前に重なりあった唇や、体に触れた手のひらの感触がよみがえる。両頬が一気に熱を帯びた。


「あ、あの……私もっと……」


漆黒の瞳を見つめながら言う。


「東条社長のことを……ちゃんと知りたいんです。深く知ろうとしないことって言われましたけど……。私は、知りたいです。だって……好きって、そういうことじゃないですか」


そのままの私の気持ちを伝えた。


「だから、今夜一晩を……お互いにもっと知るための夜にしたいんです。社長の話を聞きたいし、私の話も聞いて欲しい。……そんな過ごし方じゃ、ダメですか?」


漆黒の眼差しが、私をまっすぐとらえている。


「綾瀬さん」


「は、はい」


「私はね。仕事でも、それ以外のことでも。必ず二三個の保険を考えています」


「保険……ですか」


唐突な話に、小さく聞き返す。


「そうです。そうすれば、最初に試した選択が、例え上手くいかなくても、その保険で補えるからです。だが……」


そこまで言うと、彼は思ってもいない言葉を言った。


「君には、その保険が効かない」


「え……?」


私は驚いて、小さく呟く。


「いつも予想外の行動をする。最初の夜も、そうです。あんな時間に、オフィスでチョコレートを渡されるとは思ってもいませんでした」


そう言われて、バレンタインの夜を思い出した。確かに普段の私では考えられない突飛な行動だったよね。


「そして、今夜もそうです」


「あの……嫌ですか?こんな私みたいな女」


小さく聞くと、東条社長が答える。


「嫌だったら、こんな風に……」


言いかけて、社長がソファを指した。


「座りませんか、もう一度」


私は頷いてから座る。東条社長もスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを緩めると私の隣に座った。私は、さっき社長が注いでくれたワインの残りを飲もうとグラスを持つ。


すると、彼の手がのびてきた。


「無理しなくていい」


そう言うと、彼は私からワイングラスを取って、代わりにオレンジジュースを目の前に差し出した。

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