第58話 行き先は……

佐倉さんの言葉に、不意に、菜々美の顔が曇った。


「……そんな過去の話まで持ち出すの?」


菜々美は飲みかけのグラスを置くと、傍らのバッグを肩に掛ける。


「私、美味しいお酒しか飲まないの。今日は帰るわ」


そう言って、菜々美は立ち上がり、店の入り口の方へ向かい始めた。私は慌てて、自分のテーブルに戻る。


「待てよ、白石!」


佐倉さんの声が後ろでしたと思うと、伝票とスーツの上着を持った彼が、菜々美の後を追うように足早に去っていくのが見えた。


「ふぅ……」


幸い二人には見つからずに済んで、思わずため息が漏れる。


だけど……。東条社長に聞きたいことが、もう一つ増えてしまった。


立花 葵さんのこと。


そして……菜々美のこと。


彼女たちのことを聞いた時、彼はどう答えるんだろうか?


冷たいスマホの画面を見つめながら、私は考えていた。


それから、ご飯を食べ終わって、しばらくお店で連絡を待ってたけど、まだ当分待ちそうなので、会社の入っているビルの屋上に上がり、夜景を眺めることにした。


コーヒーショップで、珍しくホットのカフェラテを買い、手に持っている。そろそろ10時になるけど、都会の夜はまだ眠らず、車のヘッドライトが流れていくのや、人が歩いていく様子が、屋上からも見えた。


ここは、屋外にも関わらず、まるで公園のように木や草が植えてあって、ビルの林立する都会のちょっとしたオアシスのようになっている。二月の終わりに吹く風が、傍らの木々を揺らし、コートの会わせ目を寄せた時。バッグの中のスマホが鳴った。


着信画面を確認して、電話に出る。


「遅くなりました。今どこですか?迎えに行きます」


低く甘い声が、響いてきた。私は、会社のビルにいることを伝える。


そして、二十分程して、再びスマホの着信が鳴った。電話に出た後、私は、ビルのエレベーターに乗り、一階に降りる。


ビルの一階付近は、車と人通りで溢れているので、少し離れたところに、社長は車を停めていた。


「予定よりも遅くなり、申し訳ありません」


そう言いながら、東条社長は、車の助手席のドアを開けてくれる。


「いえ、大丈夫です」


答えながら、私は黒の車に乗った。社長がアクセルを踏み、車が走り始める。行き先を聞かれないので、反対に私から聞いた。


「あの、今夜はどこへ行くんですか?」


隣の社長が答える。


「ホテルです」


ホテル……。


また、この間のようなリストランテにでも行くのかな?


でも、今夜は遅くなるから食べておくように言われたから、ホテルのバーとかに入るのかな?


そんなことを思ううちに、私達を乗せた車は、駅前から遠ざかり、静かな道を走っていく。

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