第56話 捕らわれた心

(何だろう……)


いつもクールではあるけど、切れるような冷たさだったな。やっぱり社長室の前で騒いだから、怒ってるんだよね……。


私は、ため息を一つ吐いた。


2月の終わりの夕暮れは、まだほんの少しだけ肌寒い。コートの要らない春は、もう少しだけ先だ。


会社の最寄り駅から電車に乗って、乗り換えの駅に着いた頃、スマホのバイブが振るえる。


(東条社長?)


でも、バッグから取り出して、スマホを確認すると、佐倉さんだった。


「さっきは頭に血が昇って、ガキみたいな行動した」


そう言った後、悪かったな、と彼は小さく謝る。


「私こそ、ごめんなさい。佐倉さんを巻き込んで……」


「だけど。それだけ真剣ってことだから」


「……!」


「じゃあ、またな」


そして、佐倉さんからの電話は切れた。


スマホをもう一度バッグに仕舞いながら、佐倉さんを思い浮かべる。


日曜日に遊びに連れて行ってくれた時も。さっき社長室の前で、立花さんと言い争った時も。彼は、いつも真っ直ぐ、私を想ってくれている。


菜々美から、彼の気持ちを聞いて。今までのことも全部含めて、私への気持ちは本物だと伝わってくる。


私は、たぶん……。


東条社長と出会わなかったら。


佐倉さんを好きになっていた気がする。


こんな私をあんなに想ってくれて、戸惑いはあるけど、正直な気持ちをいえば、すごく嬉しい。


だけど。


私の中には、東条社長と過ごした時間が、まだ鮮やかに刻まれている。


佐倉さんと過ごした時間に比べたら、それはほんの短い一時なのに。


東条社長は、一瞬で、私の心を奪っていった。


私の心は、まだ彼に捕らわれたまま……。



(来ないな……)


あれから2日経った。まだ東条社長からの折り返しがない。


(忙しいのかな?それとも、この間のこと、相当怒ってるとか……)


私は、いつも菜々美と行くパスタ屋さんで、一人食事をしている。菜々美は最近忙しいらしくて、前ほど一緒に、お昼を食べなくなった。珍しく頼んでみたボンゴレのパスタをフォークに絡めながら、テーブルの上のスマホを見つめる。


そして、フォークに巻き付けたパスタを食べようとした、その時。


「……!」


スマホの着信が鳴った。私は、フォークをお皿の上に置き、電話に出る。


「また、遅くなってしまいましたね。なかなか時間が取れなくて」


いつもの冷静な東条社長の声が、電話越しに響いてきた。


「いえ、大丈夫です」


さっきまでの不安な気持ちを隠して、そう答える。

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