第52話 それでも心は

だけど、ゆっくりと閉じかけた瞼の奥に、闇色の瞳が思い浮かぶ。


感情の見えない、切れるような冷たい目。


それなのに……。


私の心は、まだ、その夜のような瞳に捕らわれたまま……。


佐倉さんの唇が、私の唇に重なる瞬間に、私は顔を背けてしまった。


「……」


佐倉さんの動きが、ぴたりと止まる。


「……ごめんなさい」


彼に対して、申し訳ない気持ちになって、思わず謝った。


「……オレこそ、悪かった」


そう言うと、佐倉さんの体が私から離れていく。


彼は車のエンジンをかけた。


「まだ早いけど……今日は、もう戻ろう」


そして、私達を乗せた車は、また海沿いの道を走り出す。二時間程して、車が、私の家の側まで戻ってきた。私はシートベルトを外すと、佐倉さんの方に向かって頭を下げる。


「今日は、ありがとうございました。それから、ごめんなさ……」


謝りかけた私の言葉を佐倉さんが塞いだ。


「謝らなくていい」


「……」


「謝らなくていいから、来週の土曜日空けておいて」


顔を上げて、佐倉さんを見る。彼の瞳が、真っ直ぐ私を捉えていた。


「それじゃあ、また会社で」


「はい、また……」


私は、助手席のドアを開けると、車を降りる。佐倉さんの瞳が少しだけ私を見つめた後、シルバーの車は去って行った。


家に戻ると、ちょうどお母さんが門の側に立っている。


「結衣、お帰り。早かったのね」


「うん」


「それはそうと知らなかったわ」


「何が?」


聞き返す私に、お母さんがにっこりと笑って言った。


「彼氏いたのね」


「え?あ、いや、あれは違……っ」


「いい人そうじゃない」


誤解したまま、家に入っていくお母さんを見ながら、私は複雑な思いで、小さくため息をついた。



翌日。


出勤すると、菜々美がもう出社していて、私のところに来る。


「おはよ、結衣」


「おはよう、菜々美」


「これ、食べる?」


そう言って、差し出されたのは、シックな赤色の箱詰めのチョコレート。


「これ、今だけの期間限定チョコなの」


箱の中には、それぞれ形や色の違うチョコレートが並んでいた。


「ありがと。じゃ、これもらうね」


私は、薔薇の形をしたホワイトチョコを指先で取る。


「今年のバレンタインも、たくさんチョコばらまいたから、ホワイトデーが楽しみだわ~」


そう言いながら、菜々美は、ダークな色の四角いチョコを一つ口に運んだ。


「菜々美」


「ん?」


チョコを美味しそうに頬張りながら、菜々美が私に視線を向ける。


「菜々美は、誰かに本命のチョコあげた?」


「……えっ?」


唐突な私の質問に、菜々美が小首を傾げた。

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