第42話 嬉しい偶然
だけど、響いてきたのは……話中のアナウンス。
(忙しいよね、やっぱり……)
スマホをそっとバッグにしまった。
貴方は、私みたいな、ただの事務社員とは違うもんね。
でも、ほんのちょっとでも、私にかけ直してくれる時間すらないの?
後ろ向きな気持ちは、悪い記憶ばかり手繰り寄せる。
秘書の立花さんと付き合ってるという噂。
夜、会社から車で二人で出てきたこと。
立花さんの、私に対する態度。
冷静に考えれば考えるほど、私とのことは、彼にとっては……。
また一時間経った。バッグが振動で揺れることもない。待っていただけに、不意に寂しさが込み上げてくる。
なぜか、ふと佐倉さんの顔が浮かんだ。
(佐倉さん……仕事終わったかな?)
私は、バッグに手をのばし、スマホを取り出して。
「……?」
不在着信のマークに目を止めた。
「え、何で?」
一回も着信音は鳴ってない。私は不思議に思って、着信履歴を確認した。
「……!」
着信は……東条社長からだった。
たったその画面だけで、驚きと嬉しさに、いっぱいになる。
(でも、何で?音も振動もなかったのに?)
ふと、発信履歴を見てみた。
「あっ……」
私が社長にかけた時間と、彼が私にかけてきた時間が、全く同じ時間になっている。
「お互いに、かけてた……?」
だから、話中だったんだ。
ふわりと温かい気持ちに満たされる。ただの偶然だけど、嬉しい。すぐにまたかけ直したかったけど……私は、スマホをテーブルに置いた。
彼がまた、かけてきてくれる。そんな気がしたから。
そして、数分後。
着信に、スマホが振るえる。私は高ぶる気持ちに、一度だけ深呼吸して、その電話を取った。
「綾瀬さん」
ほんの数日振りなだけなのに、嬉しさが、身体中に広がっていく。
「東条社長……」
「折り返しが遅くなってしまい、すみません。この数日、仕事が立て込んでいて。なかなか落ち着いて連絡出来る時がなかったので」
「いえ、気にしないでください」
「そう言えば、さっきはお互いに電話をかけていたみたいですね」
「はい……」
「本当に私達は、気が合いますね」
彼の言葉に、唇が緩んだ。電話越しに声を聞いているだけで、心が溶けそうなのに、彼はストレートな言葉を囁いてくる。
「今夜、会えませんか?」
彼から誘われた。
電話を待つだけでも寂しかった心には、断る理由なんてない……。
「はい」
「今、綾瀬さんはどこですか?車で迎えに行きます」
そう聞かれて、私はカフェの名前を言う。
「……近すぎますね」
「え?」
「会社に近すぎます」
近い……?
少しだけ考えて、意味を理解した。会社に近いと、他の社員に見られる可能性があるから避けたいんだと。
「今から言う場所で待っていてもらえませんか?」
そして、社長は待ち合わせ場所を伝えると、「では後で」と言い、電話を切った。
私は、残りのハーブティーを飲み干すと、カフェを後にする。
夜の街は、会社帰りの人達で溢れていた。昼にはないネオンが、夜の闇を彩る。オフィスビルの林立する一帯を抜けて、電灯もまばらな薄闇の中、小さなお店が見えてきた。
「こんなところに、お店あったんだ」
いつもオフィス街しかいなかったから、それを抜けると、こんな場所に出るって知らなかった。
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