第37話 火花

「そうですか。秘書のお仕事って、大変そうですね」


私はぶっきらぼうに言うと、化粧水を両手で顔に叩きつけた。


「そうね。他の職種にはない大変さはあるわ」


立花 葵は、形のいい唇にルージュを滑らせる。


私が使ったことないような深紅のルージュ。


「社長が、どうすれば仕事をしやすいか。常にそれを考えているわ」


「……」



この人……。


単に用事で、このフロアに来たんじゃないんじゃないの?


私に、こんな風に絡むために、わざと来たんじゃないの?


考えすぎ?


どっちにしても、さっきからイライラが募るばかり。


早く出ていってよ。


そんな私を煽るように、彼女は言ってきた。



「それにしても、綾瀬さんて大胆よね。ノーメイクで出社するなんて」


口紅を仕舞った後、彼女はクスリと笑う。


「ノーメイクで職場に来るなんて。私は、そんな自信ないわ」


……これ、ぜったい嫌みだよね?



「自信なんて、全っ然ありませんから」


乳液をつけながら、私は返した。


そして、クリームファンデを塗ろうとした、その時。


不意に、長い指先に顎をすくわれる。



「……!」


驚いて見開いた私の目に、立花 葵の端正な顔のアップが飛び込んできた。


「綺麗な肌」


そう言って、彼女は細い親指を少しだけ、私の頬に滑らせる。


同性で、恋のライバルなのに、あまりにも綺麗な顔立ちに、一瞬目を奪われてしまった。


そんな私を品定めするように、彼女の視線が向けられてくる。



「ノーメイクの綾瀬さんて……」


じっと私を見つめてから言った。


「何か、高校生みたい」


鼻先で笑うと、立花 葵の手は私から離れ、ヒールの靴音を鳴らしながら、洗面所を出ていく。


「なっ……なっ……」


胸の底から沸き上がる感情が、爆発した。


「何なのよ~!?」


私の声が、洗面所に反響する。




「……い、おい、綾瀬!」


不意に、耳に飛び込んでくる声に、意識が引き戻された。


横に視線を向けると、ちょっと不機嫌そうな佐倉さん。


「お前、さっきから、何一人で呟いてんだよ?」


「……え!?な、何か、私言ってましたか?」



マズイ。


心の中で呟いてるつもりが……。



「誰のせいで、ノーメイクで来たと思ってんのよ!とか。訳わからん」


「わぁぁぁぁ……!すみません!!」


焦る私に、ため息を一つ吐くと、佐倉さんは、もうちょっと前に渡した書類を二枚、私のデスクに置いた。


「ここと、ここ。間違ってる」


指差された書類の箇所を確認した。


「す、すみません。今すぐ直しますから」


「頼むぞ」


「は、はい」



はぁ……朝、立花さんに会ってから、社長と彼女のことばかり考えてる。


真っ正面から確かめられたら、スッキリするのかもしれない。


でも、立花さんとの仲をどうこう言える立場じゃない。


そんなこと聞く勇気もない……。


何で、こんな恋愛しちゃったんだろう。


今までみたいな恋愛をしていれば、楽しくて優しい日々が送れたはずなのに。



それにしても、立花さん。


そういうのが鈍い私でも分かるくらい、明らかに私を意識してた。


まさか実際、社長と一緒にいるところを見られた訳じゃないだろうけど、何か会話とか聞かれちゃったんじゃないかな?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る