第29話 立花 葵

菜々美は、特定の男性と付き合わない。


誰とも深入りしない。


きちんと付き合うのは面倒だし、恋愛の楽しい部分だけを共有したいからって。


菜々美は、すごく良い人だし、女性として憧れるところが、いくつもある。


でも、この恋愛観だけは、これからも重なりそうにない。



「おっと、そろそろ取引先に行かなきゃ」


「あ、うん。気を付けて」


「はいはーい。じゃあ、今夜、佐倉とどうなったか、また聞かせてね!」


「いや、だから、佐倉さんとは、そういうんじゃ……」


「それじゃねー」


私の否定も聞かず、菜々美からの電話は切れた。


「はぁ……」


何か、菜々美が焚き付けるから、今夜、佐倉さんと会うのを変に意識してしまう。


でも、菜々美が期待するような話じゃないと思う。



佐倉さんは、男女関係なく、人を寄せやすい空気を持った人。


東条社長のようなクールなタイプじゃないけど、長身でカッコいい。


当然、彼女いると思うし。


「とりあえず、お昼食べよ」


私は、鞄にスマホをしまうと、いつもとは違うお店に入った。




定時を少し回った頃、仕事が終わったので部所を後にする。


(佐倉さんは、終わったかな?)


スマホを見たが、まだ連絡は入っていない。


(どこで会うんだろ?会社の近く?それとも佐倉さんが外出した先?)


場所まで言われてなかったから、どこで会うことになるのか分からない。



更衣室で帰る用意を済まして廊下を歩いていると、向かいから、グレーのスーツを着た長い黒髪の社員が、こちらに向かって歩いてくるのが見えた。



(立花さん……)


それは、社長秘書の立花 葵(たちばな あおい)。


すらりとした長身に、今時全く染めていない艶やかなストレートの黒髪。


大きくて切れ長な瞳は、静かな美しさを秘めている。


不意に、彼女の黒い瞳が私を捉えた。



「お、お疲れ様です」


同性でも、ドキリとするような綺麗な視線に射ぬかれて、慌てて頭を下げる。


「……」


立花さんは私の挨拶に答えることなく、ただ真っ直ぐ、こちらに向かって歩いて来る。


私から、視線は逸らさず、すぐ目の前まで、彼女が来た。


そして、私とすれ違い様、彼女の涼やかな声が、耳をくすぐる。



「貴女が綾瀬さんね」


「……えっ?」


通りすぎていった彼女の方を振り返った。


艶を帯びた長い髪の後ろ姿が、遠ざかっていく。


立花さんは、こちらを見ることもなく、フロアの部屋に入っていった。



(な……何?)



社長秘書の彼女とは、特別接点なんてない。


もちろん、今まで見たことはあるけど……。


向こうが、私を知っていることに驚いた。



(何か、含みのある言い方だったな……)



切れ長な瞳が、まるで私を品定めするかのようだった。


仮に、彼女と私の間に接点があるとすれば。


……東条社長。


それ以外ない。



(まさか、私と東条社長のこと、知って……?)


社長が、彼女に私のことを言った?


でも、こんなプライベートなことまで秘書に言うかな?



私と社長の電話を聞いてた、とかじゃないかな?


それが一番ありうるよね。



(それにしても、立花さん、キレイだったな)


今日初めて、すれ違う時、間近で見たけど。


陶器のように滑らかな肌と、艶のある黒髪が、完璧な美しさだった。


東条社長と並んだ時、一対の絵になるような、そんな雰囲気……。

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