第16話 アクアリウムの向こうに
(暑い……)
ずっとカーディガンを羽織っていたけど、店内が暖かくて、ちょっと暑くなってきた。
私は紺のカーディガンに手を掛けると、そっと脱ぐ。
すると、首に掛けっぱなしの社員証が揺れた。
「外すの、忘れてた」
私は、社員証を首から外す。
いつ東条さん来るのかなと思いながら、そう言えば来店してから、まだ何もオーダーしていないことを思い出した。
(こんなに時間経ってるのに、何も頼まないって悪いよね)
そう思った私は、たまたま近くのテーブルに来ていたウェイターに向かって手を挙げる。
「あの、カンパリオレンジを一つ」
近づいてきたウェイターに、カクテルを頼んだ。
アルコール苦手だから、居酒屋とか行ってもなるべくソフトドリンクを頼むけど、この場所で、さすがにそれはね。
程なくして、運ばれて来るカクテル。
「綺麗」
細長いグラスに注がれたカンパリオレンジは、底から半分が赤く、もう半分がオレンジ色になっていて、一番上には小さなミントの葉が浮かんでいた。
私はカクテルのグラスを傾けると、一気に半分くらい飲み干す。
いつもなら、もっと少しずつ飲むのに、カクテルそのものが美味しいのと、店内の雰囲気で飲めてしまった。
テーブルにグラスを置いてから、ふと中央のアクアリウムを見つめる。
様々な色の魚達が、蒼いライトに照らされた水の中を気持ち良さそうに泳いでいた。
そう言えば、一時期家でも熱帯魚飼ってたよなと思った時だった。
アクアリウム越しに、私を案内してくれたのと同じウェイターが、店の入り口で来客に応対しているのが見える。
その客は長身で、黒のロングコートを羽織っていた。
(東条社長……!)
待ちわびた彼をやっと見つけて、一気に心が浮き立つ。
アルコールのせいだけじゃなく、頬が熱を帯びた。
彼は私が来店した時と同じように、ウェイターにコートを預けると、案内されながら、こちらに向かって歩いて来るのが見える。
そして、彼らは、窓際の席に座る私のところで立ち止まった。
「予約されたお部屋をご案内したのですが、綾瀬様が、こちらの席でお待ちになられると仰って……」
社長の隣のウェイターが、説明する。
「そうですか」
社長はさらりと言うと、窓際の席に座る私を切れ長な目で見下ろす。
「待たせましたね。さあ、部屋に行きましょうか」
彼は促すように、私に手を差し出した。
「……」
「どうしましたか?」
席から立ち上がらない私に、東条社長が尋ねる。
私は彼から視線を反らすと、恐る恐る言葉を放つ。
「あ、あの……」
「はい」
「今日は……この席で飲みませんか?」
「……」
さすがに予想外だったのか、東条社長が押し黙った。
一気に気まずい空気が流れ、ウェイターが困惑した表情を浮かべる。
ほんの少しだけ無言でいた社長が、ゆっくりと口を開いた。
「……あの部屋は気に入りませんか?」
「そ、そいういうわけじゃないです。ただ……」
私は、ちらりとアクアリウムを見つめながら言う。
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