第35話 見たくないもの

少しの間、彼と見つめあう。


先に視線を外したのは、佐倉さんだった。


「……オレ、言いたいことは言ったから」


彼は伝票に手を伸ばすと、立ち上がる。


「もう出よう」


「あ……はい」


私は、残り少ないオレンジジュースを飲みきると、彼に続いて、立ち上がった。



「今日は、ご馳走さまでした」


駅前まで来て、私は佐倉さんにお礼を言う。


「ああ」


「それから……心配して頂いて、ありがとうございます」


そう言うと、彼は苦笑した。


「心にもないこと言ってんなよ」


冗談と本気が混じったような声。


「す……すみません」


何となく気まずくて謝った私だったけど、佐倉さんは、いつもと変わらない口調に戻って、私の肩を軽く叩く。


「じゃあ、また職場でな」


「あ、はい。お疲れ様でした!」


頭を下げる私を見た後、佐倉さんは駅構内に入っていった。



「はぁ……」


彼の姿が見えなくなって、私はため息をつく。


疲れが、一気に押し寄せてきた。


……お酒のせいじゃない。


まさか佐倉さんに、社長と二人でいるところを見られてたなんて。


しかも、もう個人的に会わない方がいいとまで言われちゃって。


これからも、聞かれるのかな?


社長とのこと。


そう思うと、また、ため息が漏れた。



「……ちょっとメイク直そうかな」


もう後は家に帰るだけなんだけど、さっきお酒を飲んで、顔が熱くなってたから、気になる。


私は、駅ビル内のトイレに入った。


「やっぱり、まだ赤い」


洗面台の鏡に映る自分の顔や首筋が、アルコールのせいで赤みを帯びている。


私は、バッグから化粧ポーチを出そうとした。



「あれ?」


いつもバッグに入れてあるはずの化粧ポーチが見当たらない。


昼間メイクを直したから、今日確かに持って来てたはず。


どこかに忘れてきた?


最後にメイク直したのは……。



「会社に置いてきちゃった」


どうしよう……。


家にもメイク道具揃ってれば、このまま帰ってもいいんだけど。


ほとんどの道具、あのポーチに入れてるから、あれがないと、まともなメイク出来ないんだよね……。


「取りに戻ろうかな」


私は、ため息をつくと、駅ビルを後にした。



まだ少し肌寒い夜の中を歩いていくと、顔の火照りも少し引いてきた気がする。


大通りを15分くらい歩き、会社に着いた。


目の前に建つ、見慣れたビルを見上げてから、正面エントランスに入ろうとした。



その時だった。


会社の駐車場から、一台の黒い車が出てくる。


その車のライトが、広がる夜の闇と、車内を照らし出した。



「……!」


ライトを浴びて浮かびあがった車のフロントガラスには。


私が見たくないものが映っていた。



それは。


助手席に、立花 葵を乗せた。


東条社長の姿……。



私に気付かない二人を乗せたまま、漆黒の車は夜の闇に溶けるように去って行った。



前だったら。


あんなツーショットを見たって、ただの社長と秘書だと思ってた。


でも、今は。


それが、どこか特別な光景に見えてしまう。


まだ仕事があって、二人でどこかに向かってる?


それとも……。


仕事は、もう終わっていて、プライベートとして、出かけたの?


社内の噂と、佐倉さんの言葉が脳裏を過る。



改めて、二人並んでるのを見たけど。


やっぱり、すごくお似合い。


誰も、入る隙間なんてないように。


私はうつ向いて、肩に掛かったバッグの中に、ゆっくりと手を入れる。


そして、スマホを取り出した……。

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