第12話 思わぬ電話

「はぁ……」


ため息をつくと、私は遅れてしまった仕事に取りかかる。


(何やってんだろ……私)


今まで付き合った彼氏でも、片想いのまま終わった相手でも。こんなに、他のことが手につかなくなるなんてことなかった。


恋愛は、もっと……穏やかで優しいものだって思ってきたのに。


(あ……また間違えちゃった)


入力ミスした数字を消し、正しい数字を打ち直す。


その時、外線の電話が鳴った。


いつもは、なるべく取るようにしているけど、入力作業が押してるから、なるべく電話は取りたくない。


(すみません、誰か取って……)


でも、こんな時に限って、誰も出ないんだよね。


私は入力の手を止めて、仕方なく電話の受話器を取る。


「お電話ありがとうございます。株式会社 リベラル営業部 綾瀬……」


そう言いかけた、会社お決まりの応答を遮る言葉……。



『仕事の話のフリをしてください』



瞬間、私の体に電気が走り抜けた。


あの夜から、ずっと聞きたかった声が……今、受話器越しに響いている。


『綾瀬さんは、意外に大胆ですね。まさか、勤務中に、会社の電話で掛けてくるとは思いませんでした。だから、こちらに掛けるしかない』


(東条社長……)


無意識に、受話器を握る手に力がこもる。


『電話をくれたということは、私と会いたいからだと受け取って構いませんね?』


「は、はい……」


『では、今夜……会えませんか?』


(えっ……?)


思わず、口に出してしまいそうな声を飲み込んだ。体全体に、鼓動が伝わる錯覚すら覚える。


「ど、どのようにいたしましょうか?」


周りの人に気づかれないように、仕事の話だとしてもおかしくない言葉を選ぶ。


『そこから、徒歩で10分程離れた場所にある、グランドスクエアというビルは分かりますか?』


「はい……」


『そのビルの最上階に、バーがあります』


『そこで、今夜10時に落ち合いませんか?』


「……は、はい」


『と言っても、今、社用で外出中なので、私の方は10時に行けるかは分かりません。少なくとも、10時は回るという意味です』


「そうですか……」


『それでも、君が構わないなら、待っていてください。ただ、あまりにも私が遅い場合、帰ってもらって構いません』


「……はい」


『店の人間に、東条の連れだと伝えて先に入っていてください。何でもオーダーしてもらって結構です。支払いは、全て私が持ちます』


「わ、分かりました。そのように、いたします」


そう私が答えた後、電話の向こうで、彼が、ふっと笑う。


『それにしても……私達は気が合うのかもしれませんね』


(……え?)


『私も、ちょうど……君のチョコレートが欲しくなったところだったので』


「……っ!」


一気に、顔が熱を帯びた。


『では、後で……』


最後に「綾瀬さん」と言って、東条社長の電話は切れた。静かに受話器を置いたけど、胸の鼓動は全然収まりそうにない。


(また会える。今夜……)


嬉しさが込み上げながら、私は再びパソコンを打ち始めた。


と、肩越しに声を掛けられる。


「さっきの電話、どっから?」


入力の手を止めて見上げると、同じ営業部の佐倉一樹さくら かずきが、私の隣に立っていた。


「え、えっと……」


いきなり電話のことを突っ込まれて、焦りながら、幾つかの契約先の社名が頭を過る。その中から、適当な社名が、口を突いて出た。


「ふーん。で、例の件、何だって?」


「えっ……」


佐倉さんに、さらに突っ込まれ、冷や汗が額を伝う。


「あの、えっと……そ、そのまま進めて……構わないそうです!」


「あ、そ。りょーかい」


私の決死の嘘に、何の疑いもなく、佐倉さんはそう答えると、鞄を片手にフロアを出ていった。

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