第5話 不器用なチョコレート

「あ、あ……あの……!」


至近距離にしては、デカ過ぎる声に、東条さんが再び私に視線を向ける。


「はい」


異様なテンションに包まれた私とは真逆の、落ち着き払った声で応じる東条さん。


「今日が、何の日か知ってますか?」


もうあと少しで、日にちが変わってしまう。それまでに渡したい。


「今日ですか」


東条さんは、少しだけ考えるような素振りをした。


「社のイベントなど、ありましたか?」


え……。まさか、バレンタインって気づいてない?


「か、会社とかじゃありませんっ。もっと……世界規模のイベントです!!」


「世界規模、ですか?」


東条さんが、訝しげに言った。


……また、馬鹿をやっちゃったよ。なに、世界規模とか。ボキャブラリーまで、馬鹿っぽいよ。


もう、ここまで来たら、ストレートに言っちゃえ。


「今日は、バレンタインです!」


ただ、そう告げただけなのに、顔がすごく火照った。


「ああ、そう言えば、そうでしたね」


相変わらず、落ち着いた声で東条さんが言う。この反応からして、バレンタインなんかに全然興味ないことが分かった。


もう、どう転んでも、玉砕しかないよね。


でも、今までずっと想ってきた気持ちだけは渡したいよ。


チョコレートと一緒に……。


「私が、こんなに遅くまで残ったのは、プレゼンの資料作りのためだけじゃないんです……」


私の振り絞るような告白に、東条さんは静かに向き合ってくれる。私は少し屈むと、バッグの中から、ラッピングした小箱を出した。


朝から、潰れないように、大切に大切にしまっていたチョコレート。


「これを……受け取ってください」


私は震える手で、チョコの箱を目の前の東条さんに差し出す。


そして、一度だけ深呼吸すると、私は言った。


「好きです、東条さん!いえ……」


なけなしの勇気を奮い立たせて、東条さんの瞳を真っ直ぐ見つめる。


「東条社長」


そう。彼は、この会社のトップ。単なる平社員の私なんかとは、釣り合うはずもない。


でも、それでも……。


あの入社式の日。大勢の人間の前でも、全く臆することなく、圧倒的なカリスマを持って、私達新入社員に、祝辞を述べてくれた貴方の姿が。あの日から、色褪せず、ずっとずっと。心から、離れないんです……。


突然、差し出されたチョコレートに、東条社長の瞳が少しだけ揺らいだ。


「……」


また訪れる、少しの間の沈黙。


普段食べるばっかりで、料理もお菓子も全然作らなかった私が、両手で数えて、まだ足りないくらいの失敗を重ねて、やっと完成した手作りチョコ。


勿論、東条社長はそんなこと知らないし、知ったからといって、私の気持ちに応えなきゃいけない義務もない。振られて当たり前の、勝算ゼロの告白……。


例えば、つき合うとか、そんなことは全く考えてない。


でも、せめて、生まれて始めて作ったこのチョコレートだけは受け取って欲しいよ……。


だけど、次の瞬間。東条社長のくれた答えは、私にとって、最悪の答えだった。


「申し訳ありませんが……甘いものは、駄目なんです」


……私のバレンタインは終わった。


気持ちを突っ返されるなら、まだいい。


でも、チョコすら受け取ってもらえなかった。


「すみません……。こんなの押しつけられても迷惑ですよね……」


涙が込み上げてきて、目の端から溢れそうになるのを我慢しながら言う。


(菜々美……玉砕したよ)


心の中で、いち早く菜々美に報告して、出したばかりのチョコレートの箱を鞄に仕舞おうとした。


その時……。


不意に、東条社長の腕が、すっと伸びてきて。


彼の手が、私の手に重なる。


予想外の行動に、私の胸がドクンと波打った。


触れられた指先から電流が走って、胸の鼓動と絡み合う。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る