第22話 恋に落ちたらどうなるのか知らなかったけど、知ってみたらとんでもない事実に気付いた件

「ごめんなさい、待ったかしら」


 小走りに駆けてきたマリーに、ジョルジュは首を振りながら答えた。


「いや、今来たところだ」


「嘘ばっかり。三十分は待ってたでしょ」


 彼らには聞こえぬように小声で毒づいたのはスズナである。どうも本日は機嫌がよろしくない。


 先日の打ち合わせどおりに、恋人たちの会話を盗み聞き……もとい、今後の婚活の参考にするための事例調査に来たのである。余もスズナも透明化の魔法を使って姿を見えなくしているが、光の一部は迂回させずに取り込んでいる。そうしないと外の様子も見えぬからな。


 乗り気でなかったスズナを拝み倒して連れてきたのは、余ひとりでは不安だったからである。世界の支配者たる大魔王としては、いささか情けなくはあるが、まこと恋愛だの婚活だのといった代物は、余にとっては五十万どころか百万の軍勢よりも手強いものであるからして、頼りになる同行者が欲しかったのである。


 そのためには、まず恋人たちを探す必要があるのだが、幸いにも前回見知ったマリーとジョルジュは来年には結婚を考えている関係だとのことであるから、彼らの逢い引きの予定を探って見学することにしたのである。スズナはよい顔をせぬが、読心魔法を使えば簡単に探れるのでな。


「お腹すいたでしょう。お弁当持ってきたから、まずは食べましょう」


 バゲット王国の王都は石造りの大きな都市であるが、随所に緑あふれる公園が設けられ民衆の憩いの場となっている。ジョルジュとマリーは連れだって下町側にある公園に向かい、園内に設置された石造りの長椅子に並んで腰掛けると、マリーが持参した弁当箱を開いて昼食をとりはじめた。


「はい、あーん」


「うん、おいしいな。この腸詰めはマリーが作ったのか?」


「ええ、お店の女将さんに習って作って見たんだけど、どうかしら?」


「最高に美味いぜ。店で食う女将さんのより、よっぽど美味いんじゃないか?」


「そんな、大げさよ」


「いやいや、マリーの作るめしは、俺にとっちゃあ世界中のどんなごちそうより美味いんだぜ」


「やだもう」


 そう言いながら、照れ隠しにジョルジュの脇腹をつつくマリーであった。なるほど、これが『いちゃいちゃする』ということか。勉強になるな。


 そんな風に楽しげにしている様子を探っていたのだが、横から何やら不穏なつぶやきが聞こえてきたのである。


「落ち着いて、落ち着くのよ、わたし……爆破禁止だからね。明鏡止水、明鏡止水、空手の心に先手無し……」


 何やら危険な雰囲気をまとっているスズナである。余は思わず小声で尋ねてしまった。


「どうしたのであるか?」


「ごめん、魔王。今わたし『リア充爆発しろ!』って言葉の意味をすっごく実感してるの」


 それを聞いて余は肝を冷やした。


「待つがよい。そなたは優秀な魔法使いであるからして、そなたが『爆発しろ』などと念じたら本当に爆発してしまうぞ!」


「だから、こうやって落ち着くために精神集中してるんでしょ! 邪魔しないで!!」


「う、うむ。済まなんだ」


 こ、このように恐ろしげなスズナは初めてである。いかんな、同行を嫌がっていた理由はこれであったか。スズナに相当な心労をかけてしまったようだ。申し訳ないことをした。


 しかし……よく考えてみると、これは婚活の参考にはならぬのではなかろうか?


 などと思っていると、スズナが低い声で語りかけてきた。


「ねえ、魔王」


「な、何であるか?」


 思わず噛んでしまいながら返答をする。


「根本的な指摘をしていい?」


「ふむ? 別にかまわぬが」


「これ『恋人になったあと』には参考になるかもしれないけど、今やりたい『彼女を作る』ってことの参考には全然ならないと思うよ」


「奇遇であるな。実は余もそう考えておった」


「だったら! さっさと馬に蹴られないうちに退散しましょ!!」


 スズナに促されて、余は即座にスズナ共々魔王城に瞬間移動した。


「ああもう、わたしもあんな風にイチャイチャしたいっ!! どこかにわたしのことを色眼鏡で見ない彼氏は転がってないのっ!? イケメンとかカッコいいとか頭いいとか運動できるとかなんて贅沢言わない! ただ、わたしを、わたしとして見てくれるだけでいいのにっ!!」


 スズナ大爆発である。随分と苦しめてしまったようだ。済まぬことをした。


「スズナよ、済まなかった。そなたを苦しめるつもりはなかったのだ……」


「あ、ごめん、別に魔王を責めてるわけじゃないよ。ただ、わたしはさ、今まで片思いしかしたことなかったからさ、ああいう両思いカップルが羨ましくてしょうがないだけ。とはいっても、今の所、別に好きな人もいないんだけどね」


 余が謝るのを聞いて、スズナも我に返ったようで、落ち着いてくれた。うむ、とりあえずはよかった。


 と、そこでスズナが聞き捨てならぬ言葉をつぶやいた。


「あ~あ、また胸がドキドキするような恋をしてみたいな」


 ふむ? これはひとつ聞いてみなければなるまい。


「スズナよ、『胸がドキドキ』というのはどういう状態であるか? 余は恋をしたことがないのでわからぬのだが、恋をすると、例えば心拍数が急上昇したりするのであろうか?」


 そう聞いてみると、呆れたような顔になってスズナが答えた。


「魔王って、そんなことも知らなかったの? ……まあ、十歳のときから修道院暮らしと山籠もりしかしてないんじゃ、しょうがないか。そうだよ。恋をするとね、胸がドキドキするの」


「それは、例えば運動もしていないのに激しい運動をしたような感じで鼓動が早くなったりするのであるか?」


「うん、まあ、そうだね。顔が赤くなったり熱くなったりもするよ」


「どのようなときに、そうなるのであるか?」


「うーん、いろいろなシチュエーションがあるからねえ。たとえば、わたしが男子バレー部の先輩を好きになったのは、合宿で練習がおわったあとに道具を片付けてて、偶然二人きりになったときなんだけどさ、ポツリと言われたんだ。『俺も一年でレギュラー取ったときは妬まれたんだ。だけど人一倍練習したらみんなに認めてもらえたんだ。だから、お前も腐るなよ』って。きっと、わたしが女子バレー部の中で孤立してるのを気付いたんだね。それでズギューンって好きになっちゃったの。それから、その人の顔を見るだけで、もう胸がドキドキして、笑顔なんか見たら死ぬんじゃないかってぐらい鼓動が速くなったりするのよ」


 ……笑顔を見ただけで胸の鼓動が速くなるとな!? うむむ、余はつい最近、それを経験したことがあるのではないか?


 そんな風に惑乱する余の顔を見て、スズナはクスリと笑って言った。


「何て顔してるのよ? こんなことも知らないなんて、魔王、かーわいい」


 かわいい、という表現にはいささか思う所があるのだが、余はそれに文句を言うどころではない状態に陥っていた。


 何であるか、この心臓の鼓動は!? 心拍急上昇である!! どうしたことか、これは!?


 余が目を白黒させているのを見て、スズナが不審そうな顔になって尋ねてくる。


「あれ、魔王、どうしたの? もしかして、自覚症状があるとか?」


 余は気力を振り絞ってかろうじて返答を口にした。


「う、うむ。どうやら、そうらしい」


 それを聞いたスズナが、目を丸くして叫んだ。


「え、えええええっ!? 一体、誰を好きになったのよ!?」


 それを聞いた余は敢然として胸を張って叫んだ。


「そなたである!!」


 ……などと言う度胸は、さしもの余にもないのである。実際に余が口にしたのは次の言葉であった。


「恥ずかしくて言えぬわ!!」


 ……へたれと呼ばれても、いたしかたあるまい。

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