第46話 ヒーロー

  

「二月の頭に役員総会が開かれる。私はそれに出席しようと思う」

『パンドラ』訪問の数日後、神崎は彰にそう話した。

 機関の上層部を集めて毎年行われる役員総会、だが神崎は研究から引退してからは勿論それには出席していなかった。

「だが今も名目上は理事のひとりだからね。出席する権利はある筈だ」

 会議は東京の研究所で行われるそうで、そこに例の紙資料が保管されているのだという。

「何とかして、その時に資料を持ち出したいと思っている」

「何とか、て、どうされるんです」

「そこが問題だな」

 彰の問いに、神崎はあっさり言って肩をすくめた。

「大体、そのお身体で出席できるんですか」

「誰かヘルパーを手配しようと思っている。スミさんが付き添いたがるだろうが、資料持ち出しの際に万一のことがあって、彼女を巻き込むようなことにはしたくないからね」

「それは、勿論です」

 大きくうなずいてから彰は少し考え込んで、はっとひらめく。

「……僕が、ついていくのはどうでしょうか?」

「え?」

 ベッドの上で、神崎は珍しく驚いた顔になった。

「僕が付き添いとして同行します。先生が会議に出席されている間に、協力者の方から資料を受け取る、というのはどうでしょう」

「うーん……」

 神崎は細い腕を組んで、しばし眉をしかめる。

「だが研究所には当然、あちこちにカメラがある。君のことはおそらく機関側でチェックがされているだろうし、難しいと思うが」

「それについては、僕に考えがあります」

 彰は片手を上げて、にっこりと笑ってみせた。



『え、じゃあ、二月頭くらいまでは御堂は「パンドラ」行かなくていい訳?』

 画面の中で、宏志の瞳がぴかっと輝く。

「行かなくていい、て言うか、行く用事がないから。あまり頻繁に入れ替わりやって、万一気づかれちゃったら困るしね」

『俺が勝手に行くのは? それはまずい?』

「えっ?」

『せっかくだもん、行きたいよ。だって事故の件の公表とかしたら、きっと「パンドラ」、閉鎖になるだろ? そしたら次がいつになるか判らない』

「まあ、そうだけど」

『こないだほんと、つまらなかったんだぜ。ずーっと真っ暗で。まあ殆ど寝てたけど、時々手とか足とかに何か刺激くるんで、その度「おおっ」てびっくりして』

「それはごめん。悪かったと思ってるよ」

 そう謝りながらも宏志の言い方があくまでおどけているので、彰もつい笑って。

『やっぱりさ、どうせならスカイゾーン、行ってみたいんだ。今月中に予約取れそうな日があったら行ってみるよ』

「うん、判った」

 まあ確かに自分達くらいの年代で一人体験でナイトゾーンばかり、というのは悪目立ちするように思うので、途中に違うゾーンをはさむというのはいかにも「普通の体験者」ぽくて良いかもしれない、そう思って彰はひとつうなずいた。

「で、総会でうまく資料を持ち出せたら、俺、満ちるちゃんと洋次さんに、美馬坂くんのこと、話そうと思うんだよ」

『えっ? え、なんで』

 目を丸くする宏志に、彰はこの間の英一の依頼を話して。

「二人に話して、その上で洋次さんにお姉さんを説得してもらいたいんだ」

『ああ、それはまあ、成功すればすごくアリだとは思うけど……』

 言いながら宏志は、ちらっと自室の壁の方に視線を投げる。

 多分その壁の向こうの部屋には満ちるがいるのだ、彰はそう思った。

『でも、満ちるちゃんにはまだ言わなくてもいいんじゃ? それで本格的にお姉さんとバトったりしたら、こっちの味方になってもらえないかもしれないし』

「俺はさ、もう嫌なんだよ」

 その視線の動きと珍しく慎重な声音から、宏志がつくづく満ちるのことを大事に思っているのが判って、彰は気持ちがゆるむのを感じながら言った。

「またあの子だけをカヤの外にして、お兄さんが実は生きてる、なんてものすごいことを自分だけが知らされずにまわりでどんどん話が進んで、なんてあんまりだ」

『…………』

 宏志は口をつぐんで、わずかに目を伏せ考え込む。

「満ちるちゃんが家を飛び出してきたのは、誰もあの子に本当のことを教えず、誰もあの子の本当の気持ちを聞こうとしなかったからだよ。俺はまた、同じことを彼女にするのは嫌なんだ」

『……ん』

 宏志はかすかな声でひとつうなずいて。

「だからさ、その時には宏志も同席してよ」

『へっ?』

「こっちに出てきてもらう時間も無いし、グループトークで話せたらと思って。俺と洋次さん、そっちは満ちるちゃんとお前で」

『え、いやでも俺、どっちかって言うと部外者じゃ』

「きっと満ちるちゃんはものすごくショックを受ける。それこそお姉さんを刺しにでも行きかねないくらい。それをなだめられるのは、お前しかいないよ」

『いやっ……いや、でも……そうかなあ』

 少し紅潮した頰をして言い澱みながら、宏志はまた考え込んで。

「そうさ。だってもう二週間近く、同居してるんだし。お前のことよっぽど信頼してるってことじゃない。そうでなきゃ、普通、今まで全然知らなかった男の家なんかさっさと出ていくよ」

『……だよな!』

 彰が目一杯持ち上げたのが功を奏して、宏志の顔がぱっと輝いた。

『よし、判った。俺に任せとけ!』

「頼りにしてる」

 急にテンションが跳ね上がった宏志に、彰は嬉しくなって笑った。

「……ああ、そうだ、ところでさ、大野おおの武田たけださんの連絡先、判るかな? 携端、家に置きっ放しで」

『え? え、判るけど、なんで』

 それから彰が今日宏志に連絡したもうひとつの本題である、学生時代のサークルの面子の名前を切り出すと、相手はすとんと勢いが落ち、きょとんとした顔になる。

「大野って映画会社で、特殊メイクやってたよね。武田さんは劇団の裏方」

『うん』

「相談したいことがあって」

 その内容を説明していると、宏志の顔がまた、昔のままにきらきらっといたずらっぽい表情を帯びた。

『うわ、なんかもう、盛り上がるなあ、それ。代わりに俺が行きたいよ』

「そんな無茶な」

『いや、ほんとに。まさに男の憧れシミュレーションだ』

 目を輝かせて熱く話す相手に、彰は破顔した。ああもう本当に、宏志と話していると多少の無茶もひどく簡単なことのように思えてくる。

『じゃ、俺から話つけて、そっちに連絡取らせるよ。説明は全部後回し、とにかく協力乞う、てことでいいよな?』

「うん、助かる。ありがとう」

『任せろ』

 画面の中で親指を立てる宏志に、彰は笑って同じポーズをとった。



 それから数日後、二人は神崎の家に彰を訪ねてやってきた。

 大野真人まさとは彰達と同学年で、武田麻美あさみは一学年後輩だ。二人とも学生時代は、彰や宏志、勿論皐月とも仲が良く、結婚式にも葬式にも来てくれた間柄だった。

 いくら大学で演劇サークルに入っていたとはいえ、趣味以上に考えているメンバーは少なく、望んでも夢をかなえられない者も多い中、実際にそういう方面に就職するのはひと握りで、二人がそれぞれの進路を決めた時には彰達を含め大勢で祝宴会を開いたものだ。

 葬式の後に会うのは初めてだったが、二人は特に皐月のことには触れずにまるっきりいつものように会話を振ってきた。多分宏志が何かしら言い含めてくれたのだろうが、彰はそれを心から有り難く思う。

 軽い挨拶を交わして、二人はさっそくそれぞれの道具を取り出し作業に取り掛かり始めた。

 まず最初に両手の型を取られたと思うと、次は顔の型を取るという。

「羽柴先輩、一体何があったんですか? あのテンションの高さ、久しぶりに見ましたよ」

 麻美は巻尺を彰の肩に当てて寸法をはかりつつ、呆れ声で言って。

「あいつなあ、卒業して店継いでからはずいぶん落ち着いたと思ってたんだけどなあ……何だよあのノリ。学生ん時まんまじゃん」

 椅子に座った彰の顔にぺたぺたと型取り材を塗りつけながら、真人が相槌あいづちを打つ。勿論彰は、喋れないので何のコメントもできないままだ。

「いや、もうあれは小学生男子並じゃないっすか? 俺の右手がうずくんだ、的な勢いがありましたよ、あの大演説」

「ああ、確かに……俺達がセカイを救うんだ、てトーンだったよな」

 二人の会話を聞きつつ、彰は背中に冷や汗がつたうのを感じる。一体全体どういう頼み方をしたんだ、宏志。

「あれ、思い出しましたよ。ほら、学生の時に皆で、シューティングゲームのアトラクション行ったことあったじゃないですか。あの時もすごいノリで」

「ああ、覚えてる覚えてる」

 真人はうなずきながら軽く思い出し笑いをもらして。

「『俺の背中につけ!』とか『俺についてこい!』とか、もうイッキイキしてたよなあ、羽柴。で、そんなんしてるから自分ばっかり撃たれてHPゼロになって」

 あれこれと楽しそうに思い出を語る二人の会話を聞きながら、彰は自分も当時の数々の宏志の逸話を思い出して腹の底からこみあげる笑いを必死に噛み殺した。何せ顔の型を取ってる最中だ。

「……ようし、お疲れ。はがすよ」

 言葉と共にぐい、と顔の端に圧力がかかったと思うと、べろん、と覆っていたものが外れて一気に息が楽になる。テープをはがすような感じを想像していたが、何と言うか、型からプリンやゼリーがずぼっと外れた時のような感覚だ。

「すぐ次の処理、しないといけないから」

 真人はそう言って、傍らに作業台代わりに置いた大きめのテーブルにそれを持っていってしまった。

「あ、じゃあ御堂先輩、着丈も測りたいんで立ってください」

 型取ったマスクの内側が見たかったけれど、麻美にそう言われて彰は立ち上がって彼女に言われるままに手を伸ばしたり上に上げたりしてあちこちの寸法を取られた。

「はい、オーケーです。……御堂先輩、顔洗ってきたら?」

「あ、そうだね」

 うなずいて洗面所に行く途中に、ひょい、と作業している真人の手元を覗いてみたが、マスクの内側にはもうすっかり白い石膏が塗られていた。

「じゃ、後は帰って仕上げるよ。本番、二月七日だったよな?」

「うん。急かして悪いけど」

「いや、全然余裕。どってことない」

 真人は荷物を片付けながらも、ふるふると片手と首を振って。

「羽柴にすげえ念押しされたから今回はノー質問でやるけど、全部カタがついたらちゃんと教えてくれんだよな?」

「うん。ほんと、急に変な頼みでごめん」

「全くだ。でも、これで俺等も『世界を救うチーム』一員、なんだよな?」

「……うーん、そこまでスケールでかいかは、ごめん、保証できない……」

 一体宏志はどこまでぶっとんだ話を振ったんだろう、どうにも申し訳ない気分で彰が言うと、真人は破顔した。

「いいよ、羽柴の熱血モードなんかこっちもそんな、全力で受け止めてない。なぁ」

「そうですそうです。でも、御堂先輩のたっての頼み、て言うなら、ねえ」

 二人は視線を交わして、大きくうなずきあう。

「そうそう。羽柴の話は、あれだ、ほら、髪、髭だったかな、すげえ長いヤツ」

「白髪三千丈」

「それ。武田賢い。そういう手合いだけど、御堂が言うならな。そりゃガチだ」

 二人は笑い合いながら荷物を抱えて、玄関へと向かって。

「じゃ、七日は朝イチで来るから」

「うん。後で実費、請求して。上乗せして払うから」

「世界救うって幾らくらいもらえるんでしょうね。楽しみ」

「ヒーローは利益求めちゃダメだろー、カッコ悪いじゃん」

「えー、今時そんな自己犠牲、流行んないですよう」

「いや、大丈夫大丈夫。ちゃんと払う。何て言うか、ほら、仕事として依頼してるんだからさ」

 目の前のやりとりに彰が慌てて口をはさむと、二人は顔を見合わせて笑った。

「じゃ、焼肉で勘弁してあげます。前に大入り満員だった芝居の後に行った店、すごく美味しくて」

「肉で救えるって、安上がりな世界だ……」

「美味い肉は世界救いますよ。根本的に救いますよ。美味しい肉を食べながらビール飲んで心が満ち足りない人がいます、ねぇ?」

 真顔で問いかける麻美に、彰はとうとう吹き出して――それを見て二人も、声を上げて笑い出す。

「確かに。美味い肉とビールは世界を救う説、賛成」

「ようし、今から楽しみだ。店予約しとけよ、武田」

「はい。……え、それ、羽柴先輩はヌキでいいですよね?」

「いいいい。ヌキだ」

「え、いや、ちょっと待って、宏志ヌキ?」

「しょうがないなあ、じゃ羽柴先輩だけ一時間ずらして連絡します」

「うわ、ナイスアイディア。到着時には既に全員ができあがっててあいつのテンションを弾き飛ばす策」

「うーん、でもそれを楽々超えてくるのが羽柴先輩かも……」

 まるですっかり学生時代に戻ったようなやりとりを交わしながら、彰はここしばらく続いていた様々な緊張や心労がすっかりほぐされた気持ちになった。

「それじゃ、また連絡するから」

「うん。今日はありがとう」

 そう言いながら差し出された真人の手を、彰はきゅっと軽く握って。

「わたしも」

 それを見て伸ばしてきた麻美の手を彰が握ると、彼女はにこっと笑った。

「……羽柴先輩、やっぱりすごい」

「え?」

「うん。俺、安心した」

 隣で真人が、ひとつうなずく。

「え? え、何の話?」

「御堂先輩、今日はちゃんと目が合った」

「…………」

 彰は一瞬、言葉を失って麻美を見つめた。

 視線をかっちりと合わせた彼女の瞳は、わずかにうるんでいるように見える。

「わたし達、世界救いますよ。ねえ、大野先輩」

「うん。御堂が望んでて、羽柴が言うんだ。そりゃやらなきゃ嘘だろ」

 彰はぐっと口の内側を噛んで、一瞬でじわりと浮かび上がってきた涙をぎりぎりこらえる。

「それじゃな、ヒーロー一号」

「完璧に仕上げてきますからね、裏方一筋の腕、期待しててください!」

 何も言えないままの彰に二人は笑って大きく手を振って、玄関から出ていった。

 ぱたん、と目の前で扉が閉まる。

「……ありがとう」

 ぽつん、と呟く彰の頰に、ひと筋涙がつたった。

  

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