第16話 皐月・8
彰が美馬坂英一に出逢ったのは、仮想都市での六度目の実験の中でだった。
女性が三人、男性が彰を含めて四人の計七人のグループで、その中で英一は最も背が高かった。手足が長く、痩せていて、細面の顔に両耳が大きく飛び出している。
その頃には顔のポリゴンもかなり改善されてはいたものの、肌の質感はまだのっぺりとして体温感が無く、表情の再現もろくなものではなかったが、ふわりと立たせた前髪の下の糸のような目が優しげだった。
毎回の課題で出てくる問題は最初の謎解きゲームのようなものが中心で、その中には時に肉体的な要素も含まれた。「次の地点まで三分以内に移動せよ」とか「肩車をして高いところの物を取れ」とか「一定のボリューム以上の声で全員で歌え」などというものも。
また、問題のレベルも回数が重なるにつれどんどん難易度が上がっていた。今では制限時間内にすべての問題を解き切れない、ということさえある。
更には単純に問題を解く、ということではなく、「話し合って何らかの結論を出せ」というようなお題もあった。それがまた、トロッコ問題――暴走するトロッコの分岐器の前に自分はいる、進行先の線路上にいる五人がこのままだと死ぬ、自分が分岐を切り替えれば別の線路上にいる一人が死ぬ、さてどうするか――のように誰もが自分内に何らかの意見を持っていて、かつ違う意見を受け入れ難いような設問で、喧嘩一歩手前までになることも多かった。
街並は区分けされていて、ある程度まで進むと突然壁になって先には行けなかった。同時間に中に入っている他グループもいる筈だったが、出会ったことはない。
時々は向かった先に人がいて、何かを頼まれたりすることもあった。それはいかにもロールプレイングゲームの街の住人のようで、ある程度以上のことは会話にならなかったが、彰を含めその手のゲーム経験のある参加者は「リアルRPGだ」と喜んだ。
自己紹介をして課題を解きつつ街を歩く中で、二人は同じ大学の同期生だということを知った。英一は横浜会場で実験を受けていた為、今まで出逢うことがなかったのだ。
英一の実家は宮城で老舗の旅館を営んでいて、彼はその跡取り息子なのだという。だが父親が家族に内緒で数年前から新しいホテル事業に手を出して、ものの見事に失敗し、多額の借金をつくってしまったことが今年の春になって判明。しかも旅館を担保に入れていて、手放すかどうかの瀬戸際に来ているらしい。
「大学辞めようか、て言ったんだけど、母親と姉が猛烈に反対して」
と、そんな強烈な状況を、英一は飄々とした声音で語った。だんだんとマシになっているとは言え、ポリゴンの表情はまだ相手の本心を見て取れるレベルではなく、あくまで声からの判断だが。
「あれこれ稼いで仕送りしてるんだけど、焼け石に水なんだ」
あはは、と明るく笑うのに、彰はどう返していいのか判らず途方に暮れて。それにしても、自分の学費と生活費を稼いで更に仕送りまでして、て、凄過ぎる。自分もそこそこバイトしている方だと思っていたが、あれこれ聞いてみたら比べ物にならなかった。
「だからこのバイト、有り難くて。でも絶対に完遂するから先払いして、て頼んだのに断られちゃって、がっかりしたよ」
と、また突拍子もないことを言って笑うのに、彰は少しほっとした。どうも強がりや虚勢ではなく、本当に相手はこの事態に心底落ち込んだりしている訳ではないようだ。
同時に、タフだな、と思った。自分なんかとはまた種類の違うタフさだ。柳の葉が暴風にしなって決して切れない感じに似ている。
そしてその全方位に向かう強烈な好奇心にも驚かされる。
道を進みながら、英一は通り沿いにあるすべての建物の扉を開けようとするのだ。
一番最初に仮想都市に入った時には、建物は四角い箱に写真が張りつけられているような見た目で何の出っ張りも無く、どこもかしこもすべすべだった。扉もノブも写真でしかない。
それからほんの数回でその再現度は急激にアップして、今ではちゃんと立体感もあり、壁やガラスを触ればそれぞれのテクスチュアも感じる。ただ、扉は開かない。
最初にドアノブが出現した時、彰は勿論、それを試した。と言うかその時のグループ全員が試してみた。
だが当然のように扉は開かず、周囲の幾つかを試してすぐに諦めた。それから後は「そういうものなんだ」と頭から思って、触りもしなかった。
けれど英一は、歩きながらすべてのドアノブ、すべての自動ドアに見える入り口、更には窓にまでチャレンジしている。時々はでこぼこの多い建物によじのぼって窓を開けようとまでしていて、目を丸くする彰に「もしかしたら、開くんじゃないか、って。もし開いたらびっくりするし、面白くない?」と笑って言った。
更に驚いたのは、真剣に課題を解いている隣でそんなことをされていたら普通はかなりうっとうしく感じてしまいそうなのに、何故だかちっとも気に障らないことだった。身のこなしがすいすいとすばしっこくかつさりげなく、奇妙な優雅さがあって、邪魔とも不快とも感じさせない。
しかもそんな風に扉や壁を試しながらも、突然に「その問題、こういうことなんじゃない?」と、耳に気持ちよく通る高めの声で、行き詰まっている問いに大きな展開を見せてくれたりするので、彼のふるまいに最初は顔をしかめていた人も、しばらくすると「美馬坂くんはあれでいいよ」と笑顔で受け入れていた。
また、彼がここへ来て一番最初にやろうとしたことは、服を脱いでみることだったらしい。中がどうなってるのか見たかった、と。
「でもダメだった。ズボンは下がらなかったし、上着もある一定の位置からは上に上がらない。靴も脱げなかったよ」と英一は笑って、思わず彰も試してみたところ、確かに英一の言う通りだった。
そもそもそんなことを思いつきもしなかった彰は、その発想と猛烈な好奇心に目を丸くすると同時に、不思議な魅力のあるひとだ、そう思った。
大学で会えるかな、と少し期待したが、彰の専攻と英一のそれとではキャンパスが別で、それらしい顔を見かけることはなかった。宏志にちらっと聞いてはみたが、知らないようだ。
仮想都市の実験が始まってからも少しずつ少しずつ参加者は減っていて、前に一緒だった人とまた同じグループになる、ということはよくあったので、彰は気長に待つか、とあまり深くは考えずにいた。
そして都市内での実験も八回目を超えた頃、グループの中に人工人格体が投入されるようになったのだ。
「ねえ、あれじゃ全然ダメなんじゃない?」
その初めての実験の後、研究所を出てすぐに皐月が小声でそう言ってきた。
彰はそれに、大きくうなずいてみせる。
もうてんで話にならない。そもそも会話がまともに成り立たないのだ。
毎回の流れとして、まず皆がそれぞれ自己紹介をする。すると「天の声」が課題を告げてくるので、それに基づいて問題を解く。もし早めに課題が終われば、時間一杯までその場で雑談だ。その時点では全員が一緒にいる必要はないので、ぶらぶら散歩をしたりする人もいる。
まず自己紹介でつまづいた。名前や年を言うのはいいが、性別まで言うのだ。
そもそも自己紹介をする際に性別をいちいち言う人などいないし、万一見た目や名前や声ではどうも判別し難い、などという場合にもそんなことを面と向かって聞く人はいない。だが人工人格は「名前は○○です。二十七歳です。男です」などと名乗ってしまうのだ。
その後の会話もいちいちそんな感じで、最初、彰は不思議に思った。今時子供の遊び相手のおもちゃの人形だってもっとまともに会話をする。
「多分あれ、ほんとにイチからなんだよ」
彰が言うと、皐月はクビを傾げた。
「普通にその辺で売ってるおもちゃやゲームのAIって、もう既に教育済なんだよ。だけど多分、今日のってほんとに名前とか性別とかの初期設定だけで、会話の訓練なんか何にもしてないんだと思う」
「ああ……だからあんな、とんちんかんなのね」
皐月がずいぶんと古めかしい言葉を使って、けれどその形容があまりにそぐっていて、彰は軽く吹き出した。確かにあれは、そう呼ぶにふさわしい。
「でも、なんでそんなの使うんだろうね? 最初っから教育しておけばいいのに」
「教育そのものが目的なんじゃない? 専門家じゃなくて、ど素人の会話でもまれて成長して、みたいな」
「え、じゃもし変な言葉教えたら、そのまま覚え込んじゃうってこと?」
「そうかも。て、皐月何教える気なの」
「え、それは考えてなかった。これから考える」
「考えるのかよ」
突っ込みを入れながら、彰は笑って――が、次の実験、また更に次、とほんのわずかな回数を重ねただけで、街の風景同様、人工人格もあっという間に性能が格段に上がってくるのが判った。
自己紹介で性別を言ったり、会話の中できっちりと主語・述語を省略せずに使ったり、明らかに特定の相手に話しかけるのにいちいちその名を最初に呼ぶような話し方はすぐに消えた。
話し方の抑揚や表情がはっきりしないこと、大勢で話している時、人間は話し手に注目しながらも何となくその場にいる全員に対しても注意を払っているのに、体全体を話し手に向けて目線もそらさないところなど、まだまだ到底、ヒトと区別がつかないレベルにはほど遠かったが、それでも凄い、と彰は素直に思った。
そして都市での十三回目の実験日、彰は英一に再会した。
その日のグループには、人工人格はいなかった。
「今日はいないんだ」
自己紹介が終わると同時に誰かが小さく呟き、全員がうなずく。
そのせいなのかどうなのか、その日の課題はいつになく早く終わり、彰は道端でまた性懲りも無く建物によじのぼって上の窓を開けようとしている英一と何となく話し始めて。
性能自体はどんどん上がってきているのに、どうもいつになってもあれが「ヒト」と感じられる気がしない、そう言う彰に、ひょい、と壁から飛び降りてきた英一が肩をすくめた。
「思うに多分、『無駄』が無いからじゃないかな」
「ムダ?」
英一は飛ぶように隣の建物の入り口に移って、扉の取っ手をしばらくガタガタ、と言わせながらうなずいて。
「動きにも、喋り方にも。ああほら、彼等ブレスしないじゃない。あれ大きいね」
「……ああ、そうか」
人工人格体の話し方を思い出して、彰は大きくうなずいた。確かにそうだ。
そもそも彼等は「呼吸」そのものをしないし、話していてある程度の長さになったら、ヒトならどうしても息を入れる為にわずかに空く「間」が全く無い。言葉の内容自体は自然なのにどうしてこんなに違和感があるのか、ずっと疑問だったのが英一の言葉で一発で解けた。
「目線もそう。『ぶれ』てもんが全然無いでしょ」
「ああそう、それ。じいっと見てくるよね」
続いた言葉に、彰はまたも深くうなずく。あの視線にはちょっとたじろぐが、こちらがたじろいでいる、ということがそもそも向こうには伝わっていない。
高い背をかがめて観音開きの扉の隙間を探っている英一を見ながら、彰は彼等の動きを思い返した。確かに今こうしていても、建物の入り口前の石段に座った自分は何となく手をぶらつかせているし、調べることに熱中している英一も、その足先をかすかに動かしている。そういう「無意味な動き」が、彼等には無いのだ。
……そもそも今美馬坂くんがやっている、あれこそまさしく「ムダ」なことで、あんなことは人工人格は絶対にしないよな。
彰はそう内心で思って、くすっと笑う。
「駄目だなあ、やっぱり」
ひと通り見て諦めたのか、英一が戻ってくる。
「一見隙間に見えるけど、紙を入れても全然中に入らない。これまで途中の道のドアは全部試したけど、駄目だった。鍵穴があるドアもあるけど、覗いても中詰まってるんだよ」
そう言いながら英一は、彰の後ろにある扉板同士の隙間に、課題の書かれていた紙を差し込んでみせる。
それは一ミリたりとも中に入らず、くたりと折れた。
「前も言ったけど、やっぱりただのハリボテなんだよ」
「ロマンが無いよねえ」
言うなり英一はいきなり脇の窓をばん、と拳で殴って、彰は度肝を抜かれた。その音に近くにいた他のメンバーも会話をやめてこちらを見やる。
「ちょ、美馬坂くん、何」
「…………」
英一は彰のかける声にも気づかず、たった今窓を殴った自分の手を見ていた。
「美馬坂くん?」
何でもないよ、と周囲のメンバーに手を振って、彰は立ち上がってその隣に立った。
「美馬坂くん」
もう一度呼ぶと、英一は顔を上げて彰を見て。
「……痛い」
そして小声で、ぽつりと言った。
「えっ?」
聞き返す彰に答えず、窓のガラスを見る。
「割れるかと、思ったんだよ」
そのままの姿勢でそう言うのに、彰は目を瞬いた。
「でも割れなかったね」
そう続けて、くすっと笑ったその様子がすっかり元に戻っていたので、彰はそれ以上追求する機会を失った。
それから石段に二人並んで座ってあれこれ話す中、彰は前に自分が課題の中で出されたトロッコ問題について話を振ってみた。この相手なら、どう答えるのか知りたかったのだ。
『この問題について何らかの結論を出せ』と言うお題で出されたその問いに、彰のグループは紛糾した。古くからある問題だが、正直正解なんて無いのだろう、と彰は思っている。
その時には結局、多数決を取って「五人を助ける」方を結論として提出した。それについて特に向こうから何かを言われたりはしなかったが、一体どういう回答を望んでいたのだろう、としばらくは気になった。皐月にも聞いてみたが、彼女のいたグループでも同じ結果になったそうだ。
自分達はこうなった、そっちはどうだった、と聞いた彰に、英一はけろっとした様子で言った。
「うん、『結論無し』て結論出したよ」
「……え?」
予想外の台詞を聞いて、彰は体ごと英一の方を向く。
「え、それどういう意味?」
「だから、『結論は出なかった』ていうのが結論」
「ええ、そんなのってアリ?」
意表をつかれて聞くと、英一は彰の驚きの理由が判らない、といった様子でクビをひねった。
「だって問題、『どちらかを選べ』じゃなかったでしょ。『何らかの結論を出せ』なんだから、『話し合いましたがどちらかを選ぶことはできません』て結論だって間違ってないよね」
「いや……うん……でも……そうかも」
何か言い返そうと口を開いてはみたが、結局何も返す言葉が無いまま彰はうなずいて。確かに全く、間違ってはいない。
「あんな問題に答えなんてなくていいんだよ」
曲げた両膝の上にのびのびと長い腕を伸ばして、英一はあっさりと言った。
「一人か五人か、なんてさ。多けりゃ良くて少なかったら駄目なのか、ならもともとの事態に『ポイントを切り替える』てかたちで自分が手を出して一人を殺すのが善なのか、もうそんなことさ。決まらないよ、考えたって」
すらすらと話して、ふと彰の視線に気づいたのか、ちらりと目線を投げる。
「考えなくていい、て言ってるんじゃなくてさ。決めなくていい、てこと。考えるのは考えるよ。とことんね。でもそれでどっちかに決めるっていうのはさ、こっちかも、でもそうじゃないのかも、て、もやもやあれこれ考えあぐねてる自分の気持ちを全部折って捨てる、てことでしょ。そんなことしなくていいよ。と、僕は思うよ」
「……その、『結論無し』て結論は、美馬坂くんの発案?」
「うん」
糸目を更に細めて、英一はわずかに歯を見せて笑った。
「でも最初、もめたよ」
「え?」
「あれ人工人格体だったと思うんだけどさ。えらく反対されちゃって。二つの選択肢がある一つの問題に対して、『選ばない』なんて回答は無い、て」
「ああ……何かその言い回し、すごく人工人格っぽい」
彰がつい言うと、英一は軽く吹き出す。
「そう。ほんとそう。でも人間組は概ね納得してくれたんで、全員で大説得だよ。もう、『問題』や『回答』の言葉の定義からやったからね。それで最後には何とか納得させた。あれは今まで一番の難題だったなあ」
思い出しているのか、くすくす笑いながら英一は話した。
「……うん、そうだなあ、『ぶれ』が無いんだよなあ、あの人達」
そして目線を遠くに飛ばして、独り言のように先刻自分が言った言葉を繰り返す。
「だから許容範囲が極端に狭い。もにょもにょっとしたものをもにょもにょっとしたまんまに、自分の中に、丸ごと抱え込む、てことができないんだね。必ず答えが要る。でないと動けないんだな、きっと」
英一はそう言うと、すとん、と石段を飛び降りて、大股で道を横切っていく。どうやら歩いてきたのとは別の道の扉を試そうとしているようだ。
彰は立ち上がって、少し離れてその後をぶらぶらついていった。
「それが『無駄』が無い、てこと?」
彰が尋ねると、英一は後ろに彼がいたことに今始めて気づいたようで、少し身を引いてこちらを見た。
「……そうかも。それが彼等と僕等の、決定的な差なのかな。そこを埋めないといつまでたっても見抜けちゃうんじゃない?」
「でもよく考えてみたら、『無駄』をわざわざ発生させる、てヘンな話だよね」
英一の言葉に彰がそう言うと、彼は道を曲がった先の店先の自動ドアを試しながら「どういうこと?」と目だけで振り返る。
「これ多分、いま日本で最先端の技術を全力投入して進められてるプロジェクトでしょ。そこで達成させようとしてるのが『無駄』の生成、て凄いことだよ」
「確かに。凄い」
彰の言葉に英一はまた軽く吹き出して。
「効率化とか合理化とか、どれだけ目指したって人間は『無駄』を0パーセントにはできないのにね。まさに
自動ドアを諦めて、英一はすぐに隣の扉に移る。
「じゃあどうやったら、人工人格に『無駄』を覚えさせられると思う?」
「うーん……」
彰の問いに英一は軽く首を傾げながらも、更に隣、また隣へと移っていく。
「『感情』の理解と生成、かな?」
ガタン、と扉の持ち手を鳴らして、肩をすくめるとすぐ脇の小さな窓を覗き込んで。
「感情?」
「うん。だってそれある意味、一番『無駄』じゃない?」
彰は思わず、目を瞬いた。まあ確かに、そうかもしれない。
「でも、どうやって?」
「さあ、そこまでは」
何か気にかかるものがあるのか、木の窓枠を覗き込むようにして動かしながら、英一はどこか上の空であっさりと言った。
「……まあ、そうだよね」
彰はその背中を見ながら肩をすくめた。あれだけの研究者達が束になって取り組んでいるであろう問題に、自分達が解答を出せる訳はない。
それから目線を動かし、何となく空を見上げる。
空は相変わらず、どこにも太陽が見当たらないのにぴかっと明るく晴れていて、でも最初の頃と違うのはぽつりぽつりと雲が現れるようになったことだ。五月の爽やかな晴れた空によくあるような、綿菓子を千切ったみたいな小さな雲。
太陽は無いけれどやはりその空は眩しくて、彰は目を細める。
――あれ?
ふっと、その空に何かがよぎったような気がして、彰の眉に皺が寄った。
もう一度ざっと見渡してみたけれど、もう青空と雲の他には何も見えない。
でも……。
「御堂くん」
目を泳がせていると突然声がして、彰ははっとそちらを見た。
先刻と同じ窓の前に立って、英一がこちらを見ている。
そして彼は、すい、と長い手を動かして、彰を手招いた。
彰は目を一度強く閉じて視界の明るさを調整すると、その隣へ近寄る。
その、一瞬の暗闇の中に、今しがた空に見たものがくっきりと浮いた。
「見て」
英一がまるでマジシャンのように片手を広げて、もう一方の手に持った紙を、すっと窓枠の間に差し込んで。
折られた紙は何の抵抗も無くすうっと中へと入っていって、そのまま吸い込まれるように消えた。
彰は息を呑み、それを見つめる。
「……感情って、無駄だよね」
隣で英一がかすれ声で囁いた。
思わず見ると、糸目を更に細めて英一が微笑んでいる。
「無駄で……最高だ」
彰の脳裏を、先刻空に見た影がまたさっとよぎった。
それは、鳥影だった。
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