主任、今回も出番はないそうです

23-1.鉄血のハイド


『疾風迅雷』


 北九州、最大規模のハンター・ギルド。

 ダンジョンに潜る一般企業の護衛などを主な活動とする。

 その実力は確かで、海外で開催されるモンスターハントの大会でも好成績を残してきた。


 その三代目、頭領こと『鉄血のハイド』。

 冷酷無比な男で、ギルドの規律を守るためにはメンバーを切り捨てるのも厭わない。


 今年度GWの『マンドラゴラ防衛戦線』。

 危険地帯に侵入してしまった新人たちを迷いなく見捨てた彼の行動は、ギルド内でも改めてその恐ろしさを知らしめる結果となった。



 そのハイドの日常の顔を、誰も知らない――。



 チリンチリン。


「いらっしゃいませえー」


 入店のベルが鳴ると、山本太郎はカウンター席に走った。


「ご注文はお決まりでしょうか」


「並セットひとつ」


「かしこまりました。並セット一丁!」


 すぐに厨房のほうから「ありがとうございまーす」と声が返ってきた。


 山本はそちらへ急いだ。

 この時間帯は客の出入りが激しい。

 一分、一秒が勝負だ。


 丼によそわれたご飯の上に、熱々の牛丼の具をかける。

 お盆に用意された味噌汁、おしんこ。

 そして空の小鉢に、冷蔵庫から取り出した卵を片手で割り入れる。


 ――半熟卵が、ぷるんと小鉢に落ちた。


 完璧だ。

 山本はその美しい出来栄えにうなずくと、それを持って客のもとに急ぐ。


「お待たせいたしました」


 しかしお盆を見た客が、ふいに眉を寄せた。


「……おれが頼んだの、Bセットなんだけど」


 なに?

 山本はメニュー表を振り返る。


 並セット。

 A~Dまで取り揃えられたそれは、当チェーン店の看板商品でもある。


 山本が用意したのはAセットだった。

 Bセットとの違いは、たったのひとつ。


 ――半熟卵か、生卵か。


「…………」


 この男……。


 山本はぎりりと歯を食いしばった。

 牛丼には半熟卵と決まっている。

 だいたい生卵など絡めたらタレの味がぼやけてしまうではないか。

 あくまで主役は、牛丼のしょっぱさ。

 たまに口休めとして食べるからこそ、卵の意味がある。

 それを完全に中和しては、もはや別物だ。


「…………」


 山本は鋭い眼光を放った。


「ひ、ひいっ!? な、なんだよ!」


 すると『店長』の名札をつけた青年が、慌てて厨房から走ってきた。


「は、ハイドさ、じゃなかった、山本くん! お客さん、困ってるよ!」


 ハッとすると、山本は震えるこぶしを握り締める。


「も、申し訳ございません。すぐにお取り替えいたします」


「お、おう……」


 小鉢を厨房に持っていき、生卵の小鉢を持っていく。


 確かに、事前に確認しなかった自分のミスだ。

 小鉢の中身も、客それぞれの好みがあるのもわかる。

 しかしそれでも、この世には許しがたいことが多すぎる。


 おれは、なんと無力……。


 戻ってくると、店長が言った。


「ここはギルドじゃないんですから、そんな凄んだらダメでしょ。ハイドさん、睨むとほんと恐いんですから」


「す、すまん」


「あと、セット内容の確認は忘れずにお願いします」


「はい」



 国内有数のハンターギルド『疾風迅雷』。

 その三代目、頭領こと『鉄血のハイド』。


 彼の血潮は、常に戦場を求める。

 国内ナンバー1の牛丼チェーン店。

 バイト歴、三年め。



 ――いまだ、この戦場は奥が深い。



 チリンチリン。


「いらっしゃいませえー」


 目を向けると、入口にひとりの少女が立っていた。

 物珍しそうに店内を眺めているが、そこから一歩も動こうとしない。


「お客さま。こちらへどうぞ」


 空いている席を示すと、彼女は緊張しながら歩いてきた。

 まだ中学生くらいの、小柄な少女だ。

 こんな年頃の子が、ひとりで来るような場所ではないが。


 とはいえ、客は客だ。


「ご注文は?」


「あ、あ、あの!」


「なんでしょうか」


「な、なにが、あります、か?」


 山本は顔をしかめた。

 目の前にあるメニュー表を指す。


「こちらから、お選びください」


「あ、す、すみません!」


 彼女は慌てて、それに目を落とした。


「……あ、あう」


 そのうめき声の意味を、山本はわからなかった。

 オーダーを待っていると、彼女は恐る恐る隅の一点を指さした。


「こ、これを……」


 半熟卵だった。

 サイドメニュー、一個五十円。


「……は?」


「す、すみません、すみません! で、でも、こんなに高いと思わなくて……」


 それは、つまり、こういうことか?


 もしかしなくても、財布に金がないということか。


 一杯三百円ちょっとの牛丼も注文できない。

 おそらくは百円のサラダも注文できないのだろう。


「…………」


 待てこら。

 なぜそれで食事ができると思ったのか。

 お金の前に、あまりに常識がない。


 しかし、追い出すというのはどうだ。

 相手は子どもだ。


 山本が迷っていると、ふと小さな腹の音が鳴った。


 ……きゅるるる。


 少女はバッとお腹を隠すようにする。

 耳まで真っ赤になって、恥ずかしさに震えている。


 山本はため息をついた。


「……かしこまりました」


 厨房に入り、店長に向く。


「店長。賄いをいただいてもいいか?」


「え? まだ休憩時間じゃ……」


 山本が伝票を見せると、彼は眉を寄せる。


「……味を占められると困るんですけど」


「今回だけだ。誓う」


「……わかりました。いいですよ」


 山本はご飯に牛丼の具をかける。

 もちろんつゆだくだ。

 ついでにネギも大量に入れた。

 仕上げに、さっきの半熟卵の小鉢も添える。


 そのお盆を、少女の前に置いた。


「お待たせいたしました」


 それを見て、少女は困惑した様子になる。


「あ、あの、わたし、お金……」


「知っている。さっさと食って行け。もう二度と、来るんじゃない」


「……は、はい」


 少女は小さくうなずくと、もそもそと食べだした。

 その様子を見ながら、山本はため息をついた。


 半熟卵好きに、悪いやつはいないからな。

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