主任、その宝箱ミミックですよ!?

@nana777

主任、その宝箱ミミックですよ!?

主任、スライムって美容にいいらしいですよ

1-1.今日はノー残業デー


「牧野!」


 水曜日の気だるい午後三時。

 オフィスに主任の鋭い声が響いた。


「は、はい!」


 名前を呼ばれたおれは、慌てて立ち上がった。

 主任のデスクに走っていく。


「な、なんでしょう」


 その席に着くのは、おれとそれほど歳の変わらないスーツ姿の美女だった。


 腰まで届く艶やかな黒髪。

 きりりとした左目には、男たちの目を引く小さな泣きぼくろ。

 モデルのような、すらりとしたスタイル。


 取引先のおっさんどもが、そろって羨ましがるマドンナ。

 しかし彼女は、社内ではこう呼ばれていた。


 鬼の黒木。


 この若さで主任の座に就いた才女。

 その性格は冷徹で苛烈。

 たとえ上司でも、おいそれと彼女に言い返すことはできない。


 そんな黒木主任がデスクに置いたのは、昨日、おれが提出した報告書だ。


「……これ、読み返した?」


「え、あ、すみません。ちょっと時間がなくて……」


「……時間がなくて?」


 ぎろり。


 ひい!?


「あんた、この会社に入って何年め?」


「さ、三年めです」


「あのねえ、これは会社に提出したものなのよ。誤字脱字のチェックぐらいは当然でしょう。それに、この数字。桁が違ってとんでもないことになってるわ。もう後輩もいるのよ。いつまでもフォローされる側だと思ったら大違い……」


 くどくどくどくど。


 たった十分ほどのお説教で、もう小一時間はそうしているような気がした。


「じゃあ、今日中に修正を出しなさい」


「……はい」


 と、なぜか主任は念を押すように言った。


「今日は、ノー残業デーだからね」


「は、はい……」


 デスクに戻ると、隣の席の同僚がにやにや笑っていた。


「ご愁傷さん」


「参ったよ」


「終わりそうか?」


「まあ、なんとか」


「うちの主任、ノー残業デーにはうるさいもんなあ。他でそんなの守ってるとこないぞ」


「ま、まあ、おかげでうちはみんな定時で帰れるからいいじゃん」


「まあな。あ、飲みいかね? 今日、彼女が遅くてさ」


「ご、ごめん。金曜なら」


「うーん。おまえ、水曜はいつも帰るよな。なにしてんの?」


「あー。ちょっとね」


「もしかして女?」


「違う、違う。ちょっと、友人と待ち合わせててさ」


「先週もだったろ。ずいぶん仲いいんだな。やっぱ女だろ」


「いやあ、そこはノーコメントで」


 まあ、確かに女は女なんだけど。

 ちょっと、彼が考えているようなものじゃない。



 …………

 ……

 …



 結局、定時から三十分も遅れて会社を出た。

 おれは駅に走りながら、腕時計を確認する。


 ――あぁ、もう!


 あのひとはとっくに出ていた。

 きっと、今ごろイライラしながら待っているに違いない。


 二つほど乗り換えて、郊外の駅で降りる。

 いつもの住宅街を走っていった。


 くそー、お腹空いたなあ。

 ただでさえ遅刻しているんだから、食事なんてしていたら火に油を注ぐようなもの。


 その証拠に、遅れるという連絡は見事に既読スルーだ。


 と、目的の黄色い四角形の建物が見えた。

 一見するとレジャー施設のようだが、生憎とそういう賑わいはない。


 その入り口の前で、ひとりのスーツの美女が立っていた。

 おれを見ると、あからさまにむっとした顔で怒鳴った。


「遅い! なにやってたの!」


「す、すみません。黒木主任」


「まったく、あれほど念を押したでしょう」


 腑に落ちないが、いかんせんおれのミスなので言い返せない。


「ほら。さっさと行くわよ」


 慌てて彼女に続いて施設に入った。


 小奇麗なカウンターには、ショートカットの活発そうな少女がいる。

 この施設のオーナーの娘さんで、名前を美雪ちゃん。

 おれは高校のころからの知り合いで、そのころからよく懐いてくれている。


「あ、マキにい。今日は遅かったね」


 うーん。彼女ももう大学生なんだし、その呼び方はさすがにむずかゆいなあ。


「あ、うん。ちょっと残業でね……」


 ぐさ、と鋭い視線が背中に刺さった。

 わざとじゃないんだし、そんなにいじめないでくださいよ。


 おれがクエストの登録をしていると、ふと美雪ちゃんが奥から荷物を引っ張り出してきた。


「あ、黒木さん。お荷物、届いてますよ」


 よっこいせ、と大きな段ボールをカウンターにのせる。

 その表面のロゴを見て、おれはため息をついた。


「また新しいの買ったんですか?」


「なにを買おうがいいでしょ」


「おれ、基本装備を使いこなすのが先だって言いましたよね」


「わたしの勝手でしょ。今度はうまくいくわ。ちゃんとネットで適正診断もしたんだから」


「……ほんとかなあ」


 じろり。


 恐いので、それ以上は言わない。


 一見すると、同僚の目を盗みながらオフィスの美人上司とアフターファイブ。

 でも残念ながら、おれたちはそんな甘美な関係ではない。


 この施設の名前はこうだ。


『異世界ダンジョンワールド:KAWASHIMA』


 なにをする施設かって?



 ――モンスターハント。



 異世界のダンジョンに転移して、そのモンスターを狩って素材を換金する。


 世界でいま、もっともホットなスポーツのひとつである。


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