第4話 一体誰?

 誰かと勘違いしている? それにしてはゆうちゃんという呼び方と俺の顔をしっかりみている以上、その可能性は低いだろう。

 高校の同級生? 同学年の女子ならまだ知らない人もいるかもしれない。

 いや、しかしゆうちゃんなんで俺の事を呼ぶのはバスケ部の女子くらいだ。

 じゃあバスケ部の女子? それは絶対ない。もともと人数が多い方ではないのだ。さすがに顔くらい分かる。

 そんな事を考えながらも俺は出店の方へ歩いた。ふと左にいる彼女に目をやってみると、彼女は先ほどと変わらず俺の二の腕をぎゅっと握って嬉しそうにしてるままだった。一体誰なんだ? この娘は。


「あ、これやりたい」

 彼女は突然繋いでいた手を離し、金魚すくいを指差した。そして、その大人びた雰囲気とは裏腹に、周りも憚らずその場にしゃがみ込み、じっと動き回る金魚を眺めだした。そしてそのまま彼女はポケットから小銭を取り出そうとし、いくつかの五円玉と十円玉が散らばった。俺はそれらを拾って彼女の手のひらに帰してあげても、一回の料金には足りなかった。

「はい、おじさん」

 俺は財布から小銭を取り出し、おじさんに払った。

 おじさんから渡されたポイを彼女は嬉しそうに受け取ると、めちゃくちゃに桶の中をかき混ぜだした。

 一瞬にしてポイの紙は破けた。それでもまだ彼女はかき混ぜる、満面の笑みを浮かべながら。その無邪気にはしゃぐ彼女を見て、俺は思わず微笑んでいた。一しきり桶の中をかき混ぜると、彼女は満面の笑みで俺の表情を伺った。そして俺も同じ笑顔を持っている事を確認してから、持っていたポイを放り投げ、また俺の二の腕をぎゅっと掴み始めた。

 気づくと俺は彼女に対する緊張感は溶けていた。一緒にしてなんか楽しい、純粋にそう思えた。彼女といると、周りの様々な出店がきらきらと輝きだした。

 しかし次の瞬間、俺の足が止まった。足だけではない、世界が一瞬にして凍りつき、その時を止めた。その理由は他でもない、目の前に突然あの光景が姿を現したからだ。

 向こうの2人も同様にこっちを見ていた。

「ゆうちゃん?」

 君島麗子の声は少し低く、落ち着きがあった。たださすがに今回は少し驚いた声色を含んでいたようだった。隣には……やっぱりあいつ、吉田亮がいるそして、……そしてやっぱり手はつないだままだった。

「おう、来てたのか」

 明らかに俺の声がうわずっている、当たり前だ、俺はもうどうすればいいのか完全に分からなくなってしまっていたんだ。一応隣に居た吉田亮に、こんちは、といった挨拶をしたと思う、向こうも多分、おう、といったような軽い返事をしただけだったはず。そのまま俺は隣にいる彼女と一緒にその場を通り過ぎた。その間ずっと丸い目をしていた吉田亮の表情だけを脳裏に焼き付けて。

 しばらく歩きながら、俺の中に不思議な感情が芽生えた。あの吉田亮の驚いた表情、それが何とも言えない爽快感というか、そんな感情だった。そうか、あいつらにとってもまだ恥じらいがある時期なのだ。しかもこっちはあいつが昔俺に言ってた「お前と違って俺は女に困らないからな」と言ってた俺が、神社のお祭りで女子と手をつないで歩いている、そんな光景を見せつけたのだ。それはさぞあいつにとっても驚愕の光景だっただろう、例え幻でもいい、あいつの心に風穴を空ける事が出来たのなら、もう俺はそれで満足だった。つい俺は彼女に話しかけた。

「今日はいい日だね」

 すると彼女もにこっ、として小さく頷いた。

 さあ、それは良いとして、そろそろ本題に戻らなければならない、彼女が誰か、ということである。

「一番最近に会ったのっていつだっけ?」

 昨日や一昨日ってことはない。例え忘れるはずの無い日を言われても、どうせおどけてみせればいい、俺はそう思っていた。その時、

「祐一君」

 俺は正面を振り返った。近所に住む吉岡夫妻だ。俺はいつも通り挨拶を交わした。その時俺は何かを尋ねられた気がする。隣にいる彼女の事で頭が一杯だった俺は多分、さあ知りません、といった風に軽く流したような気がする。

 もし俺がこの時「その事」に気づいていたら、状況は一変していたかもしれない。それに気づくまでにもう既に5年という月日が流れていた。


「昨日だって?」

 俺は彼女の返事に脳みそをかき混ぜられた気分だった。

 最後に会ったのが昨日。昨日はバスケの試合の日だった。試合会場で出会った他の高校の子か? しかしそれもないだろう、なにせ俺はレギュラーでもないのだ。他の高校の女子との接点も全くと言っていい程無い。

 相変わらず彼女はその上品そうな目尻から、まるで星が溢れそうな程ににこにこしている。もうここまで来ると俺は諦めかけた。騙されているんじゃないかと思うようになった。本当に俺は彼女の事は知らなくて、それを知った上で彼女は俺がどぎまぎする姿を見て喜んでいるんじゃないかと。

 もう降参だった。本当にごめんね、と前置きをしてから俺は聞いた。

「名前なんだっけ?」

 彼女はぼそっと呟いた。

「ミナヨ」

 俺は少し気が楽になった。心の奥にあった重しが取れた気がした。何故なら俺はこんな可愛い、ミナヨという知り合いはいなかったからである。彼女は俺の知らない人だったのだ。

「何だ、そういうことだったんだ」

 笑いながら言う俺に彼女も少し微笑んだ。

 気づくと出店も最後、お面を売る店を残すだけとなった。彼女は小走りに俺の手を引くと、ピカチュウのお面を指差した。どうせここまで付き合ってくれたお礼だ、一緒にいて楽しかったし、吉田亮にあれだけのパンチを食らわせる事が出来て気分も良かった俺はそのお面を買ってあげた。

 まず俺がその面を被り、ピカチュウのモノマネをしてあげると彼女は飛び上がって喜んだ。それからお面を彼女に渡すと、それを大事そうに左手に抱え、残った右手で俺の二の腕をぎゅっと掴んだ。

 出店が終わると、もうお祭りは終わりだった。楽しい一時だった。俺は心から彼女に感謝していた、もう一度ちらっと彼女をみると、相変わらず幸せそうににこにこしている。その横顔を見ながら、俺はこんなことを考えていた。


 幽霊。


 彼女はひょっとしたらこの世の人間ではないのではないか。彼女の不思議な魅力を目の当たりにするとそんな事も頭に浮かんでくる。確かに俺は昔から霊感は強い方だった。でもこんなにはっきり見えた事は無かったし、手だってこんなに暖かい。いや、もしかするとそれすらも俺の幻覚なのかもしれない、俺は既に半分、あっち側の世界に連れて行かれているだけなのかもしれない、そんな事を考えていた。

「わたし……ね、」

 俺は彼女をじっと見つめた。

「ねえ、君は一体……」

「わたしね」

 出店の終わりから出口まで道。その真ん中をただ立ち尽くし、2人はお互い見つめ合う。その横を、何人もの人影がただただ意味もなく通り過ぎた。今の2人にはもう2人以外のものは目に映らない。

「ゆうちゃんの事が大好きだったんだよ」

 いつもの俺だったらこの言葉をどう聞いただろう。生まれて初めて、しかもこんなかわいい子からの告白を飛び上がって喜んだかもしれない。

 でもこの時の俺は違った、恐ろしい程に落ち着き払い、少し悲しささえ感じていた。この時の彼女の表情はちっとも嬉しそうでは無かった、先ほどの笑顔はその時完全に残っておらず、吹けば飛んでしまいそうな表情だけが残された。

「いつもいつもありがとう。わたしね、まえからこんな風にゆうちゃんと喋ってみたかったんだ」

 俺は金縛りにでもあった様に動けず、ただじっと彼女の目を見つめていた。それから彼女は一つ大きく天を仰いた。その瞳には、きっとあの大きく、真ん丸な月が映り込んでいたに違いない。そのまま彼女はゆっくりと俯くとこう呟いた。

「後ろ、向いててほしいの」

 俺はなすがままに彼女に背を向けた。俺はこのまま連れ去られてしまうのだろうか? 何か……それでもいい気がしてきた。俺はゆっくりと目を閉じると、その力を抜いた。

 しばらくの沈黙の後、俺は彼女の方へ向き直り、ゆっくりと目を開けた。


 風が吹いた。


 そこにはさっきと変わらない風景が広がっていた。違う事がただ一つ。そこに彼女の姿は無かった。あのピカチュウのお面も、あの微笑みも、まるで風が運んでしまったかのうように消えてしまっていた。

 ただ呆然と立ち尽くす、俺の耳は無を聞いた。この世に時が無かったら、きっと世界はこうだろう。世界の全ては色は消え、音はあっても意味がない。今ここにいるのは誰だろう? そんな永遠にも思えた時を越え、出店のにぎやかな喧噪が再びゆっくりと俺の耳に届くようになると、やっと体は溶け始め、動ける事を思い出す。そしてゆっくりと足を進めながら考えた。俺はひょっとしたら夢を見ていたんじゃないかと。短い間ではあったが楽しい夢を。

 そんなことを考えながら歩く俺に、後ろから来た吉岡夫妻は確か心配そうに声をかけてくれた気がする。はっきりと覚えていないが、俺はその時、大丈夫です、といった返事をしたと思う。

 しかしどうも決まりが悪く、吉岡夫妻の横にいた、幼稚園に通う娘のミーちゃんを撫でて誤摩化したのだけは覚えている。するとミーちゃんは笑顔を浮かべたまま、頭の後ろにあったお面を前に持ってきた。

「!?」

 俺はそのお面がピカチュウだったのをみて、一瞬だけ胸を針で刺された気分になった。お面の裏からニカっと笑うミーちゃんに、まるで全てを見透かされているような気がしたからである。

 それからの事はあまり覚えていない。その後彼女と再び出会う事は無かったし、何らいつもと変わらない生活が始まっただけだった。

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