第3話 謎の少女

 嫌な予感は見事に的中。動物は恐ろしい敵に出会った時、することは二つだという。戦うか、逃げるか。しかし、それをも越えたもっと恐ろしい敵に出会ったらどうするか? そう、動けなくなる、俺はまるで蛇に睨まれたカエルだった。

 その原因となる光景をもう一度確認してみた。 俺が所属するバスケ部のマネージャー「君島 麗子」と俺の大っ嫌いだった先輩の「吉田 亮」が一緒にそこにいたのだ。

 君島麗子。彼女はその時流行っていた女性アーティストに似てるという評判で、俺ら男子バスケ部の一番人気だった。しかもフリーということで、俺たちの希望の星だった。どんなきつい練習をしていても、彼女の方をみてみんな頑張っていたんだ。それなのに……。

 吉田 亮。そのスラッとした体格にすっとした顔立ちで、いつでも女子から人気があった。あいつは、年上から年下までいわゆる美人と言われた女子をみんなモノにしては捨ててきた。たしかにあいつはバスケは上手い。県の代表に選ばれるくらいだ。だが中身は正真正銘のクズだ、それはみんな分かっている。何故あの男と君島麗子が一緒にいるんだ……。

 

 しかも、2人が手をつないでいた、という事実がノックアウト寸前の俺をさらに踏みつぶした。


 ……だから来たくなかったんだよ……


 俺は放心状態のまま、そのまままっすぐと進み、本堂の手前まで来ていた。

 ここまで来ると、出店は終わり、それまでの喧噪と打って変わって静けさを取り戻す。後ろで聞こえる、フランクフルト屋やヨーヨーのお店。焼きそば屋など数々の出店が、まるでボリュームを下げるように、すぅっと、後ろの方へと吸い込まれて行った。辺りを見回しても、ここまで来る人はほとんどいない。周りの木々のざわめきがかろうじて少し聞こえる位だ。

 真上にはまんまるのお月様が眩しいくらいの光を放っている。俺は思わずその光から眼を背けた。


 ……あぁ、神様。世の中は何故こんなにも不条理なんだろうか……


 そんな感傷に浸る間すら神様は与えなかった。

 後ろから誰かの足音が聞こえてくる。ふと振り返ると、薄暗い闇の中、近づいてくる二人の影。まさかあれは……。

 俺は急いで、本堂の裏へ逃げた、全速力で。その二人の影はまぎれも無く君島麗子と吉田亮だった。でも何で逃げる必要がある? 自分は悪い事はしていないのに? そんな風に強がってみたが、現実は変わらなかった。今の俺にあの二人の現実を受け入れられる自信は無い、逃げるしか無かった。

 本堂の裏で俺は息を切らした。暗闇の中、膝に手を当て、はあはあ言う自分が惨めだった、情けなかった。アイツらはアイツらで既に素敵な青春をエンジョイしている。俺は何でこんな所に居るんだ? そもそも何でここに来たんだっけ? 俺はそれすら思い出せなくなっていた。

 しばらくたって、やっと息が落ち着いてきた頃、気づけば俺は本堂の裏で、ぼーっと目の間に浮かび上がる泉を見つめていた。言い伝えによるとこの泉にあの二人は身を投げたという。言い伝え通り、泉には大きく丸く光る中秋の名月が、ゆらりゆらりと浮かび上がっていた。

 時折聞こえる木々の揺れる音、葉のこすれる音が、今どこかできっと風が吹いている事を教えていた。


 …………。


 この神秘的な空間に一人身を置いてみると、不思議とあの言い伝えも信憑性を増してくる。あの2人は生まれ変われたのだろうか? 幸せになれただろうか? せめて平和な時代に生まれ変わっていたらいいのにな、そんな事を考えていた。

 俺はあの頃、運命についてよく考えていた。実は自分にも運命の人はいて、今も本当は付き合っている彼女がいたんじゃないかと。でもその人、もしくはその先祖は病気、戦争、災害などで亡くなってしまっていて、今ここにいないだけなんじゃないかと。きっとその人は一人になってしまった俺をどこか遠くから見ているんじゃないかと。その人はきっと素敵な人で、何でも思った事を話せて、その人と一緒にいると何だか幸せな気分になれる、そんな人なんじゃないかと。

 でも今は分かる。そんな人はいない。例えいたとしても、現実世界にはいないし、これからも現れない。今目の前にいる人達だけが真実、それが現実。


 そろそろいいだろう。

 辺りをうかがいながら、ゆっくりと俺は本堂の裏から、表正面に向かって歩き出した。

 よし、もういない。本堂の正面に人こそ一人いたが、あの二人はいない。俺はほっと胸を撫で下ろして歩き始めた。

 一歩一歩、歩き始める俺。その時何故だろう、今思えばまるでスローモーションの様に時間がゆっくりと流れているような錯覚に陥った。先ほど確認した人影の視線を痛い程感じていた。俺は迷わず足を進めるにもかかわらず、その人影の視線はより強くなる。いや、知らない、俺はここに知っている人はいないはずだ。そう考えながら次の一歩を踏み出した瞬間、

「ゆうちゃん」

 俺は振り返った。

 そこには浴衣姿の少女が立っていた。年は俺と同じくらいだろうか? 水色の浴衣が月の光に照らされて、そこに泳ぐ赤い金魚が鮮やかに浮かび上がっていた。髪を後ろに束ね、細い目尻に上品そうな笑顔を浮かべ、彼女はこっちを見ていた。その親しみを込めた笑顔にも関わらず、俺はその子が誰なのか、全くピンと来ていなかった。俺は自分を指差し、疑問の眼差しで問いかけた。

「俺の事?」

 すると彼女は溢れんばかりの笑顔でゆっくり頷いた。

 一体誰だ? この娘は。

「おう、来てたんだ」

 俺はその場しのぎの挨拶を交わした。何か話でもしているうちに思い出すかもしれない、そう思ったのだ。

「ゆうちゃん、何してんの?」

 俺は一気に全身の血の気が引いた。まさか部活のアイドルと嫌いな先輩が付き合い始めた瞬間を見て、逃げていましたー、なんて言えるはずがないからだ。たじろぐ俺に彼女は突然俺の二の腕をつかむと、

「一緒にいこ」

 そう呟いてじっと俺を見つめた。

 彼女の喋り方は独特だった。どことなく上品で、それでいて不思議と寂しさのようなものを感じさせる。見た目の奇麗さにも関わらず、ゆっくりと、くだけたような話し方。そのかわいらしい話し方とのギャップが、より一層彼女を引き立てていた。ひょっとしたら君島麗子より美人かもしれない、俺は薄暗い本堂の前でそんなことを思っていた。

 同世代の女性、しかもこんなに可愛い子から初めて腕を掴まれた俺はどうして良いか分からず、とりあえずそのまま歩き出すことにした。

 それにしても、誰だろう、この隣に歩く娘は。

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