第2話 月夜の言い伝え

「ねえ、祐一お願いよ」

「だから嫌だって、言ってんじゃんさっきから」

 5年前、高校生だった俺は確か母さんとこんな押し問答をしていた気がする。

「嫌って言ったって、祐一が神社のお祭りで焼きそば買ってきてくれなきゃ、ご飯のおかず無いよ? 本当に。母さんぜっっったいに作らないからね」

 それが大人の言う事か。

 むきになると意地でも自分の言った事を通す、それが母さんだった。

 「ねえ、祐一、お願い! なんだかんだ言って結局買ってきてくれるのが祐一なのよね。ほんっと、や・さ・し・い・子!」

 絶対買ってきてやるか! 俺は心に誓った。


 あーあ、嫌だ嫌だ。そう思いながら結局俺は神社のお祭りに向かって自転車をこいでいた。理由は他でもない、夕飯のおかず、焼きそばを買いに、だ。なんだかんだ言っても結局断れない、それが俺だった。

 でも今ではあの焼きそばにも感謝している。あの時もし神社のお祭りに出かけていなければ、あの奇跡は起こらなかったかもしれない。


 夜月の美しい、あの夜に起こった小さな奇跡は。


 何故あそこまで神社のお祭りを俺は嫌ったのか。そんなのは決まってる、高校生だった俺たちにとって、あのお祭りはただのイベントじゃあない。それはそれは特別な意味を持っていた。毎年中秋の名月の時に決まって神社で開かれる、あのお祭りは。そもそもあの神社が、地元の若者達にとって、重要な縁結びスポットであることが間違いの始まりなんだ。しかもその由来は平安時代まで遡る。


 その昔、愛し合っていた男女がいた。2人はお互い、この人と出会う為に生まれてきた、そう思える仲だった。ただ2人の間には大きな溝があった。それは女は貴族で、男は平民だったということ。さらに女は政略的に許嫁と結婚させられることが決まっていたのだった。2人の短く幸せだった時間は過ぎ去り、女が許嫁と結婚するためにその地を離れる日がやってきた。

 それは中秋の名月。夜の闇の中、女は神社で願った。男の幸せ、そしてこの想いが男の元へと届くようにと。

 静寂の中にひっそりと浮かぶその神社で、女は静かに祈りつづけた。やがてその遥か上空を覆っていた厚い雲が、ゆっくりと動き出す。そしてその奥から美しい夜の満月が顔を出した。ちょうどその時、神社の裏から誰かが歩いてくる音が聞こえてきた。現れたのは、女の愛した男だった。

 そして男はこう告げた。

「私も少し前、あなたと同じようにあなたへの想いを告げたのだ。すると裏で待て、とお告げがあった。言われた通りに待っているとなんとあなたがやってきた。月が私たちを導いてくれたのだ」

 二人は確信した。神様も私たちが結ばれる事を望んでいる、私たちは結ばれる運命なのだと。そして結ばれる時は残念ながら今世ではなかった。きっと来世で私たちは幸せになれる、そう信じて二人は手を取り合い、神社の裏へ向かった。ひっそりと佇むその漆黒の池は、見事なまでに輝く満月がその水面に揺れていた。そこで二人は何を語ったのだろう、どれだけの時が流れただろう、二人にとってそれは永遠にも思えるほど大事な、たった一瞬の出来事だったに違いない。そしてそのまま二人は、その漆黒の闇に包まれた泉に身を投げたという、来世で出会えることを信じて。


 そんな言い伝えもあって、この神社は2人の愛を紡ぐ、縁結びのスポットとなっていた。


 あなたの縁結び、月がサポートします、そんな臭いセリフを堂々とこの神社は掲げている。絵馬もほとんどが、彼氏が出来ますよーに、彼氏と結婚できますよーに、との類いで溢れている。

 そんな神社の、さらにお祭りとまでなると、その意味合いはより一層深くなる。


「今度の祭り、一緒に行ってくれないかな」


 この言葉はこの地元の高校生が、気になる相手に告白する代表的なセリフであり、実際にこの言葉がいくつもの青春を培ってきた。うだるような夏を越え、気温もようやく下がりだし、人肌恋しくなる季節。この神社の祭りをきっかけに、沢山のカップルが成立していった。もちろん、自分にそんな相手がいれば、きっとこのお祭りもきらきら輝いていたのかもしれない。ところが相手がいない自分にとって、このお祭りは脅威でしかない。何故かって? もしここで新しいカップルを見つけてしまったら、どうなると思う? それはもう、その惨めさにそれだけで十分死にたくなる。それにその相手の娘がもしちょっとお気に入りだった娘だった日にはきっと俺はもう何を糧に生きていけばいいのか分からなくなる……そんな事を考えると、本当はどうしても神社のお祭りには行きたくなかったんだ。

「あー、着いちゃった」

 そうこうしている内に、俺は神社の入り口に辿り着いた。相変わらず向かい合った出店の間に作られた通りには、人でごった返していた。

  

 ここの人たちはみんなジャガイモ。俺には関係ない。見えないし聞こえない……そう自分に言い聞かせ、俺は神社に足を踏み入れた。

「よう! 祐一!」

 そんな声に耳を傾けると、そこにはさほど仲良くも無いクラスメート達だった。あっちは5、6人の男連中でそれはそれで楽しそうにお祭りをエンジョイしていた。

 おう、そんな返事を返したが、これまた一人でお祭りを歩く、という格好悪い所を見られたったらありゃしない。早く焼きそばを…… 

 ふと知っている人が、流れ行く人混みの奥に、ちらついた。

 ……あれ、吹奏楽部の敦。あの娘と付き合ってたんだ……

 敦は同じクラスの由美と一緒だった、付き合っているという情報は今の所なかった。2人は恥ずかしそうではあったが、確実に手をつないでいた。それが2人は「付き合っている」という確固たる証拠だった。まあそこまで仲良くもなかったし、一つの情報として俺の記憶に置いておいた。

 しかし、次の瞬間、突然俺の足が止まった。眼が凍り付いた。そのまま心臓がえぐられるような錯覚に陥った。


 ……うそだろ? ……


 俺の目には驚愕の光景が飛び込んできた。





 

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