第40話 『オレは、』

 巨人の死体から溢れ出る、真っ黒な血液、そして妖力。

 ソレが白雪の作り出す氷の壁に堰き止められる光景をバックに、澄人は地面へ着地した。

 着地というにはお世辞にも不恰好すぎる。澄人は足裏でなんとか勢いを殺すと、地面にゴロゴロと転がり込む。

 同時に、大の字に四肢を投げた。上がる息、妖力の使い過ぎからくる疲労。満身創痍と言っても良いほどだ。けれど、それ以上に澄人の心を満たすのは達成感。


「でもッ、まだ」


 言って、立ち上がる。

 まだやることが残っている。やるべきことが残っている。

 立ち上がり、未だフラつく視界に映るのはアインの姿。


 妖怪憎しと声を上げ、澄人に突っかかる、アイン・ヴァームレスの姿だ。

 アインは澄人を待ち受けていたように、そこに佇んでいる。


「アイン。まだ、妖怪は憎いだとか、殺すべきとか言うつもりなのかよ」

「……ああ。まだ言う。オレは、全ての妖怪を葬らなければいけない」


 アインの意思は変わらない。揺らぐことはない。

 未だ妖怪は憎きモノだと。半妖も、妖怪も死ぬべきだと────真っ直ぐすぎるほどに、言った。


 なら、やることは変わらない。澄人はただ、


「そうか。なら、まずは俺を殺してからにしろ」


 真っ直ぐに、ぶつかってやるだけだ。

 変化した右腕をそのままに。滾る妖力をそのままに────澄人は地面を蹴り飛ばし、コンクリートを抉りながら、アインへと接近。

 同時に拳を振り抜いた。拳は見事にアインの体を貫き、数メートルほど吹き飛んだアインは地面に踞る。


「数時間前のリベンジだ畜生。俺は────この妖怪おれは、簡単には殺されてやらない。こんな重い一撃をぶっ放す俺だって、妖怪の中じゃ底辺中の底辺だぞ。俺を殺せないやつに、全部の妖怪を殺すなんてできてたまるか」


 唾を吐き捨て立ち上がるアインに、澄人は再び歩み寄り、もう一発。今度はアインも受ける覚悟が出来ていたのか、その場になんとか踏み止まる────が、そんなのは澄人が許さない。

 拳を振り抜いた勢いを殺さず、もう一発。今度は左の肘で頭を上からぶっ叩き、アインは思わず膝をついた。


 握る拳は固く。視線はアインの目に突き刺し、フラつく足取りに鞭を打ちながら。


「だいたいテメェはなんで妖怪を殺したいとか、全部が憎いとか、死ぬべきだとか……盲目に呪詛吐き出しながらここまできた? テメェには動機が足らなすぎんだよ。それじゃあガキの駄々と変わらねぇ」


『何でアインがあそこまで妖怪を憎んでるのか、知ってるか?』

『いや……知らない、っす。一回も教えてくれたことなくて……』


 ここに来る前の冬香とうかとの会話だ。

 冬香はアインのことを一番に思ってくれている仲間のはずだ。冬香は、アインのことを一心に思っている。でなければ、助けて欲しいなどと……自分の班のライバルに、頼むことなんてないだろうに。


 そんな冬香ですら、アインの動機を知らない。何故妖怪を憎んでいるのか知らない。


「テメェは不器用すぎるんだよ……妖怪が憎いって叫びながら歩いて来りゃあ、どうにかなるとでも思ってきたのか、お前は」


 静かな澄人の言葉に、アインは拳だけで応える。

 拳は澄人の腹にねじり込まれ、意識が一瞬途切れた。

 がしかし、必死に手繰り寄せ、ここで負けてなるものか、と。歯を食いしばり、その右腕を引っ掴み、額に頭突きを食らわせてやる。


「オレ、は」


 ◇◆◇


 アイツの言葉が体中に響く。アイツの打撃が体中に響く。

 重い。言葉も、拳も、視線も。

 その言葉には実体験が込められ、その拳には気持ちが込められ、その視線には受け止めきれないほどの感情が込められている。

 重い言葉が体にねじり込まれるその度に、自分を繋ぎとめておいた何かが剥がれ落ちていく。緩んでなるものかと強く締め付けていた気が、緩んでいく。脳裏に火花が散る。思考が、覚束ない。


 ────オレは、何のために戦っていたのか。


 話していないんじゃない。話せなかったんだ。

 オレは何かを志してからずっと、ただひたすらに訓練を続けてきた。妖怪を殺す、その日のために。祓魔師として断罪を下す、その日のために。


 けれど努力は、その日々は、同時に動機を蝕んで行った。

 殺意は、敵意は、怒りは……動機を徐々に蝕んで行った。


 大事な何かが欠けてしまった。その欠けてしまった事実でさえ、今日になってやっと気づくだなんて。


 なんという愚かさ。一度心が折れないと、その根元が見れないなど。周りを見る余裕すらないなど────。


 気づけばオレは、独りで走っているだけだったんじゃないか。


 目の前に星が飛ぶ。痛みが走る。また、重く、鋭い痛みが。

 脳裏を、思考を、心を、記憶を、その全てを刺激するような酷く重い一撃。


「テメェは不器用すぎるんだよ……妖怪が憎いって叫びながら歩いて来りゃあ、どうにかなるとでも思ってきたのか、お前」


 そしてオレを思う、まっすぐな言葉。

 ……ああ、またこの視線だ。心の奥底まで入り込んでくるような、本気で他人のことを思っている視線。


 オレだって、最初はこんな奴になりたかったはずだ。

 本気で誰かのことを思い、誰かのために拳を振るい、誰かのために涙して、誰かのために怒れるようなヤツに。

 正義の味方に。ヒーローに。


『ボクおっきくなったらヒーローになって、パパとママを守ってあげるんだから!』


 そんな純粋な夢が、変わってしまったのはいつからだったか。


『そうねぇ……でも祓魔師のパパとママを守るって、相当大変な話よ?』

『できるもーん!』

『アインにできるかなぁ』

『できるって! きっと、パパとママよりすごい祓魔師になって────』


 正義の味方に。誰も彼もを守るヤツに。お父さんとお母さんを、守れるような祓魔師に。

 そう思っていたのに、ここまで殺意に囚われてしまったのは、何故だったか。


 崩れていく。繋ぎとめていた何かが崩れていく。溶け落ちていく。


 必死に塗り固めていた何かが。見ないようにしていた何かが、露見していく。


 鼻腔を突く血の匂い。幼い自分でもわかるほどの、明確な地獄だった。

 涙も出なかったことを覚えている。突然のことすぎて、理解が追いつかなかったことを覚えている。


『あら、ボウヤ』


 そしてそんな地獄に立っていたのは、自分の家だったはずの場所に立っていたのは、憎きその姿。


 吸血鬼と名乗る、妖怪の姿。


「オレは、」


 そうだ。そうだった。やっと思い出した。


「オレは、親を妖怪に殺された……だからオレは、妖怪を憎んで……ッ!!」


 ◇◆◇


「オレの両親は、優秀な祓魔師だった。……確かある事件を追っている途中の話だったと思う。その追っていた妖怪────吸血鬼に、実家を襲撃されて、無残に殺された」


 アインが歯を食いしばり、涙を流しながら吐き出していく。

 ようやく思い出した、と。澄人と同様、拳を強く握りしめながら。


「オレが生きているのは、ここで殺さない方が面白いから……だなんて、ふざけた理由で。そうだ、オレはアイツに生かされた。目の前で両親を殺されて、面白いからだなんて理由で、弄ばれるように生きながらえた」


 アインの殺意の、怒りのその根底に眠っていたのは復讐心だった。

 人間の感情で、おそらく一番強いであろうそれ。復讐心は、死にかけた体も、折れかけた心も突き動かす。

 けれど、


「復讐心か。なら、なおさら皆殺しにするとかふざけたこと抜かすのは違うだろ」


 ならなおさら、澄人はアインのその心を、行動を、許せない。


「……違う?」

「ああ、違う。怒りに任せて全員殺すってのは、絶対に違う。お前、両親が祓魔師だったんなら一度は思ったはずだろ」

「何を……」


 また、言葉がアインの心を殴りつける。

 体ではなく、心を。


「親御さんみたいな、立派な祓魔師になりたいって」


 アインは、何も返せない。

 奥歯を噛み締め、澄人の言葉に耳を傾け。ただ静かに、項垂れるしかない。


「怒りに任せてみんな殺すってのは祓魔師の仕事じゃねぇ。殺人鬼の所業だろ。おまえがやるべきことじゃあない」


 項垂れるアインに澄人は歩み寄り、思わず苦笑。それから、

「……祓魔師の、仕事じゃ、ない」

「だってそうだろ? アンタの親御さんは、そんな無闇矢鱈に妖怪殺したりしてたかよ」

 やんわりと、その頭を小突いた。


 両親を殺された。だから、妖怪が憎い。

 その気持ちはわかる。そんなやつは、この世界に……このご時世に数えきれない数存在する。けれど、


「なにより、おまえみたいな強いヤツが殺人鬼になるってのはもったいねぇ。それに相手すんのもめんどくさいしな」


 勿体無い。誰かのために全力で努力を積んで、ここまで上り詰められるヤツが────ただ、怒りに任せてその力を振るうのは勿体無い、と。


「……少し、考える時間をくれ」

「おう、そりゃほーだ。ずっと抱えてきた思いがぶっ飛ばされて、こんな何も知らねーようなヤツに色々言われたんだからな。考える時間も必要だろうさ」


 誰かのために行動できるヤツが悪者になるだなんて、道を踏み外すだなんてそんなのは嘘だ。

 そんなこと、あってたまらない。その力は怒りじゃなく、正しいことのために振るわれるべきだ、と。


「考えて考えて、悩みまくった結果、まだ妖怪全員を殺すべきだって言うんなら────その時は、俺が相手になる。絶対に、おまえをそうさせない」


 だから、澄人は拳を握る。

 過ちを犯す人間が少なくていいように。誰かのために、拳を振るう。

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