第39話 『おまえがいるなら』

 体が震えて動いてくれない。

 怖かった。恐怖していた。オレは目の前の地獄を受け入れず、ただただ地獄を眺めていることしかできなかった。

 膝をつく。歩けない。

 頭を抱える。見たくない。

 顔を上げれば、目の前には地獄と、それを作り出す巨人の姿があった。

 ダメだ、心の何か大切なものが砕けてしまった。何か大事だった、、ものが欠けてしまった。

 戦意が削がれていく。身体が戦うことを、歩むことをやめてしまった。

 もう、立ち上がれない。

 なのに、


「手早く片付けてやるから覚悟して待ってろ!!」


 あいつは、化音澄人は、臆することなく飛び込んで行った。

 頼りの退魔刀を携えることなく、その身ひとつで。

 何故あいつが動けてオレが動けない。

 何故半妖アイツが動けて、オレが動けないんだ。


「…………ごけ」


 湧き上がる怒りはその身を焦がす。

 怒りだけが身体の動力源だった。震えていた奥歯を噛み締め、力が入らない足に鞭を打つ。


「う、ごけ」


 殺意だけが今のアインの全てだった。

 何故殺すべきアイツより、オレの方が劣っているのか。


「動け!!!」


 思考を染めるのは答えを求める声だった。

 自分に足りないもの。アイツにあって、自分にないものを知りたいと言う声だった。

 自分だって成果を挙げなくちゃいけない。ここに我あり、と声高らかに叫ばねばならない。目的は忘れた。しかしそれだけは心に刻まれ、離れてくれない。


 走り出す。答えを求めて、澄人の背中を、追いかけるように。


 ◇◆◇


「ず、ぇ、ぁ────!!」

 地を蹴る。拳を振るう。

 ヤツに近づくたび狂気に襲われ、胸の奥がひどくざわつく。

 手早く片付けないと何かがおかしくなる予感が澄人にはあった。目の前で小蝿を払うが如く暴れまわる巨人は、こんなところにいてはいけないものだと。

「やば、」

 思考に気を取られ、すぐ間近にまで迫る拳に気づかなかった。

 拳は澄人を捉えると強く振り下ろされ、身体が地を跳ねるように遠くまで飛ばされる。

 全身が悲鳴をあげながらも、必死に受け身を取り、勢いを殺す。

 殺しきれない。回る視界が気持ち悪い。吐き気を覚えたところで背中がビルにぶち当たり、その勢いが完全に消えた。


 ……痛い、痛い、痛い。

 殺してやろうか。あんなヤツ。


 過ぎる思考は殺意のソレ。澄人の本能とは違う何かが煮えたぎり、澄人の動向が獣のソレのように細まっていく。


 ────そうだ、もっと。もっとだ。恐怖で殺さず、この力に身を委ねればいい。

 そうすればきっと気持ちよくなれる。暗殺事案あの時のように、もっと、もっと、きっと。


「澄人くん!!」


 声がした。自分の名前を呼ぶ、聞き慣れた声が。

 怪しく揺らめく思考は正常に。未だ霞む思考を叩き戻すために地面に頭を叩きつけ、澄人は声のした方へと視線を巡らせた。

「……天音、白雪」

 なにやら表情を歪めながら駆け寄ってくる仲間。二人がこんな形相を浮かべるなんて、相当ひどい顔をしているらしい。

 額に触れてやると血の生暖かい感覚。奥歯は噛み締めすぎて、少し力を入れるたびにミシミシと嫌な音を立てていた。

 あの巨人は何かおかしい。近寄れば近寄るほど心がざわつき、異常なまでに殺意が芽生える。


 ────殺してやる。


 そんな物騒なことをこれ程までに考えたことは澄人にはない。ついさっきまで湧いていた胸の中の殺意に、ほんの少し寒気がした。

 のろのろと立ち上がってやると、天音と白雪が肩を貸してくれる。

 ついで、天音は焦ったような口調で、

「避難終わりました……平気ですか、澄人くん? すごい勢いで飛んでくのが見えましたが……」

「大丈夫大丈夫、『変化』使ってなかったらマズかったけどな。今の強度ならそうそうなことがねぇと死なねーよ」

 眉をひそめながらの天音の一言に、いつの間にか人間のソレに戻ってしまった右手を見やり、歯を剥いて笑ってやる。

 しかし状況は絶望的だった。ヤツを倒すためには接近しなくてはならない────加えて、アレを倒すためにはかなりの量の攻撃を加えなくてはならないだろう。

 アレに長時間近づくのは危険だ。一瞬で、カタをつけなくては。

「……なら、アタシが『始祖還り』使えば」

 澄人の思考が口から漏れていたのか、白雪が巨人を睨みつけながら言った。

 既に白雪の周りには冷たさを纏った妖力が漂っており、何やら気が立っているように見える。

「待った待った、早まるな白雪。アレはどうもおかしい……あいつの近くにいると心がざわつくって言ってるだろ? こんな状況で『始祖還り』を使えば、正常に戻れる保証なんてなねぇ。もし持ってかれて、、、、、、妖魔になっちまったらどうするんだよ」

「ぅ……それ、は」

 言い負かされ、口ごもる白雪。

 確かに白雪の力は強力だ。しかし、半妖だなんてただでさえ不安定な存在────なら、その力を存分に発揮するためには、万全の状態でなければならない。

 簡単にいうなら万事休す、というところだろうか。

 しかしそんな状況を、


「なんだ、怯んで動けもしないか。学年戦績第一位が聞いて呆れるな」


 変えてやる、と言わんばかりの声がした。

 振り返れば、そこにいるのはアイン・ヴァームレス。

 いつも通りの気の強そうな表情を浮かべた、二年第三班のリーダーであった。

 あの怯えていた様子は嘘みたいに消えていて、澄人を小馬鹿にしたような────


「……あ」


 ────いや、違う。必死に恐怖を抑え込んでいる。

 この場にいる全員が抱えている違和感。アレ、、が放つ妖力は異常だ。普通のものではない。

 煽られた恐怖。一度折られた心────その全てを支えて、アイン・ヴァームレスはここにいる。

 なら、その言葉を悪ふざけに流すことなんてできるだろうか。

 支えてるものが、たとえ自分に対しての殺意と、怒りだったとしても。

「……そうだ、俺たちじゃどうにもできない。アンタならどうする、優等系のアインさんよ?」

「聞き方がいちいちムカつくやつだ。……そうだな、オレなら……『生き物はだいたい頭を吹き飛ばせば死ぬ』理論を採用し、全力で叩き斬るか吹き飛ばす」

「奇遇だな。俺もそうしようと思ってたところだ」

「脳みそ筋肉な連中しかいないんですかここは……!?」

 アインと澄人のやりとりに、思わず天音が声を上げるという一幕だ。

 しかし決して悪ふざけをしているわけではない。二人の先程の会話は全て本気だ。

 頭にひとつ、ぐりん、と不気味に蠢いている瞳。そこからは澄人達が不快だと語る妖力が溢れ出ていて、その源がそこだと自ずと語っている。

 となれば、目を壊せば────頭を吹き飛ばせばどうにかなる、と考えるのは道理であろう。

 道理、ではある。しかしどうすればいいのか、何をすればいいのかわかったとしてもそこに至るまでの手段が足りない。

「……俺たちだけじゃどうにもならねぇ。アイン、協力してもらえねーかな?」

 故に、澄人は頭を下げる。小さくとも、誠意を込めて。

 白雪と天音は口をつぐみ、その光景をただただ見守る。静寂と異様な妖力が漂う中アインは、


「いいだろう、乗ってやる。貴様が言っていた〝アレを倒した次〟に、オレがどうなるのか興味深いところだしな」


 いつものバカにした笑みを浮かべながら、頷いた。


 ◇◆◇


「じゃあ、打ち合わせ通りに!」

「了解!」

 叫んだ澄人の声。それに反応するように、何故か動きを停止していた巨人が、その巨大すぎる足を動かし、行動を再開する。

「もう好きには────させないから!!」

 そして白雪の、澄人に負けぬほどの叫び。

 同時に白雪の髪にメッシュが入る。黒い髪で覆われた頭に、一本の線が入るように。真っ白く、一部だけが変色したのだ。

 漂うのは冷気。白雪の半径三メートル余りの地面が凍結し、その力の本領を発揮する。

 妖力を半分程解放した、妖怪の力のひとつ────『変化』だ。

 澄人と比べて見た目こそは地味だが、その力は同等────場合によっては、澄人の遥か上を行く。


 ソレは多数の敵に対する足止め。

 ソレは多数の敵に対する有効打。

 そして、


「そ、りゃ、あああああ!!」


 また大きな敵に対して今回も、その大いに力を振るえる場面のひとつであった。

 澄人は一点集中型の強力な一撃。しかし制御が効かず力加減もとてもと言うほどではないが不可能であり、連打もあまり得意ではない。多数に対する対策はほぼ皆無に近いと言える。校長暗殺事案の時の、シェルターでの出来事がいい例だ。同時に、制御が効かない故に狙いも付けづらく、なかなか自由が効かない。そこで、


「動かないでね……もうこれ以上、壊されても困るし────!!」


 白雪の能力がミソになって来る。

 白雪の妖力操作の才能と、『氷』という単純な強さ、強度。

 澄人の狙いがつかないのならば、相手の足を止めて仕舞えばいい、、、、、、、、、、、、、、。思いついてはいたものの、天音の能力では補いきれなかった作戦のひとつだった。


 大きく振るわれる両手。従うように視界に映る地面の全てが凍りつき、そして巨人の足元には氷柱が突き立つ。氷柱は巨人二体、両方の腕を突き刺し、先端は逃さないと言わんばかりに十字架へと変形し、引き抜こうとする巨人の動きを止めた。


「▂▅▇▇▇█▂▇▂!!」


 叫びをあげる巨人。だが、白雪はこれだけでは止まらない。


「まだ、足が自由だよね?」


 振るった両手を握り、強く開き、そして振り上げる。

 地面を凍りつかせたソレが立ち上り、巨人の足に絡みつき、そして────足と地面を文字通り縫い付けた。

 地に溢れかえる不快な妖力と、鮮血。しかしそれは白雪の作り上げた氷の壁によってせき止められ、澄人達に届くことはない。

 鼓膜を揺さぶるのは二体の巨人の断末魔。一見優勢だ────が、とどめを刺すには至らない。

 氷もヒビが少しずつ入り始め、壊れるのも時間の問題。

 澄人の一撃も、とどめには、致命傷には至らない。なら────


「澄人、アインくん、天音ちゃん!!」

「わかってらァ!!」


 ────その一撃を、限界まで強化すればいい。それが、アインの提案した作戦であった。


 魔術の基本。脆く、弱く、儚い人間達が妖怪と同等に殴り合うための基礎中の基礎魔術、『強化』。

 それは魔力を対象に流し込むことで成立するものだ。しかしこれはあくまで戦闘中に行うものではなく、戦闘の準備段階で行うもの。

 故に時間がかかり、あまり褒められた作戦ではない。


 だが。


「頼んだぞ化音澄人。ここで貴様が外せば全てがお釈迦だ」

「そうですよ澄人くん。全てが、澄人くんにかかっています」

「おまえら俺にプレッシャーかけるのやめない!?」


 ひとりでダメなら、二人なら。

 アインと、天音がいるのなら。やれないことはない、と。

 澄人は『変化』した右手を握りしめ、固唾を吞み下す。


「……まぁ、今回もなんだかんだで大丈夫だろ。こんな絶好の場面で、失敗するほど俺はバカじゃない」

「……フッ」

「鼻で笑いやがったなおまえ!? 覚えておけよ!!」


 軽口を飛ばし合いながら、前を睨みつけて。

 呼吸を整え、跳んだ。


 過ぎ去っていく視界はいつもの数十倍早く、顔にかかる風圧も冗談にならない。

 視界が霞む。口が開く。同時に嫌な妖気が体に触れて、心が折れそうになる。

 不快感。緊張、全てを振り払って、拳を握りしめて、


「らぁぁ、ぁぁぁぁぁ!!」


 一発。拳は巨人の一体、その目を殴り飛ばし、断末魔が止んだ。

 しかしここでは止まれない。あと、もう一体。


 殺し切れない勢いを乗せて、巨人の遺体……その腕を握り、手繰り寄せ、力技で方向を転換。向かう先は、もう一体の巨人の頭部だ。


「ラス、と、ぉぉぉ!!」


 顔に飛び散る返り血も構わず。間近で放たれる咆哮にも気圧されず。ただただ力一杯に、拳を振り抜く。


 拳に返ったのは確かな手応え。鼓膜を揺さぶるのは破裂音。視界に映ったのは確かに巨人が膝を折るその場面であり、



 ようやく、楓町を脅かした脅威が、その機能を停止した。

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