第38話 『瘴気』

 黒煙が上がり、度々響く咆哮。

 そのせいで楓町はちょっとしたパニック状態に陥り、こうして校門前に集まった澄人たちの耳には、絶え間ない人の悲鳴や騒ぎ声とサイレンの音が聞こえてきた。

「……よし、集まったな」

 第一班と第四班、それから澄人達第六班────総勢十四人の生徒が、腰に退魔刀を携えそこに立つ。

 皆不安げな表情を浮かべて居るも、何とか口を一文字に結んで恐怖と不安を何処かに追いやっているのがわかった。

 ……無理もない。奇々怪界魑魅魍魎に馴染みのある楓町でも、ここまでの事態に陥ることはほぼほぼない。

 こんな大事故が起きたのは、楓町設立から初めてと言える。

 加えて、上がる火の手と黒煙────それから、不気味な咆哮。

 それら全ては人の不安と恐怖を煽る。冷静な対処ができないのも無理はない。

 その場の生徒全員が全員戦意を奮い立たせ、澄人の指示を今か今かと待ち望んでいた。

「突然の放送にも関わらず、集まってくれてありがとう。いや、正直誰も集まってくんねーと思ってたんだけど」

 自然、吐露される弱音。

 本心だった。正直、信用やカリスマ、指導力なんてものは自分にはないと思っている。


 澄人自分は、半妖である。


 全校に知れ渡った事実だ。半妖というのは差別の象徴────そんな自分の言葉に、誰もついて着てくれる人はいないと思っていたのに。

「いや、なんでさ。今んとこウチで1番頑張ってるの、おまえみたいなもんだろ?」

「そうよ。私真岸先生に聞いたよ? この前火事が起きた時、真っ先に澄人くんが飛び込んで行ったとか」

「暗殺事案の時も1番最初に動いてたしね」

「この前猫探しにも必死になってたし、おばあさんの荷物運びだって頼まれてもないのに手伝ってたし」

 次々と上がる声。

 その声全ては澄人を批判するものではなく、むしろその逆で。

 澄人についていかない意味がない、とでも言いたげな声の数々だった。

「………………」

 思わず目を見開き、黙り込む澄人。

 コツコツと、誰にもみられてないだろうと思いながら積み重ねて着たこと。

 一度たりとも見返りなんて求めたことはない。けれど、


「い、いや……」


 実り始めている。澄人の行動の全てが、ようやく。ゆっくりと、ゆっくりと。

 恥ずかしい。何故こんなまっすぐに褒められているのだろうか。

 確かに一度、戦果を残せば信用なんてものは後からついてくるものだ、と考えたことはある。

 そんなのは当分後の話だと思っていた。不意打ちすぎて、流石に反応に困る。

「良かったですね、澄人くん」

「よかったねー」

 数々の努力を、積み重ねを知っている二人が微笑みかけてくる。

 全員の信頼の視線が突き刺さる。


 ────ああ、期待されている。なら。


 調子に乗りすぎず、しっかりと。

「よし、じゃあ────行くぞおまえら!!」

 引っ張って、今回も戦果を残して。もっと信頼を築いていこう。


 ◇◆◇


 何かが燃える臭い。漂う、狂おしいほどの妖力。

 頰を撫ぜる妖力ソレは、クスリを使った時の症状によく似ていた。

 禍々しい、悪意を持った妖力。しかしあれは紫色に発色しているものだが、今回のソレは真っ黒で。

 同じようで、別物────クスリの妖力より、はるかに危険な狂気。

 あまり吸い込みたくないと思わせられる。学校より配布されている『妖力酔い』防止のバンダナを口周りに巻きつけて、走るペースを上げた。


 嫌な予感がする。


 焦燥が胸を焼き焦がす。まるで、自分の想像なんてものは生易しく、それ以上の地獄が待ち受けていると本能が叫んでいるような。

 しかし今更引き返すことは許されない。楓町中央街道まで、あと数メートル────


「おい、あれ……」


 そこまで、たどり着いて、


「なんだよ、あれ────」


 ありえない、ものを見た。

 声につられて天を仰ぐ。地にはのっそり立ち上がる、何かの大きな影が覆いかぶさっていた。

 しゃがんでいたのか。ビルの陰に隠れて見えなかったそれが、ゆっくり、ゆっくりと姿をあらわす。


 人型の、ナニカ。


 本来二つあるはずの眼球は顔の中央にでかでかと、真っ赤な丸がひとつ。ぎょろぎょろと忙しなく動き、地を這う人間たちを追っているあたり、視覚はあるのだろう。

 目のすぐ下には大きな口。三日月型に笑顔に歪められた口には、たくさんの人間から吹き出た血液が付着していた。

 たくさんの人間から吹き出た血液が、口に────


「おいあいつ、いま人を喰って────」


 捕食している。人が豚をそうするように、ソレは人を指でつまみながら口の中に放り込んでいる。

 身体にまとっているのは異常なまでもの瘴気。放っているのは異常なまでもの殺気。


 こいつは、捕食するために人間たちを殺しているのではない。


 殺すために、その過程で捕食を選んでいるだけだ。


 生物の摂理に従うわけでなく、ただただ自分の快楽のために人を殺している。


 二体の、佇む大きな影。

 そのうちの一体が、またひとり口に放り込もうと、大きな手を地に伸ばした。

「おいおいおい、待てって────」

 澄人の口は焦りに回る。

 トロすぎる程の動きではあるがその指先は、地に佇む人間のひとりに伸びている。

 そしてその対象は、すごく見覚えのある顔で。


「アイン────!!!」


 その顔は、アインは、アインの表情は、酷い絶望に歪んでいた。

 ムカつくはずの自分の声にも反応しない。アイツなら避けきれるはずなのに、それすらしようとしない。

 むしろ、現実が見えていないようだった。

「クソ、もう────とりあえず全員住民の避難を優先!! 学校に近い側の連中は学校へ、避難シェルターに近い連中は避難シェルターに誘導しろ!! 俺は……ッ」

 叫び、指示を飛ばしながら妖力を呼び覚ます。

 湧き上がる戦意。いつも以上に主張する殺気を押し殺し、息を長く吐き出して、強く拳を握りしめた。


 足は動く。手も動く。声は震えているがそんなの我慢できる範囲だ。

 動かないなんて選択肢はありえない。ここで手を伸ばさずに逃げ帰ったら後で絶対後悔する。

 本場の祓魔師が来るまでの時間稼ぎだなんて考えは捨てろ。自分が差し伸べられる手は出し惜しむな。なら、答えはひとつ────


「俺はアイツをぶん殴る!!」


 跳んだ。


 肥大した右腕を構え、振りかぶり、風を受けながら跳ぶ。

 ぐんぐんと縮まっていく距離。巨人の指先はアインの頭に触れかけて、


「ら、ぁ、ぁ、ああああああああ!!」


 吹き飛んだ。

 殺意、敵意、妖力チカラ────全てを込めた本気の一撃。

 しかしそれを受けても巨人の腕は吹き飛ぶだけで、それ以上のダメージは受けていない。むしろ殴りつけた自分の腕の方が痛いとはどういう了見だ。

「おいこらアイン、目ェ覚ましやがれ!!」

「オレ、は────」

 虚ろな声だ。澄人の声に応えるアインは弱々しく、声と同様に目も、視線も虚ろで。

 何処を見つめているかわからない。ステージの上であれ程澄人を殴りつけていた者と同じ人間とは思えなかった。

「何を震えてやがるアイン、ビビってんじゃねえ!」

「オレは、オレは……」

「俺は、何だ!! 聞こえねぇよ!!」

「オレはいったい、何のために……」

 壊れてしまっていた。限度を超えたストレスが原因か、はたまた。

 ここまできてしまったか、と澄人は奥歯を噛みしめる。どうにかアインの話を聞いて、もっと早い段階でこちら側に連れ帰っておくべきだった。

 誰にも自分の意思を、想いを、悩みを吐き出すことをせず────ただただまっすぐに歩み続けた結果が、これだ。

「……少し待ってろアイン。アレを倒した後は次はお前だ」

 アインを殴ってでも正気に戻さなければならない。けれど、まず最初はあいつらの方だ。


「手早く片付けてやるから覚悟して待ってろ!!」


 叫び、澄人は駆け出す。

『退魔刀』を腰に提げることもなく、自分の拳ひとつで。

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