第36話 『まっくろな』

 空には大きなヒビ。

 音を立てて現れたのは、禍々しい、漆黒のナニカだった。

 ビルよりも高い全長。大木よりも太い両腕。

 頭部からは角を生やし、顏────と思われる────部位には赤い円がひとつ。

 見るものは全てこう語る。


『あの目を一度見てしまえば、呑まれるかもしれないという恐怖に押しつぶされる』と。


 魑魅魍魎奇々怪界の部類に慣れた楓町の人間ですら、恐怖する。

 アレは妖怪では無い。人間でも無い。別の、人妖われわれを滅ぼすナニカだと。

 ソレが、二体。ただただ佇み、道を塞いでいる。

 その場では誰も発言権を得られない。黙り込み、その巨人を見つめることしかできない。


「▃▄▄▟▞▟▜▞▂▇█!!」


 吠えた。

 目のすぐ下に、大きな口を開き。

 粘っこい唾液を撒き散らしながら、吠えた。

 鼓膜を破らんばかりの咆哮。地面が揺れるほどの声量。

 言葉とも悲鳴とも取れないその声を聞いて、人妖われわれはようやく叫ぶことを、泣くことを、命乞いをすることを許された。


「や、だぁ……!! 助けて、助けて!!!」


 最初に叫んだのは非力な女性。四つん這いになりながらも、その巨人から逃げるように、背を向けて駆けていく。


 無慈悲な巨人は笑うことなく。哀れむこともなく。

 ただただ静かに、無表情に。その女性の足を叩き潰すと、頭を引っ掴んで自分の口に放り込んだ。


 ◇◆◇


「謎の巨大生命物体……!?」

 声をあげながら澄人は勢いよく身体を起こし、視線を外に向ける。

 同時に天音も椅子から立ち上がって、澄人と同じく窓の外に視線を向けていた。

 窓の外から見えるのはいつもの町並み。そして、


 大きな爆発音と共に、立ち上る黒煙。


 ナニモノかわからぬ咆哮が響き、校舎内でのパニックが増した。

「クッソ、どうする……いやまずここから出ないぶんには何もできねぇ!」

「そうですね、とりあえず保健室から出て先生の指示を仰ぎましょう」

 言って、保健室の扉を開く。そこで待ち受けていたのは人の波だった。

 パニックになった人妖が学校の出口へと逃げ惑い、それが波となって学校の生徒までも飲み込んでいる。

 恐らく行先は────避難シェルター。

「よく訓練されてるのは感心だけどこっから避難シェルターっつったら中央街道通らなきゃだろ……かえってあぶねえ」

 何かあったら避難シェルター。月に一度の避難訓練のおかげでソレは習慣付いていて、ある意味感心する。

 しかし今はそれが最適ではないと判断する心すらない。焦燥感のみが胸を支配し、身体を突き動かしているようなものだろう。

「落ち着いて、落ち着いてください皆さん!」

 変わらず保健室の入り口から叫んでも、聴いてくれるモノはいない。

 歯がゆさに思わず奥歯を噛み締めながら、必死に思考を回していく。


 何かないか、何かないか、何か。


『お、落ち着いてください、みなさーん! みなさーーーん!!』


 回す思考を遮るのは、最近で急激に見知った声。

 焦りの色を帯びているが、確かに放送委員長の涼子の声だ。

「……これだ! 天音、おまえ小島の連絡先持ってるか?」

「え……はい、無理やり交換させられた電話番号が……」

「よし、そしたらコールしたら俺にケータイ渡してくれ!」

 急な澄人の指示にも天音は頷き、番号を打ち込むと澄人にケータイを投げ渡す。

 乾いた音を立てながら受け取るとケータイを耳に当て、駆け出す澄人。方向は廊下と真逆の窓だ。

 その窓の外には校舎の影。ちょうど誰も寄り付かない、出店も何もないそこだ。

 窓を開き、跳ぶ。校舎裏に出たのと同時に、電話のスピーカーの向こう側からも騒音が聞こえ始めた。

『も、もしもし天音ちゃん!?』

「おまえ素だと「選手」呼びじゃなくて「ちゃん」呼びなのな、キャラ立ってていいじゃねぇか」

『はぁ!? す、澄人……選手!? いったいどーしたんですかいきなり!』

「いいから今から俺の言うことをよく聞いて欲しい。俺が今からでっかい合図起こすから、身構えておけ! 多分一瞬静かになるだろうからその隙に指示を放送で出すように!」

『いや、何を言ってるかわからな────』

 涼子の言葉を無視して電話を切る。同時にソレをポケットに押し込むと、内に眠る────もうひとつの血に心を落とした。

 体の半分以上を占めている、今は眠るソレに呼びかける。

 目覚めの時を。暴れさせてやるから早く起きやがれ、と。叩き起こすように。


 ────『変化』


 澄人の右腕が肥大する。獣の腕のソレにみるみる『変化』し、膨大な妖力を吐き出す。


 そして妖力で強化された脚力を駆使し、跳んだ。


 校舎を追い越すほどの跳躍。膨れ上がった右腕を振り下ろし、落下の勢いを加速させ、叩きつける。


 地面に触れた瞬間、起きたのは巨大な衝撃波。校舎を崩さないようにと加減したものの、立っている人間全員の足が浮くほどの衝撃波だ。

 遅れて、鼓膜を破るほどの爆発音。澄人が叩きつけた地面はひび割れ、砂煙が舞った。


 あまりにも膨大な衝撃に、あたりが一斉に静まる。そこへ、


『お、おおおおおおお落ち着いてくださーい! この校舎内にいる間は、育成学校の生徒が身体を張ってお守りすることを約束します! 避難シェルターは中央街道を通らねばならんでござるので、余計に危険です!! その場で立ち止まって────』


 響く放送。涼子の上ずった声。

 ……いや、おまえが落ち着けと言いたいのはさておいて。

 同時に辺りは落ち着きを取り戻し、人の波も流れを止める。肩越しにそれを確認してホッと胸をなでおろしていると、澄人の視界に怒りの形相が垣間見えた。というか天音だった。

「……………………澄人くん、何してるんですか? なんで地面ひび割れてるんですか? なんでですか???」

「いやこれしか手が思いつかなくてね?! ガス爆発とかそんなことで処理できねーかなぁぁぁって」

「できませんよ何言ってるんですか馬鹿ですか?」

 引きつった笑みで窓枠を乗り越え、澄人にジリジリと歩み寄る天音。げんこつひとつでも食らいそうな迫力に思わず澄人はケータイを投げ渡し、


「ごめんなさいでした!!!」


 土下座。それはそれは見事な。

 ……しかし『変化』した右腕はそのままで、ほんの少し不恰好である。

「……なーにやってんすかこんな非常事態に。夫婦漫才っすか」

 そしてそんな澄人に降り注ぐ冷めた声。

 顔を上げると腰に手を当て、やれやれとでもいいだけに見下ろしているひとりの影。


「板花……秋香」

「いやぁおっしいなぁ季節あと一歩なんすけどねぇ……冬香っすよ冬香!!」


 板花冬香であった。

 恒例となりつつある名前ボケにいつも通り叫び倒しながら、大きくため息を吐く。

 が、すぐにそんな表情も強張り、


「違う、違うんすよ! そんな場合じゃなくて……まだ誰もあっちに向かってないのに、アイン先輩だけ行っちゃったっぽいんす!!」

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