第33話 『敵対視』

「……十二。それほど投げ飛ばされても、なぜ諦めない? 力の差は歴然だと理解したはずだが」

「いーや、理解してないね。ラッキーパンチって言葉知ってるか?」

「……ハ。それが通用するのは運が関与するゲームだけの話だろう? これは戦いだ。立派ないくさだ。貴様の言う〝ラッキー〟なんてもの、あってたまるか」

 体中が痛む。ミシミシと音を立てるのは背中と腕、それから足。

 そこかしこが悲鳴をあげ、諦めてしまえと弱音を吐いている。しかし澄人は、それに従ってやるわけにはいかない。


「そこまで強かったらこんなに俺のこと痛ぶってて楽しいだろうな……」


 気に入らなかった。

 澄人を見る目。浮かべている表情。それが、見下しているように見えて。

 まるで、自分のことを人間として見ていないような目。

 まるで、自分のことを殺害対象としか見ていないような表情。


「楽しい? 楽しいわけがないだろう。妖怪という悪を駆逐し、根絶やし、力を振るっている時にそんなことは一度も思ったことなどないさ。無論、今回も例外なく、な」


 そして、放たれたアインの言葉に、怒りで視界が赤く染まった。


「……おい、お前。今なんつった」

「聞こえなかったか? 貴様が倒されるべき悪だと言っている」


 握る拳がミシミシと音を立てる。

 爪が刺さった手のひらからは血が流れ、熱に浮かされた頭を冷ましていく。

 落ち着け、落ち着け。口の中で反芻し、長く呼吸を繰り返していく。


「撤回しろ。妖怪はみんながみんな倒すべき悪なんてもんじゃねぇ」

「……ほう? 貴様が激昂するのはそこか。……撤回なぞするつもりは毛頭ない。貴様も、ここにいる全ての妖怪も、一匹、、の例外なく滅ぼすべき悪だ!!」


 跳んだ。

 この分からず屋のムカつく顔に拳を食らわせてやろうと、ぶん殴ってやろうと、思いっきり、加減なしに跳ぶ。

 常人では視認すらできない澄人の跳躍。それを、


「……単純だな。怒りでさらに馬鹿になったか? まださっきまでの方がマシだった」

 軽く拳を撃ち込み、澄人の動きを停止させる。

 拳がめり込むのは腹。大した力も込めず、アインの飛び込む勢いのみが込められた攻撃だ。

 自身の力で加えられた痛みに、澄人は目を見開く。


 意識が、意識が。暗転する視界。


 呼吸がか細い。意識を手繰り寄せてなんとか縋り付き、奥歯を噛み締め、右足を振り上げる。

「困ったら右足の蹴り。始動は右腕のパンチ────」

 弾かれた。攻撃が当たらない。

 読まれている。全てが。どうりで当たらないわけだ。


「あ、ぁ、ぁ、っ、!!」


 次は攻撃を弾かれるだけではない。弾き、空いたスペースへと次々と打撃が襲いかかる。

 意識を削ぐ攻撃の連続。奪われていく気力。

 しかしなんとか意識を手繰り寄せ、寄せ集め、反撃を加える。

 届かない。届かない、届かない。

 数分、ただ打たれるだけの時間が過ぎていく。


 ……いや、数秒だけだったかもしれない。ひたすら打撃を加えられている澄人には、永遠と思われるほどの時間。


 しかしそれも終わりを告げる。

 飽きた、とでも言いたげな蹴り。再び腹を貫くそれによって、血反吐を吐きながら床を跳ねていった。

 ステージの端。奥歯と拳を握りしめ、必死に立ち上がり、何とかアインを睨みつける。

「……何故立つ。もう無駄だろう?」

「撤回しろ、って言ってんだろ……妖怪を殺すべきだとか、全員殺すとか、ふざけたこと言ってんじゃねえ」

「ふざけたことを言ってるのは貴様の方だ。撤回しろ? 事実を言って何が悪い。貴様ら妖怪は悪だ。そも祓魔師とは妖怪を駆逐するための職だろう? その見習いであるオレが、妖怪を殺すと言って何が悪い。妖怪を殺すべきだと主張して何が悪い!」

 言葉とともにぶつけられた拳。

 視界がぐらつく。

 踏ん張った。力が入らない足で、フラつく意識で、何とか踏ん張りまっすぐ立つ。

 視線はそのまま、アインの顔へ。軽蔑の色を含む表情を浮かべた、ムカつく顔へ。それに、


「……これだけされてもまだそんな顔で見るか。何がそこまで貴様をそうさせる?」

「なにが、だと……お前が気に入らねえからだ。ムカつくぜ、自分が一番不幸だって言いたそうな顔しやがって」


 妖怪への呪詛を吐くたび、口元を苦痛に歪めている。そんなアインが、何故か放って置けなかった。

 このまま食い下がれば本音が飛び出すか、そんなことを思っていたのに────


「貴様は、何処までも不快なやつだ」


 更に、怒りに火をつけてしまった。

 表情を怒り一色に染めると、アインは澄人の腹を殴りつける。

「貴様は何がしたい。何が言いたい。何のためにここへきた? 妖怪の貴様が、何故妖怪を駆逐するための育成学校ここへきた!」

「俺は妖怪じゃねえ、半妖だ……それにここは妖怪を駆逐するための連中だとか、そんな物騒なのを育成するための学校じゃない。平和を作るための連中を育成するための学校だろ」

「平和……? 平和だと? 馬鹿馬鹿しい。人と妖怪の間に、本物の平和など訪れるものか!!」

 罵声とともに浴びせられる攻撃。

 フラつく。足元が覚束ない。フラフラと背後に後退して、尻餅をついた。

「だいたい妖怪にも人間にもなれない中途半端な化け物が人間ごっこをするな、気持ちが悪い。見ていて吐き気がする。世界の隅で、大人しく縮こまってればいいものを!!」

 再び振り上がる拳。それを、


「……何でそんなこと言うの」


 ステージに新たに上がった影が、強く握りしめ受け止めた。

 視線を上げれば、澄人の霞む視界に見えたのは白雪だった。

 白雪の口元は歪み、瞳には普段からは予想もできないほどの怒りの色が宿っている。

 低い声音の問いかけに、アインはいつも通り鼻で笑うと、


「仲間のピンチにいそいそと舞台へ上がってきたか。その仲間意識だけは評価してやる」

「その子だけじゃありません。頭にきているのは私もです」


 新たに聞こえる声の主は、天音。

 天音は舞台に上がると、意識を失いかけている澄人の肩を支え、ゆっくりと立たせてやる。

「……で。何故そんなことを言うのか、だったか。何度も言っているだろう? 妖怪きさまらが憎いからだ。何度繰り返させるつもりだ?」

「そういうことを聞いてるんじゃない。アタシは、何でそんなところに至ったのかって言ってるの。そもそもこれ、催し物だよね? ここまでする必要なかったんじゃ……」

 ゆっくりと、白雪は語りかける。

 対話のために。怒りを押し殺し、アインの言葉を聞くために。

 澄人が何も考えずアインにここまで食い下がるとは思わなかった。だから白雪も、話を聞こうと。

 しかしアインには、


「そこまでする必要はない? 何を言っている、宮咲白雪。妖怪とはそこに存在するだけで悪だ。その悪に加減の必要もないし、何故そこまでするのかという問いかけすら意味を成さない。貴様は部屋の隅で害虫を見つければ叩き潰すだろう? それと同じだ」


 対話の意思はない。どんな問いかけに対しても、妖怪は悪だという主張のみが返ってくる。

 アインはステージを見守る観客へと視線を送る。両腕を広げ、声を大にして、澄人たちへの呪詛を吐き始めた。

「コイツは妖怪と人間との平和と謳った。しかしどうだ? 妖怪は────いや、貴様らの言葉を借りてやろう。半妖は、危険極まりない!! 去年の事件を覚えているだろう!!」

 まずは、と言わんばかり。

 アインの指先は澄人に寄り添う天音へと向けられ、アインは再び語り始める。

「第一学生寮の倒壊────ソレは全てコイツ一匹の仕業だ! その体、その拳だけであの建物を倒壊させ、同じ班員を死にまで追いやった!」

 去年の学生寮倒壊事件。その犯人は天音であり、同じ班員を死にまで追いやった────成る程、全て事実である。

 しかしほんの少し語弊がある。現実、天音が学生寮を壊し、同じ班のメンバーは死の境目を彷徨った。だが、あの倒壊事件は全てが全て天音のせいではないし、同じ班だった連中は現実死んでいない。今でも何処かで生きて、平和に暮らしている。

 というのにそれを全てボカした、タチの悪い言い方であった。

「それは……」

「次に記憶に新しい、校長暗殺案件だ」

 天音に弁明の余地はない。次は自分のすぐ側に立つ白雪を睨みつけ、アインは大きく息を吸った。

「こいつはその事件の真犯人────奥里の奴隷であり、校長を手にかけようとした犯人のひとりだ! 人を何人も殺しているんだぞ? そんな奴が、平和なんてもの作れてたまるか!! いつ寝返るかわかったものじゃない」

 白雪にひとつ睨みを利かせ、ため息を吐いて遠ざかっていく。

 最後は澄人であった。今もなお睨みつけてくる澄人に指を突きつけると、


「……一番はお前だ、化音澄人。貴様のような力の制御も効かないヤツがここにいて良いわけがない。わからないのか? 貴様のその力に怯えるものもいる。貴様の力で、制御しきれないその力で、何人の人間を殺した!?」


 澄人の胸ぐらを引っ掴み、アインは瞳を怒りに揺らす。

 息がかかるほどの至近距離。それほど間近で怒りを向けられようと、澄人の表情は揺らがない。

 まっすぐと目を見つめ返し、澄人は口を噤んでいる。


「これだけのことがありながら、お前は平和を守ると言うのか? 平和を築くと言うのか?」

「あぁ」

「たくさんの人を殺しておきながらお前は、それでもなお────」


 今にでも殴りかかりそうなアインの言葉。

 それが、ひとつの殺気に遮られた。


「それ以上澄人に近づくと、流石にアタシも怒るから」


 殺意をまとった濃密な妖気。足元から白く、全てを凍らせる冷気を漂わせながら、静かに白雪はアインを睨みつけた。

 一触即発とはこのことだろう。何かきっかけがあれば、本気で白雪はアインを殺す。周りの目も、何も関係なく。

 しかし、


「やめろ、白雪……それじゃアインの思うツボだろ」

「……ほう。まだ考えるだけの頭は残っていたか」


 そう、それではアインの思うツボ。

 アインは澄人の言葉に意外そうに目を丸めると、胸ぐらから手を離し、白雪を警戒しながらため息を吐く。

「俺たちを執拗に煽って、暴走させんのが狙いか。本当にお前、俺たちのことを殺す気なのな。ついでに妖怪の危険性を見せつけて……って感じか」

「ああ、そうだ。貴様らのような危険なモノ、ここで抱え込んでおくわけにはいかないからな」

 アインの目論見は失敗に終わった。

 しかしアインは満足げに笑い、観客へと視線を向ける。


 ────妖怪の危険性は主張できたはずだ。これで、今回は良しとしよう、と。


 意識を手放し、天音にもたれかかる澄人を背に、歩き出す。


 オレがやらねばならないのだ。オレが、全ての妖怪を駆逐する。

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