第29話 『ジャージ』
「……アイン」
思わず、名前を呼ぶ。サウナから出て来た涼しげな顔、淡い明かりを反射する金髪は、よく見知ったモノだった。
対するアインは悪い目つきで澄人を睨み付け、短くため息を吐いて、
「おいおい、出会い頭にため息は悲しいじゃんかよ。同じ文化祭のグループだろ?」
「文化祭? ……ハ、くだらない。貴様、本気でそんなものに
いつだったか澄人が想像した通りの、皮肉な笑みで言い捨てた。
あの後輩ちゃん────
数秒沈黙が続き、何かアインに言うことがあったような、と首を傾げる澄人。ほんの少しイラつき始めたアインを他所に「ああ、」と手のひらを合わせると、
「校長暗殺案件の後、気ィ失った俺を運んでくれたの、アインなんだってな。ありがとよ」
「────────」
澄人が放った何気ない言葉に、アインの表情が更に顰められた。
「……なんだよ、苦虫噛み潰したような顔して」
「……いや。あれはただの気まぐれだ。今後一切あんなこと、する義理はないからな」
やけに早口に言い残すと、澄人たちの前を去っていくアイン。
何故か追いかけるのも声をかけるのも気が引けて、澄人はその場で小首を傾げるだけに留めた。
「何だあいつ、やけにおまえに噛み付くな?」
「まあ、それはいつも通りなんだけど」
同じく澄人の隣で、小首を傾げる克己。その言葉に頷きつつも、何か澄人は違和感を覚えて。
「なんつーか……放っといちゃいけない気がするんだけど、触れてもいけない気もする」
自分でも上手く言葉にできないまま、とりあえず、と。サウナ室に足を踏み入れた。
◇◆◇
「そういや、アインはどこ行ったんだ?」
「知らねーよ、あんなヤツ。『こんなくだらんことしてる暇はない』ってどっか行きやがった」
「……そうか。なんか最近ヤケに熱心だな、アイツ」
「はー、もう着いて行けねぇぞおれァさ。別の班にでも行ってやろうかな」
「おい、それは言い過ぎだろ」
「だってよーーーー」
文化祭前日。ほとんど準備を終えてやることがなくなり、暇を持て余した連中の話し声が響く教室での会話だ。
ひとりは、ほんの少しのため息を吐いて。もうひとりは呆れ切って、ここにはいないアインを馬鹿にするような口調だ。
「────────」
そしてその会話を、なにも言わずにただただ眺めることしかできない冬香。
視線にはごちゃごちゃと混ざり合った、複雑な感情が────そして胸に蟠るのは不安であり、何を言っても地雷を踏んでしまうような気がして動けずにいた。
第三班も元はいいチームだったはずなのに。どこから、崩れ始めたのか。
ただ独り、周りも見ずに突っ走って行ってしまうリーダー。それもまぁ、可愛いものではある。
しかし限度を超え、度重なってしまえば、それはひどく歪に映ってしまう。
何にそこまで執着するのか。何故そこまで進むのか。
何度質問を投げかけても応えてはくれず、果てには着いてきてくれていたはずの仲間たちは足を止めてしまう。
ため息を吐いても気づかれない。非難の目を向けても振り向いてくれやしない。
いつしかアインと班員の距離は、離れすぎてしまって。
それでもアインは気づくことなく、誰にも相談すらすることなく、ただただ前に進み続ける。
アインの過去に〝何か〟があったことは知っている。話しづらいのだってわかっているつもりだ。
だけど、けれど。少しくらいなら、相談してくれてもいいではないか、と。
────まるで自分たちが、信用されていないようではないか。
歯車は回り出す。
大切なパーツをなくしても、中途半端に噛み合ったままに、カラカラ、カラカラと音を立てて。
静かに、人知れず、空回りを始める。
孤立してしまった歯車もまた────ひとり、歪に、回り続ける。
◇◆◇
「……何やってるんですか、もう。ホント馬鹿ですよね」
「「おっしゃるとーりで……」」
学校指定のジャージを身に纏い、呆れ気味に眉間を抑えながら二人を見下ろす天音の冷たい言葉。
対する見下ろされた二人────イジを張り合って完璧にサウナで逆上せた克己と澄人は、同時に申し訳なさそうにため息を吐いた。
場所は『濡る間湯』の大広間。ジュースや恒例の牛乳類が販売されている自販機と、畳が敷き詰められたくつろぎ空間が売りのスペースで、今も妖怪と人間が分け隔てなくのんびりと寛いでいる。
「……っていうか、ジュース一本だけでこんなになるまで張り合えるってどうなの」
自販機ゾーンから帰ってきた白雪が苦笑交じりに言い、横たわる馬鹿男二人組にスポーツドリンクを差し出す。
軽く手だけで会釈して克己がそれを受け取り、
「わからねぇかなぁ。男の子だからこそ、こういうのに本気になれんのよ。いつまで経っても男の子は馬鹿なの」
「普通にわからないかな。アタシ女の子だし……」
無邪気な笑みを浮かべ、上半身を起こす。
ボトルを開封するとガバガバと中身を飲み干し、ひと息。大して隣に寝転ぶ澄人は何故か、白雪からボトルを受け取るのを渋っていた。
「どしたの、澄人。スポドリ苦手だったっけ?」
「……スポドリじゃのーて牛乳がいい。コーヒーかイチゴ」
「なんて贅沢な……」
澄人の駄々を聞いて冷たい目を向けながらも、なんだかんだで自分用に買ってきたコーヒー牛乳を渡す天音。白雪からスポーツドリンクを受け取るのを眺めながら、何やら克己がにやにやと笑みを浮かべているが天音は見て見ぬ振りを決め込んだ。実に良く似た姉弟である。
「まー、にしても」
天音から受け取ったコーヒー牛乳をひと息に半分ほど飲み干し、けふ、と軽いげっぷ交じりの澄人。瓶を握りながら自分の格好を見下ろすと、
「ジャージなんて久々に着たな……訓練期間終了からずっと箪笥の肥やしになってたし」
しみじみと呟き、何やら遠くを見つめる。
祓魔師育成学校は訓練期間中、ジャージの着用を義務付けられている。しかし訓練期間を終えてしまえばジャージの着用を強要されることはないわけで、ほとんどの生徒が澄人たちのように制服で活動してしまうわけで。
無論、澄人たちとは反対にジャージ姿で活動する連中もいる。しかしまあ、名前が胸元に刺繍された青ジャージで街中を歩き回るのはなかなかに勇気がいるもので。……ついでに、ジャージに対魔刀というのもなかなかにシュールである。なかなか生徒がジャージを着ない大きな理由はこれであった。
「まぁそんな格好で、学校まで戻らなくちゃいけないんですけどね」
「そうだなぁ……仕事も残ってるだろうし、はよ帰らないと。みんな俺たちを必要としてるだろう」
気怠げな天音と澄人の会話。
しかしその二人の会話を遮るように、
「あ、もうアタシたちの仕事ないし邪魔だからから帰ってこなくて良いってさ」
白雪がスマートフォン片手に、けろっと言い捨てた。
その場を制する微妙な空気。色々と言いたいことはあれど、とりあえず、
「……よーしトランプやるか。俺今持ってるぞトランプ!」
現実から目を逸らすことにした。
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