第28話 『好きな人、とか』

 克己を加えた一行がたどり着いたのは、銭湯『濡る間湯』。楓町設立の頃からここに佇む楓町初の銭湯であり、ライバル店の『間熊の湯』とは未だに店主同士が顔を合わせては火花を散らしてるとかなんとか。

 とてもヌルそうな名前ではあるが、設備のお湯全部が全部ぬるま湯というわけではない。店主曰く、人も妖怪も寛ぎ、気が抜けすぎて大広間でだらん、とだらけて。そのせいで濡れる大広間を表現したら、こんなにもヌルそうな店の名前になってしまったらしい────温泉旅行記参『楓町』取材録(天音の所持本のひとつ)より抜粋。

 暖簾のれんをくぐれば銭湯特有の生暖かい風が頰を撫ぜる。入口のすぐ正面にはカウンターがあり、店主の『垢舐め』が長い舌を伸ばしながら営業スマイルを浮かべていた。

 ここまで長い舌を伸ばしながらも不気味さを感じさせないのはなかなかのテクニックだろう。極潰死で一番の無愛想だともっぱらの悪評の克己が、何やらすごい形相で見つめていた。

「なに睨みつけてんだよ克己」

「睨みつけてるんじゃねぇよ研究だ」

 入口のすぐ右手には昔ながらの券売機がある。そこに小銭を投入しながら澄人は克己にため息を吐き、軽く肩を小突いて。全員が券を購入したのを確認してから、カウンターの前までやってきた。

「いらっしゃーい、四名様かな?」

「はい、女二人に男二人です」

 言いながら、天音が店主に全員分の券を出す。店主がシャンプー、リンス、ボディソープ、入場券を確認しているところで、澄人はある違和感に気付いた。

「……あれ、シャンプー三枚しかなくね? 誰か買い忘れたか?」

「えっ」

 澄人の疑問に続けて、声をあげたのは白雪だった。

 視線が集まる中白雪は小首を傾げ、


「……え、シャンプーっている? 頭洗うのなんてボディーシャンプーでよくない?」


 信じられない事を言い放った。

 この言葉に天音の頰がひきつり、半ば強引にシャンプーとリンスの券を押し付けて、悲鳴をあげる白雪の手を引っ張り────浴場へと消えていったのはまた別の話。


 ◇◆◇


「あの美人さんが夜な夜な俺たちの垢を舐めてると思うとそりゃあみんな足運ぶわな」

「何の話してんだよおまえ……」

 ひとしきり体と頭を洗ってから大きな湯船に浸かり、克己のひと言に澄人が本気で引く、なんて一幕である。

 いやしかし、克己が言ってることもまた事実であった。濡る間湯の店主である垢舐めはそこそこの美形で。

 この銭湯に通う理由は? と聞かれ、克己が言い放った理由をあげる男性陣は少なくない。……というか、大部分がそれだ。

 他にも女性陣の『効能がいい』だとか、『店主さんと美容のお話が出来て楽しい』だとか、色々な理由はあるのだが。ともあれ、この店はそれだけこの街に愛されている、ということである。

 妖怪と人間────その間に未だ佇む壁を、取り払ってくれる施設のひとつだ。色々な方面から愛され、そして継続させていくべきである。

 そんなことをぼんやりと思いながら、澄人はジジくさい唸りを上げて天井を眺める。

 ここのところは色々と大変だった。こうして、ただただぼんやりと日常を消化する時間があっても、いいかも知れない。

「そういやさぁ」

 のほほんとした空気に当てられたからだろうか。克己の方まで表情を緩め、大きな湯船の淵にもたれかかりながら、


「おまえ、結局宮咲と天野どっちが好きなの?」

「────?????」


 突然、核弾頭をぶっ放す。これにも澄人は思わず笑顔を引きつらせた。

 答えが見つからない澄人は口元を歪め、ハッキリしない言葉のような何かを発するだけ。心なしか克己は楽しくなって来て、なにやら気味が悪すぎる程のいい笑顔を浮かべ始めた。

「……接客中もそれくらい笑えればいいのにな」

「あほぬかせ。んで、結局どっちなんだよ」

 話題を逸らすのにも失敗。どうやら応えねば切り抜けられないらしい状況に、澄人はため息をひとつ。思考を少しだけまとめつつ、


「誰が好きなのか……とか。そういう恋愛感情を訊かれると難しい話だよ。さっぱりだ」


 首を横に振りながら、顎下までお湯の下まで沈めた。

 無論、二人のことは女性的に魅力的だと思う。ひとつ屋根の下であんな二人と暮らしていることは自慢にも思えるくらいだ。

 しかし同時に、同時に彼女たちを『仲間』以外の何かとしては見ることができない。

 確かに信頼できる仲間だ。背中を安心して預けられる。しかしそれ以上でもない、と。澄人の思考はそこで固まり、考えることをやめてしまう。

 あるいは、最高の仲間だからこそ────信頼できる仲間だからこそ、そういう目で見たくない、という自分の意識が居るのかもしれない。

「……つまんねーの」

 澄人の考えを理解してか、しないでか。克己はそれ以上深追いすることなく、澄人に倣って顎下までお湯の下に沈める。

 男二人な訳だし、色恋云々で盛り上がれるだろうか、なんて思った克己だったが。思った以上に、澄人の中身はめんどくさいことになっていたらしい。

 数秒沈黙が続く。周りのご老人や妖怪の会話が飛び交うだけの時間が続いて、今度は気まずくなった澄人が質問を投げる番であった。

「そういや、克己はどうなんだよ色恋とか。好きな人は?」

「よーしサウナ行くか澄人。長く居れた方にジュースおごりな」

「おい露骨に逃げるなよ居るだろその反応好きな人!?」

 しかし克己は逃げるように湯船から飛び出し、早足にサウナ室へと向かって行った。

 相手がきになるところだがこれ以上詮索しても面倒だし、克己の後をついて行く。

 湯船から数歩歩いて、サウナ室、と看板がぶら下げられた扉に手をかける。

 克己が引いた扉はやけに軽く、小首を傾げて居るとちょうど誰かが出ようと扉を押していたところで。


「あっ、すみま────」


 克己が謝るのとほぼ同時。出て来た人物と、澄人の視線が絡み合う。

 男にしては伸ばされた金髪。普段ひとつに括り上げられているはずのそれは今は自由に遊ばれ、身体に汗で貼り付いている。

 サウナ上がりにも関わらず苦悶の表情すら浮かべず、涼しげな顔で出て来たそいつは、


「……アイン」


 祓魔師育成学校二年第三班 班長、アイン・ヴァームレスであった。

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